回想・ジェイクの想い
俺があいつに本気で惚れたのは、あの村でゲロ吐く姿を見てからだ──
その日、俺は昔の知り合いからの頼みで、ゴブリンの群れに襲われている村を助けに行った。本当は面倒くさかったんだよ。なんで俺が、そんなことしなきゃいけねえんだ。しかも、料金は格安……たまんねえよ。
けどな、どうしてもと頼まれちまったんだ。それによ、昔からの因縁もあってな。断われない相手だった、ってわけよ。
ゴブリンの群れなんざ、俺にかかりゃチョロいもんだった。さっさと終わらせ、馬車に乗って帰っていた時だ。
途中で、悪名高き『ゴミ捨て村』を通ったんだよ。無論、これは正式名称じゃない。この辺の連中が、ヨアキム病にかかった奴を捨てていく場所さ。そう、ヨアキム病患者は、大半の人間にとって見ればゴミと同じなんだよ。
とまあ偉そうなこと言ってるが、あの頃の俺も、そう思っていた。
ところが、通りかかった俺はぶったまげたね。なんと、そのゴミ捨て村にズカズカ入り込んでいった奴がいる。騎士の鎧を着た女……そう、フィオナだったんだよ。最近知り合い、武術を教えるようになった女騎士だ。しかも、何とか騎士団の団長であり、なんちゃら公爵の娘だとも言っていた。
そんな女騎士さまが従者も連れず、たったひとりでゴミ捨て村に乗り込んでいってるんだよ。俺は、頭がおかしくなったのかと思ったね。
あのバカ、何をやっているんだ!?
俺は慌てて馬車を停めさせ、フィオナの元に走った。
「お、おい! 何やってんだよ! さっさと逃げろ! こいつら、ヨアキム病に侵されちまってる! うかうかしてたら──」
「ヨアキム病は治せるんだ!」
振り向いたフィオナの口から、そんなセリフが飛び出してきたんだよ。
俺は、想像もしなかった言葉に唖然となっていた。だが、どうにか言い返す。
「バカ言うな! ヨアキム病はな、ライブラ教の治癒魔法ですら治せないんだぞ! これはな、前世の悪事がどうとかで──」
「確かに、ヨアキム病にはライブラ教の治癒魔法は効かない! だがな、別の簡単な方法で治るんだ!」
「な、何だと……」
俺は、ぶったまげて立ちすくんでいた。この女、何を言っているんだ? 本当に、頭がイカレちまったのか? などと、いろんな考えが頭の中をぐるぐる回っていた。
しかし、フィオナはなおも言い続ける。
「手伝えとは言わん! 私を信じるなら、この場にとどまって見ているだけでいい! 私が信じられないなら、ひとりでさっさと逃げろ! とにかく邪魔だけはしないでくれ!」
「わ、わかった」
俺は、彼女の迫力に押されちまった。それ以上は何も言えず、アホみたいにフィオナの後をついていき、彼女の動き回る姿をじっと見ていることしかできなかったんだ。
あん時のフィオナは、本当に凄かったよ。
俺だって、霊拳術士になるために人一倍修行した。また、修羅場もさんざん潜ってきたよ。ドラゴンの吐いた酸で溶けかけた人間を見たこともあったし、オーガーに襲われ手足を引きちぎられた人間を見たこともある。人食い族の集団に襲われ、ジャングルの中で一晩中戦い抜いたこともあった。あん時は、何人殺したのか自分でもわからないくらいだったよ。
そんな俺でも、あれはビビったね。体中に腫れ物のできた患者たちを寝かせ、たったひとりで縦横無尽に動き回り治療をしてるんだ。
しかもさ、匂いがまたキツイんだよ。血、膿、糞尿、吐瀉物などなど……あれはな、地獄の方がマシなんじゃねえかって思うくらいのものだった。あの体験があるせいか、俺は大半の匂いに耐えられるようになっちまったくらいだ。
しかもだ、不治の病であるはずのヨアキム病患者たちが、見ているうちに症状がよくなっているんだよ。あれにもビビらされたね。フィオナの言っていることは、本当だったんだ。
騎士の鎧を脱ぎ捨て、必死で動き回っていたフィオナ……だが、彼女は不意にこっちを向いた。
「ノコギリ草を摘んでくれ! 出来るだけたくさんだ!」
「はあ? ノコギリ草?」
俺は唖然となっていた。ノコギリ草は、どこにでも生えている雑草だ。便所の脇だろうが、石畳の隙間だろうが、どこにでも生えてくる。そんなものを摘んで、どうしようというのか。
「そうだ、ノコギリ草だ。ノコギリ草を煎じて飲むと、ヨアキム病は治る」
フィオナは、真顔でそんなことを言い出した。普段の俺なら「バカ言うな」の一言で立ち去っていただろう。
だが、その時のフィオナの表情は……何ていうか、国王ですらビビらせるものだった。もちろん、俺に逆らえるはずもない。すぐに外に出て、ありったけのノコギリ草を引っこ抜いて彼女の前に出した。
すると、彼女は目に涙を浮かべ、こう言ったんだ。
「頼む。この人たちにノコギリ草を煎じた汁を飲ませてくれ。お願いだ、後で何でもするから……」
俺は、美女の頼みを断ったことはない……いや、ないこともないが、大抵は断らない。
ましてや、今のフィオナの頼みを断るなんて、できるわけがない。俺は、すぐさま見様見真似でノコギリ草を潰して飲ませていったんだ。
「頼んだぞ。私は少し、外で休む」
そう言うと、フィオナは出ていった。
俺はというと、柄にもなく必死になっていた。井戸から水を汲み、ノコギリ草をすり潰し、患者らひとりひとりに飲ませていく。
やがて、ひとりの患者が起き上がった。まだ若い青年だ。俺よりひとつふたつ年下だろうか。
「すみません。俺に手伝わせてください」
そう言うと、よろよろしながらも水を汲みにいったのだ。
俺はホッとした。人手が増えたし、これで少しは楽になる……その時、フィオナのことを思い出した。
あいつ、どこに行ったんだ?
俺は、外でフィオナの姿を探した。が、すぐに見つかった。
フィオナは、村外れで吐き戻していた。さすがの彼女も、限界がきたのだろう。そりゃそうだ。ほとんど飲まず食わず寝ずで動き回ってたんだ。どんな人間でもおかしくなるよ。
俺の目の前で、フィオナはなおも吐き続けていた。普通の男女なら、百年の恋も覚めるシーンなのかも知れない。だが、俺は真逆だった。彼女の姿から、目が離せなかった。
こんなになるまで、無理しやがって……気がつくと、近づいてフィオナの口の周りを布で拭いていた。
と、フィオナは両手で俺を押してきた。吐いている姿を見られたのが、よっぽど恥ずかしかったんだろう。
「み、見るな……」
その声には、力がなかった。俺は、そんな彼女を抱き上げる。そのまま、比較的きれいな掘っ立て小屋に寝かせた。
「君は休め」
「バカを言うな。休んでなどいられん」
「君がここで倒れたら、誰が村の人間を救うんだ? 後は、俺に任せろ。俺だって、ノコギリ草を煎じて飲ませるくらいできるからよ」
「しかし……」
「いいから、俺を信じて今は眠れ」
「すまない、頼んだぞ」
そう言うと、フィオナは眠り込んでしまった。
俺は、フィオナに教わったことをやり続けた。ノコギリ草を摘み、磨り潰し、患者たちに汁を飲ませる……他に、どうすればいいのかわからない。ただ、その作業を続けることしかできなかった。
いつの間にか、膿や糞尿や吐瀉物の匂いにも慣れちまっていた。手際も良くなっている。
さらに、苦しそうな顔をしていた連中が、気がつくと寝息を立てていた。心なしか、顔色もよくなっている。俺のやったことが効いたのだ。
俺は、あの日初めて「命を奪う」のではなく「命を救う」ことを知った。
それは、形容のできない熱い思いと、心からの喜びが入り混じったものだった。
ふと気づくと、夜が明けていた。
俺は、外に出て日の光を浴びた。こんな形で、朝日を拝むのは初めてだ。なんか、いい気分だったよ。
その時、声をかけてきた者がいた。
「本当に、ありがとう」
フィオナだった。昨日よりは、随分と顔色が良くなっている。たが、それでもやつれていることには代わりない。俺は苦笑した。
「いいよ、まだ寝てな。病気のことはよくわからんが、苦しんでた連中はみんな眠ってる。だいぶ楽になったみたいだな」
「そうか。それにしても、頑丈な奴だな。さすが、霊拳術士だ。私とは違うな」
「何を言ってんだよ。君が治し方を教えてくれなきゃ、俺は何もできなかった。ここの村人を救ったのは、君さ。君こそ、この村の救世主さ」
冗談めかして言った時、フィオナは真剣な表情になった。救世主という言葉が、裡に潜む何かを刺激したらしい。
「私はな、夢があるんだ。いつの日か、国境をなくしたい。世界をひとつに結んで、誰もが幸せに笑える。そんな世の中にしたいんだよ」
聞いた時、俺は内心では笑っていた。そんなことは、無理に決まってる……と言おうとした。
だが、そんな突拍子もない夢を堂々と語るフィオナの姿は、朝日の下でこの上ないくらい美しく見えた。
フィオナについていき、何を成し遂げるのか見届けたい。
この女に、俺の全てを捧げたい。
そんな柄にもない想いが、俺の中に芽生えていたんだ……。




