ライブラ教の聖女
ユリウス将軍が「家の中の事故」により、重傷を負った翌日のこと。
イスタル共和国の辺境にある村で、ちょっとした騒ぎが起こっていた。男たちが数人集まり、罵声を浴びせているのだ。
そして男たちから離れようとしているのは、三人のマントを羽織った者たちであった。背格好からして家族のようである。
「こいつらヨアキム病だぞ!」
「やっちまえ!」
「さっさと消えろ!」
「二度とこの辺に近づくな!」
喚きながら、男たちは三人家族に石を投げつける。三人は必死で避けようとするが、子連れゆえに早く動けないのだ。
だが、そこで声を発した者がいた。
「や、やめなさい!」
叫びながら入ってきたのは、まだ若い女性であった。彼女はライブラ教聖女の証である紺色の修道服を身にまとい、細かく折り目の入った胸元のヴェールが肩にかかっている。裾は床近くまで届き、歩くたびに静かに揺れた。
首から下げた銀製の聖印のペンダントは、光を受けるたびに淡く輝き、聖なる使命を帯びた者の存在感を際立たせていた。
髪は金色であり、聖女の規律に従いきちんとまとめられており、額を覆うヴェールの隙間からは、緊張と決意が入り混じった澄んだ瞳が覗いている。唇はわずかに震え、息を整える間もなく言葉を紡ぎ出そうとしている様子だった。
その姿は、若さゆえのあどけなさと、神聖な使命感が同居する神秘的で力強い雰囲気を漂わせていた。
「あなたたち、恥ずかしくないのですか? この大人数で、年端もゆかぬ子供を相手に──」
「だってよ、こいつらはヨアキム病なんだぜ!」
その言葉に、聖女の顔が歪む。だが、男たちはなおも罵声をやめない。
「ヨアキム病は、悪いことをした奴がかかる病気なんだろ!」
「悪い奴なら、やられて当然じゃねえか!」
「そうだそうだ!」
聖女は、うつむくことしかできなかった。確かに、ライブラ教の教えによれば、ヨアキム病は前世に重ねた悪行ゆえにかかるもの。ゆえに自業自得である……ということになっているのだ。
にもかかわらず、聖女の心は痛む。この状況を、黙って見ていなくてはならないのか? という疑問が、胸に湧き上がっていた。
怯んだ聖女を尻目に、男たちは家族に襲いかかろうとした……が、新たに割って入った者がいた。
「お前ら、目障りなんだよ。失せろ」
低い声で凄んだのは、ジェイクであった。その声が響いた瞬間、男たちの動きが止まる。硬直した空気の中で、わずかに肩が揺れるだけだ。
それを見逃さなかったジェイクは、一歩も動かずに手を伸ばす。目の前の男が握る樫の棒は、槍ほどの長さがあり、剣を受け止めることもできる硬さだ。
もっとも、ジェイクには関係なかった。手を伸ばして棒をつかみ、ぐっと力を入れる。
直後、乾いた音が空気を切り裂く。棒は、一瞬にしてふたつに砕けてしまったのだ。男たちは目を見開き、息を飲む。
「な、何だ、こいつ……」
ひとりが発した声を無視し、ジェイクは周りの男たちを見回した。
少しの間を置き、口を開く。
「これ以上やるなら、俺が相手になるぞ。どうするんだ?」
言いながら、ジェイクは前に進み出る。と、男たちの顔が恐怖に歪む。
次の瞬間、蜘蛛の子を散らすように逃げて行った──
ジェイクは消えていく男たちを無視し、家族のそばに近寄る。どうやら、三人ともヨアキム病にかかってしまったらしい。特徴的な腫瘍が、顔にまで出ている。
そんな三人に、ジェイクは顔を近づけていった。
「お前ら、これからどこに向かうんだ?」
「えっ? いや、行くところなどないです。村を追い出されてしまったので……」
父親らしき者が答えた。すると、ジェイクはニヤリと笑う。
「そうか。なら、ちょうどいい。これから二日間、俺と同行するんだ。そして俺の言うことを聞け。いいな?」
その言葉に、三人は震えながらも頷いた。と、そこに聖女が声をかける。
「な、何をする気ですか?」
しかし、ジェイクは無言のまま草を引っこ抜き始めた。見れば、ノコギリ草である。ノコギリに似た葉が特徴的な、どこにでも生えている雑草である。
ジェイクは三人に向かい、引っこ抜いたノコギリ草を渡した。
「いいか、今日から二日間、このノコギリ草を煎じた汁を飲め。一日に三回から四回だ。その代わり、俺はあんたらの用心棒を務める。誰にも手出しはさせない」
「はあ? あなたは何を言っているのですか?」
横から言ってきた聖女を、ジェイクはゆっくりと見上げた。
「あんた、名前は?」
「セ、セリナです」
「じゃあセリナさん、二日後にこの家族がどうなってるか、よく見ておきな。あんたらの言う業病が、見事に治ってる姿を見ることになるぜ」
途端に、セリナは表情を変えた。
「な、何をバカなことを言っているのですか!? ヨアキム病は治りません! これは、教典にもちゃんと書かれています!」
「じゃあ、治ったらどうするんだ? あんたの体を、俺の自由にしていいか?」
いやらしい表情で尋ねたジェイクに、セリナは顔を真っ赤にして怒鳴る。
「ふ、ふざけないでください! そんなこと、私は絶対にしません!」
「そうかい。だったら邪魔しないで、さっさと失せろ。俺は、必ずこの家族を治す。無能で無知な聖女さまは、教会で何の役にも立たないお祈りでもしてるんだな」
あまりにも挑発的な態度に、セリナは体を震わせる。無論、怒りゆえだ。
「無能で無知、ですって……」
「そうだろうが。あんた、この家族がリンチされてた時に何してた? ただ、ボーッと突っ立ってただけじゃねえか」
その挑発的な言葉に、ついにセリナの怒りが爆発した。
「では、こうしましょう! もし、この家族の病を本当に治せたなら、私はあなたの言うことを何でも聞きます!」
「じゃあ、あんたもついて来るんだな? このヨアキム病患者と、生活を共にする覚悟があるんだな?」
「あ、あります!」
「ほう、いい度胸だ。なら、ついて来な。あんたに、世の中の真実を見せてやる。教典に書かれていることが全てじゃねえって、あんたにもわかるだろうよ」
それからの二日間、セリナにとって信じられないことが起きた。
まず一日目、ヨアキム病特有の腫れ物が少しずう消えていったのだ。それに伴い、体調も回復していく。
特に効果がはっきりあらわれたのは子供であった。僅か一日、ノコギリ草を煎じた汁を飲み続けただけで、顔の腫瘍はほとんど消えてしまったのである。背中には少し残っているものの、目立つほどのものではない。
「こ、こんな……有り得ない」
呟いたセリナに、ジェイクはクスリと笑った。
「あんたらの常識では、有り得ないことだったんだろう。でもな、現にこうやって治っているんだよ」
ジェイクに言われ、セリナは肩をがっくりと落とした。下を向き、体を震わせる。表情は暗く、目は虚ろであった。
ややあって、その口から声が漏れる。
「私は……私は間違っていたのですか? 私の今まで学んできたことは、何だったのですか?」
「いや、あんたの信仰は間違っちゃいないよ。現に、あんたらの治癒魔法は大勢の人の命を救っている。ただ、ヨアキム病には効かないというだけの話さ」
その言葉に、セリナは顔をあげた。
ジェイクは、にこやかな表情で彼女を見下ろしている。
「見ていろ。このままノコギリ草の汁を飲ませていけば、この家族は必ず完治する。ヨアキム病は、前世の罪なんてものは関係ないんだ。あんたが、この先もライブラ教を信じるのは自由だし、止める気もない。ただ、ヨアキム病患者を差別するのはやめてくれ。俺のして欲しいことは、それだけだ」
その言葉に、セリナはうつむいた。胸の中では、様々な思いが渦巻いている。
このまま、教会に戻るのは簡単だ。しかし、それでは今までと同じだ。いくら教典を読み、司祭の説法を聞いても、わからないことはある。現に、ヨアキム病の治し方を今までわからなかったのだから……。
少しの間を置き、彼女は再び顔をあげる。
「あなたは、この先どうするのですか? 何か目的があって旅をしているのですよね?」
「えっ? ああ、そうだが……」
「では、私もついて行きます」
「はあ!?」
素っ頓狂な声をあげたジェイクに向かい、セリナははっきりと宣言する。
「私とて、ライブラ教の聖女の資格を得ています。治癒魔法も使えますし、戦いの心得もあります。あなたのお役に立ってみせます。ですから……私に、この世の真実を見せてください」




