デリシャスの語る怪物の正体
「ほ、本当か……本当に、フィオナは死んだのか!?」
叫ぶデリシャスに、ジェイクは静かな表情で答えた。
「ああ、本当だよ。預言者のあんたなら、もう知っているかと思っていたんだがな」
「う、うおおおぉぉ!」
突然、デリシャスは吠えだした。その瞳からは、涙が流れている。
次の瞬間、デリシャスはジェイクの胸ぐらをつかむ。
「なぜだ!? なぜ死んだ!? 理由を教えろ!」
「先の、イスタル共和国とアグダー帝国との戦争で戦死したそうだ……表向きは、な」
ジェイクは、冷静な口調で答える。ただし、握りしめた拳は微かに震えていた。
対するデリシャスは、なおも叫ぶ。
「なんじゃと……どういう意味じゃ!?」
「まあ、待ってくれ。あんたに聞きたいのは、そのことじゃない。こないだアグダー帝国で、とんでもねえ化け物と遭った」
「ぼ、化け物!?」
「ああ。俺の目の前で、何人もの人間を殺していた。俺は、その化け物を止めようとした。だがな、まるきり歯が立たなかった。ぶちのめされたよ」
「お、お前がか……」
デリシャスは、信じられないという表情だ。もっとも、ジェイクにしても未だ信じられない気持ちはある。
確かに、あの時は本調子ではなかった。飲んだくれていたし、相手をナメてもいた。戦える状態でもなかった。
何より、あの時は死にたかった。さっさと死ねば、フィオナに会えるかもしれなかった──
だが、いかなる理由があれど手も足も出ず敗北したのは事実だ。こみ上げてきた気持ちを押し殺し、ジェイクは語り出す。
「そいつの顔は真っ白で、目の周りと口の周りが赤く塗られていた。で、恐ろしく強かった。そいつは、今もあちこちで人を殺し回っているらしい。しかも、そいつは俺の親友のエプシロンである可能性も出てきたんだよ」
語るうちに、ジェイクの声は震えだしていた。彼は深呼吸し、どうにか気持ちを落ち着かせる。
傍らで見ているセリナは、いたたまれない気持ちになっていた。事情は知らないが、ジェイクの感情は見ているだけで伝わってくる。セリナには、想像もつかない苦しみと哀しみを抱えているのだ。
ややあって、ジェイクはにこやかな表情を作り尋ねる。
「なあデリシャス、そんな怪物に心当たりはあるか?」
その説明を聞いたデリシャスは、険しい表情になった。先ほど、棒と鍋を持ち騒いでいた姿が嘘のようだ。
少しの間を置き、デリシャスは語り出す。
「人が死ぬと、その魂は冥界へと運ばれる。ところが、魂が深く傷つき悲しんでいることがある。そんな時、ごく稀に悪魔が現れ、魂に取引を持ちかけるのじゃ」
重々しい口調である。雰囲気も、荘厳なものに変わっていた。
横で聞いているセリナもまた、顔色が変わっていた。冥界だの悪魔だの、街のインチキ占い師が口にしそうな言葉である。だが、目の前にいる老人からは嘘が感じられない。
セリナは、今になってようやく理解した。デリシャスは、本物の預言者なのだ。街のイカサマ士とは、まるで違う存在だ。
「その取引に応じると、魂は再び現世へと戻され、最凶の怪物として蘇るのじゃ。恨みを晴らし、過ちを正すためにな」
語ったデリシャスに、ジェイクが尋ねる。
「では……俺が戦ったのは、その怪物なのか? エプシロンは、その怪物になっちまったのか?」
「間違いない。ただ、普通は恨みを持つ相手を殺せば、怪物は現世から消え去るはずなんじゃ。しかし、そのエプシロンという奴は特殊じゃな。よほど、強い恨みを遺して死んだようじゃな。あるいは、果たせぬ無念の思いがあるのかもしれん」
途端に、ジェイクの顔が歪んだ。再び拳を握りしめ、何かを堪えているかのような表情になる。
少しの間を置き、ジェイクは口を開く。
「なあ、そいつを人間に戻せないのか?」
しかし、デリシャスはかぶりを振った。
「無理じゃ。人間に戻った瞬間、そいつは死ぬことになる。何せ、人間としての寿命は終わっておるからの」
「じゃあ、現世で怪物として生き続けることはできるのか?」
横で聞いているセリナは、思わず顔をしかめた。
話を聞く限り、エプシロンは人殺しの怪物である。しかも、悪魔に魂を売った存在だというのだ。
そんな者を、ジェイクは生かしておきたいのか……。
一方、デリシャスは渋い表情になった。
「それは、今まで実例がないから何とも言えん。だがな、そやつは悪魔に魂を売って現世に舞い戻った怪物じゃ……血を求める本能には逆らえん」
そこで、デリシャスはジェイクを見つめた。いや、睨みつけたと言った方が正確だろう。
「人間を引き裂き、屠り、食らう……エプシロンとやらは、この本能に逆らうことなどできん。お前にできることは、人間として冥界に送り返してやることだけじゃ」
「そうか……」
そこで、ジェイクの顔が歪んだ。下を向き、あふれそうな感情を必死で堪えていた。それは哀しみか、あるいは怒りだったのか。
ややあって、ジェイクは口を開く。
「仮に、そいつを……エプシロンを殺さなければならないとしたら……どうすれば奴に勝てるんだ?」
「はっきり言っておこう。お前ひとりでは無理じゃ」
デリシャスの表情は険しいものだった。しかし、ジェイクも怯まず言い返す。
「じゃあ、どうすればいいんだ? 軍隊でも引き連れていけと言うのか?」
「違う。十把一絡げの兵隊なんぞ、何百人いようが無意味。むしろ、犠牲者を増やすだけじゃ」
「だったら、どうすればいいんだ!?」
「悪魔との戦いに必要なのは、量よりも質。何よりも魔法の力の協力じゃよ。たとえば、そこにいるお嬢ちゃんなどはピッタリじゃ」
言いながら、デリシャスはセリナを指さした。
「は、はあ!?」
困惑するジェイクだったが、デリシャスはさらに尋ねる。
「お前、このお嬢ちゃんと何処で出会った?」
「いや、それは偶然に道端でな──」
言いかけたジェイクだったが、途中でデリシャスが口を挟む。
「それは偶然ではない、必然じゃ。おそらく、運命がお前とお嬢ちゃんとを巡り会わせたのじゃ。奴を倒すには、お嬢ちゃんの治癒魔法が必須……さらに、奴を冥界に返すには光に属する者の協力がいる。ライブラ教の聖女ともなれば、もってこいじゃな」
「バカ言うな。これは俺の戦いだ。関係ない者を巻き込むわけには──」
「関係あります!」
ジェイクの言葉を遮ったのはセリナだ。彼女は、ジェイクをしっかりと見据え、さらに語り続けた。
「私には、詳しい事情はわかりません。でも、悪魔に魂を売り、人間に仇なす存在がいるとなれば、黙っているわけにはいきません」
セリナの表情は真剣そのものであり、さすがのジェイクも怯んでいた。
そこに、デリシャスがたたみかける。
「さっきも言った通り、この出会いは偶然ではない。間違いなく必然じゃ。これは、お前の運命……ジェイク、心を決めるのじゃ」
「わかった」
答えたジェイクだったが、顔には複雑な表情が浮かんでいる。まだ、気持ちの中に割り切れぬものがあるのだろう。
そんなジェイクに向かい、デリシャスは諭すような口調で語り続ける。
「もうひとつ言っておく。破壊と再生、陰と陽はひとつとなりて初めて本当の力を発揮する。お前に必要なものが、もうひとつある。この聖女と対となる存在……わかるな?」
途端に、ジェイクの表情が変わる。
「聖女と対……ま、まさか?」
「そのまさかじゃ。お前は、答えがわかったらしいな。そして、ここからはわしの忠告じゃ。この先、お前は運命に導かれ過去の因縁の者と再会を果たす。それもまた必然、運命のなせる業じゃ。その再会こそが、お前の目的を果たすために必要な者たちじゃ」
「わかった」
「わしも、そのエプシロンについて調べてみる。だから、あと一週間ほどしたら、もう一度ここに来てくれ。その時には、わかったことをお前に教える」
・・・
イスタル共和国の首都ブラッドベリには、ライブラ教の巨大なる礼拝堂がある。毎日、多くの信者たちが中を訪れ、黄金の女神像に祈りを捧げるのだ。
信者たちは知らなかった。その礼拝堂の地下には、闇に覆われた部屋がある。そこは、グノーシス枢機卿以外の者は立ち入ることを許されていなかった。
その暗い地下室に、グノーシスの声が響き渡る。
「なんですと? ヨアキム病の家族を庇った者がいた? しかも、それは霊拳術士のジェイクだというのですか?」
不快そうな表情で尋ねるグノーシスに、法衣を着た男が答える。
「はい。目撃した者が、あれはジェイクだったと申しております。地下闘技場で闘っていた姿を見ていたから間違いない、とも言っておりました」
「そうですか……まさかとは思いますが、念の為です。手を打っておきましょう。ゲルニモとピューマに、ジェイクを始末するよう言っておきなさい」
「わかりました。しかし、霊拳術士のジェイク相手に、あのふたりだけで大丈夫ですか? 何なら、私も行きましょうか?」
「いいえ、あなたには他にやってもらうことがあります。それに、失敗したらしたで構いません。他の手もあります」
そう言って、グノーシスはにっこり微笑んだ。




