預言者デリシャス
「本当に、ありがとうございました……」
父親のトムは、ジェイクに向かい深々と頭を下げた。
二日前までは、ヨアキム病に侵され腫瘍まみれの顔をしていたトム。しかし、今はほとんど消えている。後ろにいる妻のレベッカと息子のハックもまた同様だ。
トムとレベッカの夫婦、そして息子のハックは、ヨアキム病にかかり住んでいた村を追い出された。それだけでなく、村人たちにリンチまで受けていたのだ。
そこに、最初に通りかかったのはライブラ教聖女のセリナである。しかし、彼女は何もできなかった。ライブラ教において、ヨアキム病は前世からの因縁……という教えなのだ。教典にこそ載っていないものの、ライブラ教徒たちの間では神聖なる掟となっているのだ。
今では、ライブラ教のみならず世界の常識となりつつある。
リンチを受けそうになっていた三人家族を助けたのは、たまたま通りかかったジェイクである。彼は己の強さを見せつけ、村人たちを傷つけることなく追い払ってしまった。
それだけでなく、不治の病といわれていたヨアキム病を、セリナの目の前で治してしまったのである。
その治し方もまた常識外れであった。ノコギリ草という、どこにでも生えている雑草……それを煎じた汁を、一日に数回飲むだけである。
「それにしても、本当に良くなったなあ。軽症だから、二日でほぼ治ったわけだ」
言いながら、ジェイクはウンウン頷く。傍らにいるセリナは、複雑な表情を浮かべていた。
「それもこれも、あなたさまのお陰です。どうやって、お礼をしたらいいのか……」
そんなことを言うトムに、ジェイクは笑って手を振る。
「だから、礼はいいって。フィオナなら、確実にこうしていた。俺も、同じことをしただけだ。気にするな」
いきなり出てきた名前に、トムは戸惑った。
「は、はい? フィオナさまとは?」
「何でもない。こっちの話だ。とにかく、今度こそ三人で平和に暮らせ。街道をまっすぐ行けば、城塞都市バーレンに着く。そこなら、あんたらも暮らしやすいだろ」
「はい、わかりました」
答えたトム。すると、妻のレベッカが前に進み出てくる。
「本当にありがとうございました。この御恩は、一生忘れません」
そう言って、深々と頭を下げた。さらに、息子のハックが歩いてきて、ジェイクの手を握る。
「おじざん、ありがど……」
言った直後、ハックは泣き崩れる。と、ジェイクは苦笑した。
「おいおい、湿っぽいのは無しにしようぜ。あとな、おじさんはやめてくれ。今度会った時は、お兄さんだぞ」
そう言うと、ジェイクはハックの頭を撫でた。
「じゃあ、元気でな」
そう言うと、ジェイクは森の奥へと入っていく。セリナも、その後に続いた。
「これから、どこに行くのです?」
尋ねたセリナに、ジェイクは少し顔を歪めて答える。
「この先に、いろんなことを知ってる賢者がいる。また、そいつは預言者でもあるんだ。ただ、とんでもねえ変人だけどな。会うか?」
「は、はい!」
賢者で預言者とくれば、今のセリナにとって会わないわけにいかない人物だ。彼女は、躊躇なく答えた。
ふたりは、踏みしめるたびに湿った土と苔の香りが立ち上る小道を進んでいった。木々の枝が絡まり合い、日差しはまるで金色の糸のように断片的に地面を照らす。
やがて、岩肌に覆われた小さな洞窟が現れた。入口には古びた藤の蔓が垂れ下がっていた。
それだけでも奇妙だが、何といっても強烈なのは入口横に吊るされた人骨だ。頭から爪先まで、綺麗に揃った人間の骨が吊るされている。
「奴は偏屈者で変人だ。俺が呼んでくるから、ここで待ってろ」
ジェイクはそう言い残し、苔むした岩をかき分け、洞窟の奥へと入っていった。
セリナは森の静けさに身を置いたまま、ぽつんと残される。
その時だった。突如、森の奥からカン、カン、カンッと金属を打ち鳴らす音が響いてきた。
そして姿を現したのは、毛皮の腰巻き一枚の老人だ。髪は鳥の巣のように絡み、目はギョロリと血走っている。腕は細いが筋肉質であり、足には靴など履いていない。背は低いが、姿勢はよく動きも軽快だ。
しかも、片手に木の棒、もう片方の手には鍋を持っているのだ。彼は棒と鍋を剣と盾のように構えながら、セリナにゆっくりと近づいてきた。その様は、原始人の剣闘士のようである。
さらに、とんでもないことを叫び出した──
「お前は泥棒か!? そんな派手な格好をして、泥棒なのか!? 何を盗むのだ!? わしのハートか!? ハートを盗みに来たのか!?」
直後、手に持った棒で鍋を打ち鳴らしたのだ。カーン! という音が響き渡った。
セリナは立ち尽くし、目を見開いたまま後ずさる。
えっ、なにこの人!?
本当に、偉大な預言者さまなの!?
一方、老人の方は血走った目でまた叫ぶ。
「それとも……アレか!? お前は殺し屋か!? わしを殺しに来たのか!? そんな派手な格好のくせに、殺し屋なのか!? わしのハートを殺しに来たのか!?」
直後、ピョンと飛び跳ねたかと思うと、またしても棒で鍋を打ち鳴らした。カーン! という音が響き渡る。この行動に何の意味があるのか、さっぱりわからない。
理解不能な事態に、セリナは呆然となり立ち尽くしている。そこに、ジェイクが洞窟の奥から戻ってきた。眉をひそめながら、口を開く。
「おいジジイ、外にいたのかよ。まずは静かにしろ。やかましいぞ。セリナが怖がってるじゃねえか」
直後、ジェイクはセリナに向き直る。
「こいつがデリシャスだ。騒がしい奇人で変人だが、本物の預言者だよ」
「は。はあ……」
困惑するセリナ。一方、デリシャスの矛先はジェイクへと移ったらしい。
「誰が騒がしい奇人で変人じゃあ! ジェイク! お前は失礼だあぁ! 失礼きわまりない! 断罪じゃあ! 断罪してやる! 断罪断罪また断罪じゃあ!」
叫び、棒で鍋を打ち鳴らす。カーン! という音が響き渡った。
だが、ジェイクは怯むことなく近づいていく。
「そういうなよ。今、マッサージしてやるからさ。機嫌直してくれよ」
言った途端、デリシャスは棒と鍋を投げ捨てた。ジェイクに背を向け、その場に座り込む。
「マッサージやれ。さっさとやれ。早くやれ。でないと、お前は明日の昼頃、生きた死体に羽交い締めにされて泣き叫ぶことになるぞ」
わけのわからないことを言うデリシャスだったが、ジェイクは平気で肩を揉み始める。
しばらく黙って見ていたセリナだったが、我慢できなくなり口を挟む。
「ジェイクさんて、マッサージできるんですか?」
「おう、俺は霊拳術士だからな。人を壊すことと治すことは表裏一体、それが霊拳術の基本的な考え方だ。壊すことだけできて、治すことができないのでは意味がないからな」
その時、デリシャスも叫び出す。
「そうじゃあ! それは正しい! 破壊なくして再生なし! 再生なくして破壊なし! 万物は全て、陰陽が一体にならねばならんのじゃ! わかるか女!?」
「は、はい!」
セリナは、慌てて答えた。わけがわからない、などと言ったら、何をされるかわからない。
一方、デリシャスはまたしても黙り込んだ……だが、それは長く続かなかった。
「思い出したぞ! ジェイク! 貴様フィオナはどうした!? なぜフィオナを連れてこない!? まさか別れたのか!?」
突然、叫び出したデリシャス。途端に、ジェイクの顔が歪む。マッサージの手も止まった。
すると、デリシャスは何かを感じ取ったらしい。それまでの狂気の表情が消え、オロオロした顔つきになる。
「な、なんだ!? どうしたのだ!? 何があった!? わしはマズいことを言ってしまったのか!?」
叫ぶデリシャスに向かい、ジェイクはそっと口を開く。
「フィオナは死んだよ」




