アランの頼み
「クソッ、俺としたことが……」
ジェイクは毒づいた。
バーレンのゾッド地区は、犯罪多発地帯である。道行く人のうち、ふたりにひとりは脛に傷持つ身だ。油断していると、路地裏に連れ込まれ身ぐるみ剥がれかねない。
もっとも、犯罪者というのは相手を選ぶ。さらに、ここいらの人間は嗅覚も鋭い。ジェイクのような男に手を出したらどうなるか、一目で判断できる。したがって、ひとりならば周囲に気を配る必要もなかった。
しかし、今日は隣にセリナがいる。彼女に気を配るあまり、危機を察知するアンテナがうまく働いていなかった。
結果、あんな大男の接近を許してしまった。痛恨のミスだ。
「な、なんだよあいつ……お前の知り合いか?」
アランの声は震えていた。さすがの彼も、今の状況が危険であることに気づいたのだろう。
ジェイクらの周りにいた者たちはというと、瞬時に離れて行った。彼らは、危険を察知する能力には長けている。ジェイクと大男との間で何が起きるかをすぐに察し、巻き添えを食うまいと移動したのだ。
だが、そんなことはどうでもいい。こうなれば、ぶっ倒すまで……ジェイクは、アランにそっと囁く。
「アラン、このお嬢ちゃんを頼むぞ」
その時、ジェイクは顔をしかめパッと振り向いた。もうひとり、強烈な殺気を放つ者の存在を感知したのだ。なぜ、ここまで気づけなかったのか……もはや、どうかしていたとしか思えない。
自分のヘマに舌打ちしたジェイクだったが、新たな乱入者は彼とは真逆の気分のようであった。
「ジェイク……ジェイクジェイクジェイクジェイク! ひぃさしぶりぃだぁなあぁ! 嬉しいぜ! 嬉しくてションベンちびりそうだぜ! ヒャッホー! ウェーイ! 俺はノッてるぜぇ!」
奇怪な叫び声をあげたのは、彼らの後ろに立っていた男であった。
彼は身長こそ低いが、その小柄さを補って余りある異様な威圧感を放っていた。細身の体は筋肉が浮き出し、まるで猫のようなしなやかさと俊敏さを感じさせる。目は細く、髪は黒く逆立ち乱雑に跳ねている。
その両手には、手入れの行き届いた二本のナイフが握られている。ナイフの刃は細く長く、鋭利で、光を受けると冷たく光った。ピューマはその刃を指先で軽く弾くように扱い、まるで指の延長のように自在に操る。常に身を低く構え、飛びかかる瞬間を今か今かと狙う獰猛さを滲ませていた。
あまりの異様さに、セリナとアランは後ずさる。だが、小男は彼らのことなど見ていない。ただ、ジェイクのことだけを見ていた。
「俺はピューマだぁ……覚えてるよなあジェイク。なあジェイク! なあジェイクよう! お前を殺す日を、ずっとずっと夢見てたぜえ! イエェェイ! ウワァオウ! イェイイェイウォウウォウだぜ!」
またしても奇怪な叫び声をあげるピューマ。だが、ジェイクはこんな男に見覚えなどない。
「随分とご機嫌だな。けど、俺はお前なんか知らないぜ。誰かと間違えてねえか?」
軽い口調で言ったジェイクだったが、その言葉はピューマの怒りの炎に油を注いだだけであった。
「はあ!? はあ!? はあ!? 俺を覚えてないだとぉ! ざっけんじゃねえぞ! 決めた! お前は殺す! 絶対殺す! 百回殺す!」
叫んだかと思うと、身軽な動きで飛び上がった。空中で一回転し、スタッと着地する。
「ほう、凄いじゃねえか。なあ、バカはやめてどっかのサーカスにでも入ったらどうだ?」
なおも軽口を叩くジェイクだったが、額には汗が滲んでいた。このふたり、掛け値なしに強い。自分ひとりならば、何とか倒せるだろう。しかし、セリナやアランを守りながらとなると……。
その時だった。剣を抜く音が響き渡る。
「ジェ、ジェイク! 俺も助太刀すっぞ!」
声を震わせながら叫ぶアラン。ジェイクは、思わず舌打ちした。
「バカ! お前は関係ない! さっさと──」
「ジェイクゥ! いぃくぞおぉ!」
ピューマが叫んだ。直後、ふたりが同時に動く──
大男が、その巨体に似合わぬスピードで突進してきたのだ。ジェイクは、咄嗟に地面を転がり避ける。
が、次の瞬間に己の犯したミスに気づいた──
バカ野郎!
俺は何をやってんだ!
気づいた時には遅かった。大男の動きは止まらず、そのまま直進していったのだ。
その体当たりを食らったのは、アランとセリナであった。ふたりは、当たると同時に吹っ飛ばされる。その威力は、猛牛の突進をも上回ったであろう。セリナとアランは、軽々と宙を舞った。
一瞬の間を置き、地面に叩きつけられる。
「クソがぁ!」
ジェイクは吠え、ふたりを救助に向かう。だが、そこに襲いかかってきたのはピューマだった。二本の短剣がジェイクに襲いかかる。その動きは変幻自在で、軌道が全く読めないのだ。さすがのジェイクも、防ぐのが精一杯である。
そこに、またしても突っ込んで来た者……大男だ。後ろから、凄まじい勢いで突進してくる。ジェイクは瞬時に動き、またしても地面を転がって躱した。
その時、金切り声が聞こえてきた。
「こらゲルニモ! てめえは邪魔するな! ジェイクは俺が殺すんだよ! このアホンダラがぁ!」
叫びながら、ピューマは飛び上がった。空中で一回転し、着地すると同時に二本の短剣を構える。ゲルニモと呼ばれた大男はというと、離れた位置でジェイクの様子を窺いつつ、ジリジリと間合いを詰めてくる。
ジェイクは、両者との距離を測った。あとひと呼吸するかしないかのタイミングで、ゲルニモとピューマは攻撃を仕掛けてくる。ふたり同時に相手にするのは、正直きつい……と思った時だった。
突然、呪文の詠唱の声が聞こえた。直後、ゲルニモの顔が光りだす。まるで、光の玉が大男の顔にくっついたかのようだ。
あまりの眩しさに、ゲルニモは両手で目を覆う。これは、セリナが使った魔法だ。本来、暗い場所に明かりをつけるためのものだが、彼女は咄嗟の機転でそれを攻撃に用いたのだ。
さらに、とんでもない声が聞こえてきた──
「ナメんじゃねえぞゴラァ! 俺は聖炎騎士団のアランだぞ!」
喚きながら、剣を振り回しピューマに向かって行ったのはアランだ。でたらめに剣を振り回しているだけだが、想定外の攻撃に、さしものピューマも防戦一方になっている。
その時、ジェイクも動いた。一気に間合いを詰め、ピューマの顔面に正拳を叩き込む。
一撃で、ピューマは吹っ飛んでいった。だが、すぐに体勢を立て直す。
「くっそおぉぉ! 顔が痛え! 顔が痛えよおぉ! これもジェイクのせいだ……って、ゲルニモなんだそりゃあ!」
ようやくゲルニモの状況に気づいたらしい。彼は、慌てて大男のそばに近寄る。
途端に、空を向いて叫びだした。
「おいおいおいおい! 聞いてねえぞぉ! そっちの方がひとり多いじゃねえかよぉ! 三対二だなんて聞いてねえよぉ! この嘘つき! 卑怯もん! てめえは殺す! 必ず殺す! とりあえず二百回くらい殺してやるぅ!」
直後、ゲルニモと共に走り去って行ったのだ。
「クソッ! 卑怯もんはどっちだよ! 待ちやがれ!」
怒鳴り、後を追いかけようとするアラン……だが、ジェイクが彼の腕をつかむ。
「待て、あいつらのことはいい。アラン、大丈夫か? ケガはないか?」
「あっ、ああ、大丈夫だ」
「セリナ、ケガはないか?」
「えっ、ええ。大丈夫です」
そう言って、セリナは立ち上がろうとした……が、呻き声をあげ顔をしかめる。どうやら、体のどこかを痛めたらしい。
ジェイクもまた、顔をしかめた。
「セリナ、君は念のため黒猫亭で待っていてくれ」
言った後、ジェイクはアランに視線を移す。
「すまなかったな、こんなことに巻き込んじまって。とにかく、お前は早くここを離れろ」
「嫌だね」
「お、おい、ふざけてないでさっさと屋敷に帰れ。でないと、また奴らに襲われるかもしれねえんだ」
そう、奴らはジェイクを狙っていた。
これは、間違いなくフィオナの件と関係がある。真相に近づいているジェイクに気づいた何者かが、ジェイクを消そうと刺客を送り込んできたのだ。
このままジェイクと同行していたら、アランも確実に襲われる。
しかし、アランは首を横に振った。
「ふざけてなんかいねえよ。お前、なんかヤバいことに巻き込まれてんだろ。だったら、俺にも協力させろよ。ちょうど今、暇だしな」
「あのなぁ、こいつは遊びじゃ……」
言いかけたジェイクだったが、そこで気づいてしまった。
アランもまた、奴らに顔を見られた。下手すると、この男まで標的のひとりとして狙われる可能性が出てくる。
となると、俺と一緒にいる方が安全か?
そんな考えが、ふっと頭に浮かぶ。だが、すぐに打ち消した。アランを、エプシロンとの戦いに巻き込みたくない。
「もう一度言うがな、これは遊びじゃないんだよ。頼むから、帰ってくれ」
「だったらよ、帰る最中にあの変なのに襲われたらどうすんだ? それによ、お前だって困ってんだろ? だったら、俺にも協力させてくれよ。とにかく、俺は無理やりにでも付いていくからな」
「バカ言うな……」
言いかけたジェイクだったが、そこでデリシャスの言葉を思い出す。
(この先、お前は運命に導かれ過去の因縁の者と再会を果たす。それもまた必然、運命のなせる業じゃ。その再会こそが、お前の目的を果たすために必要な者たちじゃ)
アランも、そのひとりなのかもしれない……。
ジェイクは、フゥと溜息を吐いた。
「わかったよ。好きにしろ」




