第9話 警察官、ラーメンを煮る
金が、ねえ。
STXサーバーにログインして、警察署に出勤したその瞬間、俺はふたたび現実を思い知る羽目になった。
「で……俺はいま、あといくら借金が残ってるんだっけ?」
タブレットで自分の口座情報を確認して、思わず天を仰ぐ。初日で背負った五億の負債に対して、昨日一日で稼げた金額は――
「三百六十五万。は?」
警察ロール、ぜんっぜん儲かんねえ。
そりゃそうだ。巡回して、交通違反を注意して、犯罪を取締り、逃げる犯罪者の車を追跡して、捕まえたら牢屋にぶちこんで刑務所に送って、報告書を書いて、それで終わり。バズ要素ゼロのガチ公務員プレイ。コメント欄の視聴者は、そんな俺の姿に呆れてるのか、鳩と煽りの嵐を浴びせてくる。
《犯罪すれば秒で返済できるのに何してんのw》
《ギャング入れよギャング!》
《タカアキ、闇落ちルートまだ?》
「うっせえな……」
つい口に出してしまった。反応するように、さらに鳩が飛んでくる。
《てかミラちゃん、カフェ店員やってるらしいよ?》
「……え」
思わず手が止まった。星灯ミラ。あの、天使ボイスのVtuberが?カフェで?市民ロール?
鳩の情報なんて信用できない、と思いつつも、まったく無視できない自分がいた。けど、今は任務中だ。俺は警察だ。真面目にやってるんだ。
「借金は、俺の責任だ。RPで返す。それが筋ってもんだろ」
そう言い聞かせながらも、心の奥でひとつ、氷が溶けていく音がした。
そして三日目の夕方。
俺のもとを、二人の訪問者が現れた。
「Yo!久しぶり~っ。相変わらず堅物RPしてるんだ?」
まず現れたのは、ギャング「BLACK NEST」のボス、花菱フィーナ。ピンク髪に紫のサングラス、露出多めのギャングファッション。
「ねえ、うち来ない?一緒に、この街ひっくり返そうよ。五億?そんなの、明日までに稼げるって」
フィーナの誘いは甘く、耳障りのいい言葉で満ちていた。だが俺は首を横に振る。
「悪いが、ギャングに落ちる気はねえ」
「そっかあ、残念。でも、いつでも待ってるからね~ん」
次に来たのは、情報屋の九条レム。知的な眼鏡と黒コート。どこか冷たさを感じさせるVだ。
「銀行襲撃イベントの件、警察側のフォーメーション、売ってくれたら五億出すよ」
その言葉に、手が止まりかける。でも。
「悪い。俺、まだ“警察”でいたいんだ」
レムはふっと笑って、「そ、そう」と言い残して去っていった。
夜。仮眠室の端っこで、俺は一つの決断をする前に、最後の相談相手に連絡を取った。
「……シオン署長、少し時間、いいですか」
通話に出たのは、警察署長ロールのシオン・グレイウッド。別サーバー出身のRP熟練者だ。
「君が本当に借金を返したいなら、警察を辞めて、営利目的の商売をした方がいい。たとえば、ラーメン屋だ」
「ラーメン屋……?」
「Vtuber好きの君なら、こういうキャンペーンもありだ。“推しVの情報くれたら、替え玉無料”とかね」
「それ……儲かるんすか?」
「警察と市民より、市民と市民の方が、遭遇率は高いよ?誰とは言わないけどね」
その言葉が、胸に残った。
「……署長、俺、警察辞めます」
翌朝。ラーメン屋開設申請が通った通知が来た。
モニターの向こう、俺の配信を見ている視聴者たちに向かって、俺は言う。
「じゃあ、始めますか。今日から俺は――ラーメン屋だ」