敗北と、語られた言葉
武装した男たちが、道ばたに倒れていた。
それも、ひとりやふたりではない。ざっと二十人以上の衛兵たちが、折り重なるように倒れているのだ。まるで円のような形で男たちは倒れている。
おそらく、この男たちはどこかの店に雇われた傭兵であろう。戦争帰りのならず者たちを、すぐに雇ってくれるような場所など、そうそうない。
したがって、職にあぶれた傭兵たちはクランに集まる。ここは無法地帯だ。暴力に慣れた者たちの出番も多い。
しかし、ここで立っている者には、傭兵たちの暴力が通用しなかった。
死体で作られた円の中心にいるのは、黒い服を着た男である。いや、男かどうかすら判別がつかない。そもそも、人であるかどうかすらわからなかった。
その者の顔は白かった。それも、人間の肌の白さとは根本的に異なっている。顔に絵の具を塗りたくったかのごときものだ。
しかも、目の周りと口は真っ赤に塗られている。顔料なのか入れ墨なのかは不明だが、口元を吊り上げるように塗られた真紅の線は、まるで笑っているかのようである。また、目の周囲も同じく赤い色で塗られていた。目の下に伸びている線は、あたかも血の涙を流しているかのようだ。
肩まで伸びた長い髪は漆黒であり、白すぎる肌とは対照的である。背は高くもなく低くもない。体つきはほっそりとしているが、同時にしなやかな印象も受ける。黒いシャツを着ており、黒いズボンを履いた格好は、真っ白い顔と対照的である。
満月に照らされたその姿は、滑稽な道化師のようにも見えた。だが、この道化師が傭兵たちを皆殺しにしたのは間違いない──
唖然となっているジェイクを見て、異形の者はニヤリと笑った。大げさな仕草でお辞儀をする。
「おやおや、かの有名な霊拳術士さまの御登場ですか。お初にお目にかかります」
その口から出たのは、異様な声だった。血の底から聞こえてくる地鳴りにも似た、おどろおどろしいものだ。人間の口から出せるものとは思えない。ただ、一応は男の声と思える響きが感じられた。
だが、その声の異様さよりも、言葉の内容の方がより強い衝撃を与えたのだ。
「お前は、俺を知っているのか? 何者だ?」
ジェイクが問いかけると、白面の男は僅かに口元を歪めた。
少しの間を置き、のんびりとした口調で答える。
「あなたに用はありません。さっさと消えてください」
相変わらずの異様な声音に、ジェイクは背筋に冷たいものが走るのを感じていた。この者、確実に人間ではない。
しかし、目の前でこんなことをされて引くわけにもいかない。
「あいにくだがな、ここまでやられて黙ってるわけにはいかねえんだよ」
言い返したが、白面の男は表情ひとつ変えない。
「私に勝てるとでも思っているのですか?」
「さあ、どうだろうね。俺、けっこう強いよ」
そう言うと、ジェイクはくすりと笑った。
次の瞬間、拳を握る。腰を落とし、息を大きく吸い込んだ。
と同時に、大地の気を体内へと取り込む──
「大地の精霊よ、我に力を与えたまえ……」
祈りの言葉を唱えた直後、全身に力がみなぎっていく。大地に流れる気が、足を通し体に入ってくるのが感じられる。その気は、ジェイクの肉体を強化していった。
骨、筋肉、そして皮膚にまで精霊の力で満たされていく。さらに、全身を気の力が覆っていった。目には見えないが、はっきりと感じられるものだ。百戦錬磨の戦士ならば、近くにいるだけで、この気の厚みを感じ取れるだろう。
そしてジェイクは、拳を握り構えた。次の瞬間、一気に間合いを詰める。
気の力で強化された拳を、相手の顔面に叩き込む──
「なんだと……」
思わず呟くジェイク。だが、それも当然だろう。信じられないことが起きたのだ。
今のジェイクの拳は、気の力により強化されている。岩をも砕き、ヒグマですら一撃で撲殺できるものなのだ。
ところが、その拳が平手で受け止められている。
ジェイクは唖然とした表情で、もう一度白面の男をまじまじと見つめた。今のは酒が見せた幻ではないのか、という疑いゆえだ。
幻ではなかった。白面の男は微動だにせず、ジェイクの拳を平手で受け止めているのだ。
「この程度で、私に勝てるとお思いですか?」
言葉遣いそのものは丁寧だが、その異様な声がジェイクの心を震わせる。
自分では勝てないことが、はっきりとわかった。だが、それならば好都合だ。
霊拳術士に、自殺は許されない。戦って死ぬしかないのだ。それが掟である。
この怪物なら、確実に自分を殺すことが出来る。ようやく、この生の地獄から解放されるのだ。
フィオナのいない世界など、生きている意味がない──
「いや、勝てねえな」
「わかっていて、向かって来るのですか?」
「当たり前だ。俺はな、霊拳術士なんだよ。ここで引くわけにはいかねえんだ!」
叫んだが、それは嘘だった。本音は、別のところにあった。
それを知ってか知らずか、白面の男はかぶりを振った。
「やめておいた方が賢明です。今のあなたでは、私にはどう足掻いても勝てません」
言った直後、白面の男は腕をぶんと振った。
何の変哲もない、力任せのパンチであった。ジェイクは型通りに前腕で受け止め払いのけ、カウンターの突きを叩き込む……はずだった。
ところが、男の力は尋常なものではなかった。気の力で強化されたジェイクの腕が、一撃で折れてしまったのだ。
次の瞬間、ジェイクの体は吹っ飛んでいく。馬に蹴られた……いや、象に蹴られたような威力だ。咄嗟に自ら後ろに飛んでダメージを最小限に食い止めたが、それでも全身に走る激痛は堪えきれない。
倒れたジェイクは、ゲホッとむせた。口から、血が吐き出る。
だが、白面の男に容赦する気はないらしい。倒れているジェイクを、片手で力任せに立ち上がらせる。
その時、ジェイクは叫んだ──
「殺せ! さっさと殺せ! 俺はな、もう生きてるのが嫌になったんだよ!」
すると、白面の男の表情に変化が生じた。先ほどまでと違い、人間味の感じられる顔立ちへと変わっているのだ。
それでも、ジェイクは叫び続ける──
「さあ殺せ! 死んたら、あいつに会えるかもしれねえからな! おら、さっさと殺せよ! 早くしろ!」
口から泡を飛ばしながら、ジェイクは拳を振り回した。
そう、ジェイクはもう生きていることに嫌気がさしていた。
拳は白い顔に当たり、ペチンと音を立てる。だが、男は表情ひとつ変えない。
直後、口を開く。
「本当に無様な奴だ。今のお前を見たら、フィオナは何と言うだろうな」
口調が、ガラリと変わっていた。しかも、声の質まで変わっている。どこかで聞いた声だ。
しかも、今この怪物はフィオナと言った──
「な、何だと……今、何と言った?」
「いいか、今度また俺の前に立ち塞がったら、本当に殺す。それよりもだ、お前にはやらなきゃならないことがあるんだよ。フィオナの死んだ本当の理由を調べてみろ」
「お、お前、フィオナを知ってるのか!?」
「フィオナは戦死した、そうなっているよな。だがな、そいつは嘘だ」
「どういう意味だ!?」
「それはな、自分で調べてみろ。そしたら、お前もイスタルとアグダーにいる奴らを皆殺しにしたくなるぜ」
そう言うと、白面の男の表情が変化する──
「お前があの時フィオナを連れて逃げていれば、こんなことにはならなかったんだ!」
直後、男はジェイクを投げ飛ばした。
ジェイクの体は宙を舞い、どさりと地面に落ちた。痛みに顔をしかめながらも、ジェイクはどうにか上体を起こす。
男の声が誰のものか、ようやく思い出したのだ。かつて親友だった者……風貌は似ても似つかないが、その声は紛れもなく奴だ。
「お、お前はひょっとして、エプシロンなのか!?」
エプシロン……ジェイクとフィオナ共通の友人だ。平和を好み、森の中で獣たちと仲良く暮らし、ジェイクが行くと笑顔で出迎えてくれていた男だ。
それが、こんな怪物に変わってしまったのか?
「そんなことは、どうでもいい。お前は、イスタル国に行け。行って、フィオナに何があったか調べてみろ。自分の目と耳で、真実を知るんだ」
言った直後、怪物の姿は消えてしまった──




