狂人ピューマ
黒猫亭を出た一行は、門に向かい歩き出した。が、ジェイクが足を止める。
「ちょっとここで待っててくれ。俺は野暮用がある。終わったら」
皆に言うと、ジェイクはひとりで路地裏へと入っていった。
しばらく歩き、目的とする場所へとたどり着く。何のへんてつもない掘っ立て小屋であり、薄暗く中の様子はほとんど見えない。
ジェイクは、ためらうことなく入っていく。と、声が聞こえてきた。
「そこで止まれ。何の用だ?」
男の声だ。
小屋の中は狭く。中には何もない。四方を木の壁で囲まれており、扉はひとつだけだ。まるで独房のようである。
そんな奇怪な部屋で、ジェイクは口を開く。
「スパイニーだな? あんたに聞きたいことがおる。レオニス・ドルク公爵の別宅がアーセナル地区にあると聞いたが、本当か?」
そう、この部屋はバーレンきっての情報通、スパイニーの部屋なのだ。ジェイクも、名前だけは聞いているが接触するのは初めてである。
「ああ、そいつぁ本当だよ。今も来てるらしいぜ」
「だったら、その別宅の場所を教えてくれ」
「構わないが、そいつぁ高くつくぜ」
「いくらだ?」
「金貨十万枚……と言いたいところだが、あんたジェイクだよな? 霊拳術士のジェイクで間違いないな?」
「ああ、そうだよ」
「だったらよ、ひとつ頼みがある。そいつさえ引き受けると約束するなら、今すぐ教えてやるよ」
「いいだろう、約束する。で、何をすればいい?」
「実はな……先日、ジュジャクの館が襲われた。犯人は、大勢の衛兵を惨殺した挙句、館主であるニールの首をねじ切りやがった。そいつは、顔を真っ白く塗りたくっていたらしい」
途端に、ジェイクの表情が歪む。そいつが誰であるか、確かめるまでもない。エプシロンだ。
「それだけじゃねえ。そのバカは……こともあろうに、アグダー帝国のエドマンド伯爵をも殺したらしい」
「確かか?」
ジェイクは愕然となりつつも、どうにか平静な表情を作り聞き返した。エドマンド伯爵といえば、アグダー帝国でも十位以内には入る権力者である。
そのエドマンドを殺ったとなると、もはやアグダーを敵に回したのと同じだ。
「屋敷のメイドが言ってたんだ。顔を真っ白く塗った化け物が、伯爵の寝室から出ていくのを見たんだとよ」
「そうか……」
「これまでにも、何人か刺客を送ったが、全員が返り討ちに遭った。倒せるとすりゃ、あんたくらいしかいねえよ。引き受けてくれるか?」
「わかった。やってはみるが……俺も返り討ちに遭うかもしれんぞ。それでも、今教えてくれるのか?」
「ああ。噂には聞いてるぜ……霊拳術士ジェイクは、誓ったことは必ずやり遂げるってな。頼むから、その化け物を始末してくれ」
「わかった」
スパイニーの部屋を出た後、ジェイクは放心状態で立ち尽くしていた。
エプシロンを殺す依頼を受けてしまった。こうなると、奴が死ぬか自分が死ぬかだ。スパイニーは、裏の世界にも顔が利く。もし、このまま何もしなかったら……自分もまた、狙われることとなる。
いや、自分が狙われることなどどうでもいい。問題なのは「引き受ける」と言ってしまったことだ。
ジェイクは、嘘のつけない男……というわけではない。だが、誓いは守る。誓ってしまった以上、エプシロンを殺さねばならない。でなければ、誓いを破った代償を支払わねばならなくなる。
この時、ジェイクは完全にどうかしていた。スパイニーとの会話に意識を支配され、周囲から人が消えていたことに気づいていなかったのである。
さらに、先日殺り合ったばかりの男が、また現れたことにも気づいていなかった──
何ぃ!?
ジェイクは、ハッとなり顔をあげた。途端に、叫び声が聞こえてきた。
「ウヒョヒョヒョ! ジェェェイク! また来たぜ!」
十メートルほど先に、小男が立っている。あのピューマとかいう変人暗殺者だ。
「ウフフフ、夢の中へ行く時が来たぜジェイク! ジェイクジェイクジェイク!」
奇怪な声をあげたかと思うと、いきなり高く跳躍した。
宙でくるりと一回転し、降り立った時には二本の短剣を抜いていた。
ジェイクも、この奇行には首を傾げる。
「お前、頭大丈夫なのか?」
聞いた途端、ピューマの表情はまた変わった。
「うるせえ! 大丈夫なわけねえだろ! お前のせいでな、俺の頭はめっちゃくっちゃなんだよ! バカ野郎この野郎バカ野郎この野郎!」
凄まじい形相でまくしたてる。どうやら、ジェイクの言葉が彼をさらに怒らせてしまったらしい。
「というわけでだ、お前には死んでもらう……死いぃぃねえぇぇ!」
奇声と共に突進し、とんでもない速さで切りつけてきた──
ピューマの動きは速く、しかも二本の短剣から繰り出される攻撃は軌道が読みづらい。まさに、変幻自在の斬撃である。並の戦士なら、瞬時に殺されていただろう。事実、ジェイクも初手の斬撃は躱しそこねた。
だが、ジェイクとて霊拳術士だ。すぐに次の攻撃を見切り、反撃する。両手でピューマの斬撃を受け止め、右足の横蹴りを放つ。
常人なら、内臓が破裂していたであろう蹴りがピューマの腹に炸裂した。小柄なピューマは、一瞬にして吹っ飛んでいく。
しかし、ピューマもまた普通ではなかった。ジェイクの強烈な蹴りをまともにくらいながらも、すぐに体勢を整え着地する。
直後、地団駄を踏んだ。
「おいコラくそコラ! 確かに切ったはずなのに、なんで血がでないんだ! おかしいじゃねえか!」
喚いたかと思うと、ピューマは短剣で己の足を突いた。
直後、とんでもない勢いで飛び上がる。着地した直後、今度はジェイクを睨んだ。
「いってえよ! やっぱり切れるじゃねえか! 俺の得物には問題なし! じゃあ、お前にはなんで効かないんだ!」
短剣の切っ先を向け、子供のように喚きちらす。
あまりの訳のわからなさに困惑するジェイクだったが、ピューマはお構いなしだ。なおもジェイクを責め立てる。
「そうか! お前、魔法を使ったな! 汚いぞ! 正々堂々と戦え! この卑怯もんがぁ! 卑怯もん卑怯もん卑怯もん!」
このセリフに、さすがのジェイクも呆れ果てた表情になった。
確かに、ピューマの斬撃はジェイクの腕に当たっていた。しかし、ジェイクは戦闘突入と同時に、精霊の力により肉体を強化している。彼の皮膚を貫くには、もっと強烈な威力が必要だ。ピューマのスピードとキレのみを重視した攻撃では、傷つけることは難しい。
しかし、わざわざそんなことを説明する気もない。代わりに、こんな言葉が出ていた。
「お前、自分で何言ってるのかわかってんのか?」
「うるせえ! こぉの野郎があぁ! 卑怯もん! やーいアホ! バカ! 殺す殺す殺す!」
叫んだが、そこでハッとした表情になる。何かを思いついたらしい。
「そうだ! いくらてめえでも、こいつを目に突き刺せば効くだろう! よーし、今から目に突き刺してやるからな!」
「あー、わかったわかった。やれるもんならやってみろ」
言いながら、ジェイクが手招きした時だった。突然、ピューマが跳躍する。
直後、彼のいた地面に何かが炸裂した。爆発したかのように、土煙があがる。これは、リリスの攻撃魔法だ。
「ジェイク! 大丈夫か!」
叫びながら、真っ先に駆けつけてきたのはアランである。彼は剣を抜き、ピューマを睨みつけ構えてみせる。さらに、リリスとセリナも駆けてくる。
ピューマは顔を歪めたが、それだけでは終わらなかった。立て続けに、リリスの指先から黒く光る矢が放たれたのだ。矢は、まっすぐにピューマを狙い飛んでいく。
しかし、ピューマの動きも速い。人間には有り得ない速度で、左右に飛び跳ねて矢を躱した。さらに民家の屋根へ飛び移り、ジェイクに憎しみの目を向ける。
「クソがあぁぁぁ! お前はやっばし卑怯もんだぁ! 一対一の聖なる決闘に、仲間を呼ぶとはどういうことだあぁぁぁ! 四対一とは卑怯の極みだあぁぁ! 死ね死ね死ね! みんな殺してやるうぅぅ! 十回殺しても許さんぞおぉぉ!」
空に向かい吠えたかと思うと、ピューマは屋根を伝って逃げていった。




