暗殺者の襲撃
ジェイクとセリナは、城塞都市バーレンへとやってきた。
このバーレン、巨大な壁に囲まれた造りとなっている。さらに、壁の周りには水をたたえた堀が巡らされている。文字通り、城塞となっているのだ。有事の際には、城門を閉め橋を上げてしまえば、何者も入ることができない。
バーレンには、もうひとつの特徴がある。街が四つの区画に分かれていることだ。大陸でもトップレベルの人間が別荘代わりに利用するアーセナル地区。それよりは劣るが、貴族や金持ちの大商人たちが住んでいるベースマン地区。一般人たちが住むセールス地区。
そして最後が、ゴロツキやチンピラや盗賊や凶状持ちといった連中がうごめくゾッド地区だ。他の地区に住めなくなった者たちが、最後に行き着く場所でもある。住民のほとんどは最下層の貧民たちだが、稀に身分の高い人種が、怪しげな目的のためお忍びで訪れることもある。ゾッド地区は、いわくつきの場所であった。
ジェイクとセリナは、そのゾッド地区を進んでいく。
やがてふたりは、とある店に辿り着いた。『黒猫亭』という看板がかかっており、木の扉の前には古びたランタンが吊るされている。窓の隙間からは、暖かな灯りと香ばしい匂いが漏れていた。
中にいたのは、エプロンをかけた女だった。年齢は三十代から四十代だろうか。褐色の肌と短めの黒髪と、整ってはいるが気の強そうな顔立ちが特徴的だ。下手なことを言おうものなら、貴族が相手でもひっぱたきかねない雰囲気である。
そんな女が、ジェイクを見るなり微笑んだ。
「なんだい、ジェイクじゃないか。久しぶりだね」
「やあ、ゼシカ姉さん。相変わらず綺麗だね」
ジェイクも軽い口調で言うと、カウンター席に腰掛ける。セリナも、その隣に座った。
「また心にもないことを……で、そこの娘は誰? 新しい彼女かい?」
言いながら、ゼシカはセリナを見つめる。が、彼女は首を横に振って否定した。
「か、彼女じゃありません!」
「あらまあ、そうなの……お似合いかと思ったのに」
そう言うと、ゼシカはジェイクに視線を戻す。
「フィオナちゃんが戦死したって聞いてさ、てっきりあんたも後を追うんじゃないかって心配してたんだよ。でも、元気そうで何よりだ」
そんなことを言った時、ジェイクの足元に擦り寄ってきたものがいた。丸々と太った黒猫だ。黒猫は喉をゴロゴロ鳴らしながら、ジェイクの足に顔を擦り付けている。
「おうプルート、俺を覚えていてくれたか」
ジェイクが声をかけると、黒猫はニャアと鳴いた。どうやらプルートというらしい。
「全く、プルートの奴はあんたにだけは懐いているんだから……他の常連客には見向きもしないのに」
「へへっ、俺は女にゃモテないが動物にはモテるんだよ」
「何言ってんだい。あっちこっちに愛人作ってるくせに」
「おいおい、適当なこと言うなよ」
ジェイクが言った時、予想もつかない方向から口撃を受ける。
「へえ、ジェイクさんて、そういう方だったのですか……」
突然、セリナが嫌味ったらしい口調で話に加わってきた。
「違うっての。俺は、愛人なんかいた試しがねえ」
慌てて否定すると、ジェイクはゼシカの方に向き直る。
「それよりも、ゼシカ姉さんにひとつ聞きたいことがあるんだ。リリスの奴が、どこにいるか知らないか? あいつ、この街に舞い戻ってきたって噂を聞いたんだけど」
言いながら、金貨を一枚カウンターに置いた。ゼシカは口元に笑みを浮かべ、そっと金貨を受け取る。
「リリス? ああ、あのリリスか。あんた、あいつに何の用?」
「ちょいと頼みたいことがある。あいつにしかできないことなんだよ」
「リリスは……たぶん、このゾッド地区の路地裏にいると思うよ。前に、そんな話を聞いたからね。ただ、今もまだいるかどうかはわからないよ」
「そうか、ありがとう。じゃあ、行ってみるよ」
言って、立ち上がった時だった。ゼシカが、彼の腕をつかむ。
「あっ、あとさ……あの、何て言ったっけ、あの子も来てるんだよ」
「あの子? 誰だよ?」
ジェイクは首を捻る。あの子と言われても、誰のことやらわからない。
「あのう……ほら、顔はカッコいいけど頼りなくて、なんちゃら家の三男で、いつもヘラヘラしてる若い子」
なんちゃら家の三男でジェイクの友人といえば、あの男しかいない。
「もしかして、アラン・アデールか?」
「ああ、そうそうそう。そのアランなんちゃらが、このバーレンに来てるんだってさ。それも、お忍びでだよ」
「お忍びだぁ? 姉さんに知られちまってるんじゃあ、意味ねえじゃねえか。あのバカ、何しに来たんだ?」
ジェイクは呆れた表情になる。
彼の所属する聖炎騎士団は、今のところ活動休止状態だ。再開の目処が立つまでは、イスタル共和国内でおとなしくしていろ……という御達しが来ていたはずだ。
しかし、遊び人であるアランには関係ないらしい。
「なんか、遊びに来たとか言ってたね。うちにも顔出して、プルートを撫でようとして猫パンチくらってたよ」
「遊びに来たぁ? あいつは、相変わらずアホだな」
ジェイクは思わず苦笑した。できることなら会っておきたいが、今はそれどころではない。さしあたっては、他にやらねばならないことがあるのだ。
「まあ、いいや。ありがとう姉さん。ちょっとリリスを探してみるよ」
ジェイクの声に、ゼシカは渋い表情になる。
「ちょっと待ちなよ。せっかく来たのに、もう行っちゃうのかい?」
「ああ。俺にも、やらなきゃならないことがある。とりあえずは、リリスを探してみるよ」
「だったら、せめてこれを持っていきなよ」
そう言って、ゼシカが差し出したのは紙包みであった。中からは、いい匂いがする。
「なんだいこりゃあ?」
ジェイクが尋ねたら、ゼシカは口元を歪める。
「なんだい、あんた忘れちまったのかい? ウチの豚の蒸し焼きだよ。あんた、好きだったろ? 腹が減ったら食べな」
「ああ、そうか。ありがとさん」
ジェイクは頭を下げると、セリナを連れて出て行った。セリナも、その後に続く。
「リリスさんて、女の方ですよね?」
歩いている途中、不意に尋ねてきたセリナ。その口調にはトゲがある。
ジェイクはというと、複雑な表情になる。
「あっ、ああ……まあ、女性といえば女性だ」
「女性といえば女性? どういう意味ですか?」
さらなる追及に、ジェイクの顔が強ばる。
「いや、だから特に意味はないよ。女性だから女性だ。ただ、それだけだよ」
「さぞかし綺麗な方なんでしょうねえ?」
なおも聞いてきたセリナ。ジェイクが答えようとした時だった。
「おーい、ジェイクじゃねえかよう! こんなとこで、何をやってんだ!」
この声は……間違えようもない、放蕩息子のアラン・アデールだ。
ジェイクは、思わず頭を抱える。まさか、こいつに見つかってしまうとは……面倒なことになった。
「こらジェイク! 聞いてんのかこの野郎……あれ?」
走ってきたアランは、ジェイクの隣にいるセリナに気づき口を閉じる。
彼女をまじまじと見つめると、アランはジェイクに視線を移した。その目には、怒りの感情がある。
「おいジェイク、これはどういうことだ? もう次の彼女を見つけたのか?」
「違います! 私は彼女じゃありません!」
セリナは、慌てて否定した。が、ジェイクはそんなふたりのやり取りなど、見てもいなかったし聞いてもいなかった。
ジェイクの視線の先にいる者……それは、巨大すぎる男であった。身長は三メートル近くあり、成長しきったヒグマと同じくらいのサイズだろう。全身はがっしりとしており、肩幅は異常に広い。胸板は分厚く張り出し、腕は丸太のように太く、血管が浮き出てうねっている。手首から先の力強さも凄まじく、握れば木の幹をも砕きそうな威力があることを容易に想像させた。
頭部は完全に剃り上げられ、光を反射する滑らかな頭皮は、近寄る者に無言の威圧感を与える。耳は尖っており、亜人の血を引いているようであった。瞳は黒く、目つきは獲物を狙う猛獣のそれのようだった。
服装はシンプルだが、その存在感を隠すことはできない。袖なしのシャツは筋肉の輪郭を克明に描き出し、動くたびに筋繊維が盛り上がる様子は、見ている者の息を詰まらせる。
そんな化け物が、ジェイクを睨みつけ口を開く。
「ジェイク……お前を殺す」




