第5話 魔王陛下を病気にさせるな
ナザガランが夏の季節に入る前、国土全域に風邪の症状に近い呼吸器系の病気が流行った。
地球で言えばインフルエンザのような物だ。
その病気はグリーピーという。
病原菌が猛威を振るい、各個人がバタバタと高熱を出して倒れて行った。
呼吸器系の持病のある者以外では死亡する事はないのだが、それでも高熱は3日程続き、頭痛や倦怠感も酷い。
魔法を扱う魔族の国ではあるが、病原菌に抗う術は持ってはいなかった。
回復魔法を使う者はいるが、物理的な身体の怪我の治療が主であり、病気に関しては薬草や竜の身体や鱗を漢方薬の様に扱った薬を用いる他はなかった。
「魔王陛下には絶対ご病気をうつすな!」
ナザガランではこの言葉は至極当たり前の様に言われていた。
ヴェイルが王太子の頃は「王太子には絶対ご病気をうつすな!」であった。
要するに彼を病気にさせる事は、避けるべき事柄として国内では有名だったのだ。
しかし、目に見えない病原菌の前にその掟とも言える絶対命令はあっさりと敗北する。
「……すまない、どうもグリーピーに罹ってしまったようだ……」
呼吸を荒くし、赤い顔をしてフラフラしながら自分の元に言いに来たヴェイルを見て、執事のアレイガスは戦慄を覚えた。
ベッドに寝かせ、熱を計ってみるとかなりの高熱である。
「陛下、すぐに氷枕とお水とお薬をお持ちします!ああ……しっかりなさいませ……」
彼はヴェイルの看病を一通り済ませると、急いでグラディスとパトラクトラに連絡をした。
「グラディス陛下、王太后様!大変です、魔王陛下がご病気になられました。かなりのお熱を出されています!」
「何っ?!」
「なんだと?!」
2人は驚いた。
「いかん、至急全ての兵に伝えろ!ナガザラン国境にある結界塔30基の塔門解放!第一から第四部隊の火焔特性及び風特性術者は全員ホールに集まれ!」
「城内災害用通風管解放!術者は6交代制で常に温風を城全体に送れるように配備しろ!」
グラディスの迅速な命令は即日実行された。
程なくして、ナガザラン全土を覆うほどの雪雲が現れ、恒星の光を遮ってしまった。
夏に入る季節にも関わらず大きな牡丹雪が降り出し、静かに積もり始めてしまう。
それだけではない。
暖かな風が止み、地表も凍て付き始め、霜が土を持ち上げ水たまりには氷が張り出した。
人々は寒さに震え、動物達は冬籠に入ってしまった。
氷特性の魔力が強力なヴェイルがひとたび病気になってしまうと、ナガザラン全土が冬となり凍ってしまうのだ。
「久しぶりの事態だが……ここ数年、アイツが風邪系統の病気になると何故か気象が変わってしまうな……」
グラディスが呟く。
「あの子がトラフェリアにいた頃に熱を出した時にはこんな事にはならなかったのだが。怪我の治癒で寝込んだ時もだ。確かに病気の時だけだな。
それだけ成長して魔法力が向上したということなのだろうか?」
パトラクトラが急に寒くなった為に、冬用のドレスを侍女に出せさて着込みながら言った。
しかし嘆いていても仕方がない。
「各結界塔に術者の配置は済んだか?防御結界に熱を込めたものを全域に張らせよ。国土を凍り付かせる訳にはいかない」
「はい!」
兵達が一致団結し、温感を込めた結界を全域に張り続ける。
それでも降り続ける雪は止められず、積雪が80ルドル(約80センチ)程になった。
通達が入っていた国民達が、やれやれと言った具合で雪かきを始めている。
突然北方向から猛烈な吹雪が押し寄せ、一時的に結界を破ってしまった。
「うわあ!」
「なんて強力な吹雪なんだ!」
「陛下……今、咳をなさったな……」
一瞬で白さが増した城下町の一角で慌てる住民の姿を見て、全身全霊で結界を張り続ける兵達が嘆く。
その頃、部屋ではヴェイルが連続で苦しそうに咳をしていた……
「火焔・風魔法が出せる者、第一、第二部隊所属者は魔王城地下一階通風管前に集合!
第三、第四部隊は中二階通風管前だ!」
グラディスとリュークが指揮を執る。
地下と中二階にある広域通風管が数十本並ぶ広い空間に術者が待機する。
交代で火焔魔法を発動、及び維持の為に薪に焚き付けるなどしてその熱気を風魔法で通風管に送って行く。
勿論有害な気体が溜まらないように換気にも気を付けて作業をする。
ヴェイルが寝込んでしまっている魔王城が一番凍り付いてしまう場所なので、城内全域の暖房は死活問題となる。
彼らのお陰で広大な魔王城の全ての空間がなんとか通常の気温に保たれて行った。
……ヴェイルの部屋だけは、全体が氷と氷柱に覆われた空間になっている……
「高熱を出して寝込んでいるくせに部屋が凍り付くとは。理解に苦しむな」
パトラクトラが呟いた。
しかし執事達は氷特性ではないので、比較的耐性がある彼女が彼の看病をした。
「……高熱には額を冷やせばいいのだろうか。そこらの氷柱を折って乗せておいても良さそうだ」
極寒の部屋でコートを着込んだパトラクトラが小首を傾げる。
「母上……やめて……濡らしたタオルにして……」
「目が覚めたのか。しかしタオルが額にくっついてしまわないか?本当に熱いのか冷たいのか……」
「ごめん……それより国はどうなっている?」
朦朧とした意識の元でヴェイルが聞く。
「国土と城内が凍り付いて来ているが、火焔と風の術者達が頑張っている。彼らにとってもいい訓練になるよ。
連日の業務で疲れも溜まっていたんだろう。心配せずにお前はゆっくり休め」
パトラクトラが微笑んで言い、凍えた自分の手先を彼の額に乗せた。
「熱くて良かった。手が暖まる」
「それはどうも……」
ヴェイルがそう言ってフワリと笑った。
3日後、彼の熱がようやく下がり、ナガザラン上の雪雲も消えていった。
恒星が顔を出し、暖かな光が差し込み出し、国中に1ガルドル(約1メートル)程の高さに積もっていた雪も溶け始めた。
竜使いに操作された何頭もの炎竜が大通りをゆっくりと歩き、弱めの炎を吹き付けて雪を溶かして行く。
たまたまこの国に行商に来ていて、動けずに足止めを食らっていたタイカーシアのダークエルフ2人組の内の1人が、泊まっていた宿の主人に言った。
「いやあ……流石魔王様ですね。とんでもない威力だ。比較的温暖なナガザランの城下町に何故『流雪溝』が設置されているのか、今回の事で分かりましたよ」
「これ、定期的に起きるんですか?」
もう1人が聞く。
宿の主人はふう、と息を吐いて、
「まあ……その年の流行り病の程度によるな。本格的な冬になるよりはマシだけど」
と言った。
災害警戒態勢がやっと解除され、交代で術を使い続けていた兵達も安堵する。
「……やっと元に戻ったか……大変だったな」
グラディスがポソリと言った。
「ヴェイルって普段余程魔力を抑え込んで生活してるんですね。魔力量は未知数なんですか?」
リュークが聞く。
「そうだな。特性上は地味に見えるが、例えば『重力圧殺』にしても、この惑星の重力を部分的に圧縮させる程の魔力を出す訳だしな……我が息子ながら計り知れないよ。無茶もするし」
「そうですね……それにしてもヴェイルが回復して本当に良かったのですけれど……こう言うと失礼ですが、急激な気温変化においては、敵国が攻め込む時よりも国が危機に晒された事になりませんか?」
グラディスが肘を付いて顎を手に乗せ答える。
「それな。何処かの国に大きなダメージを与えるなら、兵を送り込むよりヴェイルに風邪でも引かせてその地に放り込む方が早いんじゃないか、と今ふと思ったよ……南国とか特に」
「『最終兵器ヴェイル』ですか……酷い扱いですね」
リュークはそう言いながらも想像したのか、少し笑った。
「あらまあ大変ねぇ……」
(トラフェリア国女王ハウエリア・談)




