平等さ
猫が死んでいた
蝉が腹を上に向け
羽を地に着け落ちている頃だ
道路の隅
歩道には上がらずに
その猫は横たわっている
黒い縞の猫だ
車を止めて近寄ってみる
私は横たわる縞猫を見つめた
猫は私に背中を向けている
この猫は
どんな顔をしているのだろう
伸ばした手がまるで
走ろうとしているように見えた
市役所に問い合わせた
‘今処理にお伺いできる職員がいないので
夕方ごろの回収になってしまいます’
言葉とは不思議だ
処理と回収と聞いた途端
目の前に横たわる猫が
命が在ったものだと思えなくなる
私が目にしているものは
まるで朽ち果てて道路に転がる
老木だったのかもしれない
言葉だけを聴いていたら
そう
思い込んでしまうかもしれない
でも
ここに居るのは
紛れもなく猫なのだ
私は電話を切った
そして
自宅へと向かった
家から青色のタオルと小さな箱を
持って
再び猫の居る場所へ戻ってきた
猫はそこに居た
私は猫を抱き上げた
きれいな顔をした猫だ
タオルが優しく猫を包む
硬く冷たい
伸びた両腕が曲がらない
この世界に置いて行ったのは
肉体と肉体の持つ自由の権利だ
頭を撫でた
この猫は生きていた
そして
いつか死んだ
誰にも知られることなく
死んだんだ
私は再び頭を撫でる
この猫は誰かに抱かれたことが在ったのだろうか
右の耳が三角形に切られている
去勢済みの標だ
耳に刻まれた三角形が教えてくれることは
この猫はが
誰か人間に一度は触れられたことが在るということだ
胸がつまる
どうか
人間との触れ合いが
その耳に空いた三角形のためだけにあったのでは
ありませんように
小さく願った
私の腕に抱かれる猫からは抵抗や動きが無い
だから
とても とても 軽く感じた
軽く焼いた
発泡スチロールを抱きかかえているみたいだ
私はタオルに包まれた猫を箱の中へと静かに寝かせた
そして
運転席に戻り車を走らせ始めた
花が無い
気づいた
何故気づかなかったのだろう
胸が慌てて脈を大きく打つ
箱とタオルだけで
送り出すつもりなのか
ありがたいことに
ここから近くに花屋があった
大柄な男性二人で経営している花屋だ
私は店へと入り
車で待つあの猫に似合う花を探した
最も美しいもの
最も
あの猫にふさわしい花を選ぶ
薔薇があった
初めて見る薔薇だった
何色もの色をした花びらが
まるで雨上がりにかかる虹の様だった
私は生まれてこの方バラの花を買ったことがない
薔薇を一つ手にした
引き抜かれた薔薇の茎から水が垂れた
薄水色の花と桃色の花をも加えた
‘これは自分用?’
男性が聞く
‘ううん、猫用’
それを聞くと店員さんは頷き 店の奥へと入って行った
所狭しと花が居る
選ばれるのを待っている
私は全ての花と目を合わせることは出来なかったが
いくつか
そっぽを向いている花だけを眺めていた
さっき選んだ花達は綺麗にラッピングされて
花達は私の元へと戻って来た
ピンクのリボンまでかけられている
お礼を言った
車の中で猫は待っていた
私は花束を猫の横に寝かせた
車を走らせた時
ふと思った
この猫は
あの場所から出た事がないのかもしれないな
地域猫
野良猫
そう呼ばれる者達は
食事が置かれるその場所を離れることはあまりないのだろう
初めての遠出
初めてのドライブか・・
窓から青空は見えているのだろうか
窓を開ける
空には刷毛雲が流れる
いい天気だ
風は届くのだろうか
涙が出た
私の砕けたエゴの塊だ
かわいそうという感情とは違う
それとは全く違うものだったんだ
いつかある人が言っていた
‘人生なんて意味がねえ’
本当だろうか
私は考えた
無意味な人生なんてあるのだろうか。
‘食うために同じ場所で仕事して
同じ家に帰り
同じ日々を繰り返すだけだ。全く無意味だな、人生は
若い頃からずっと変わらねえ、ただの、ただの、毎日の繰り返しだ
人生っつうもんは
全く平等じゃねえ‘
この猫は
あの地に居たのだ
私はこの猫が死んでいた場所から
さほど離れていない場所にご飯が置かれているのを見た事が在る
この猫は そこに居る猫は
その場所が命を保つ食卓なのだ
喰うためにいる場所なのだ
喰うためには離れられない場所なのだ
他よりもここに居たいと望んだ場所なのだろうか
飯のために離れられなかった場所なのか
生きるために
選択肢がなかったのか
私はある人の言葉と
この猫を重ねていた
人一人の人生は
この世界の全てに知れ渡る事はない
公に死ぬ者も居れば
静かに死ぬ者もいる
生きている間に
与えられるものも在れば
死んでから
与えられるものも在る
生きている間に
与えることが出来るものも在れば
死んでから
与えることが出来るものも在る
この猫は
最後の形を私に見せてくれた
今日出逢ったばかりの
私に残した体を任せてくれた
生きている時に
抱かれることがなかったとしても
今
猫は確実に抱かれた
これは
不平等と呼ぶのだろうか
生きている側からだけみたなら
真っ当な
不平等なのかもしれない
私は猫に見せてもらった気がした
人生は
きっと
無意味なんかじゃない
生きているか
生きていないか
その隔ては
神と呼ばれるもののもとにおいては
無いに等しい
それを
取っ払って
平等と呼べるのか
この猫は
置いて行った肉体で
不公平に見える平等性を私に見せた
生きている内ではなく
死んでから
在った平等性だ
人間にとって何より怖いと思うことは
無関心にされることと
忘れ去られてしまう事だと思う
もしかしたら
命あるもの全てに通じることなのかもしれない
お寺に着いた
私は箱の中に横たわる猫に左手を添えた
丁度胸のあたりを二度ほど撫でる
縞の猫
今日初めて出逢った猫
そして
今日別れる猫
初めて出逢う者同士が無言の中共にした時間
絶対に
忘れないから
ありがとう
心臓の真ん中で呟いた
車へと一人戻った
トンボがつがいで飛んでいた
秋になるんだ
季節が一つ 死ぬんだ
そう感じた