第7話 ログイン、ポリスと推しの影
イベント開始の三十分前。ディスコードの待機所通話チャンネルに、俺はひとりで入っていた。
STXのストリーマー専用サーバーイベント──それなりに注目度の高い催しだ。緊張がないとは言えない。けれど、そう悪くない緊張だ。
そんな中、通話の参加者リストに新しい名前が現れる。
「やっほー、先に入ってたのタカアキ君だけ?」
空劫ユエ。ゲーム特化Vtuber事務所『ぶいれいど』の看板的存在のひとり。百数十万人の登録者を抱えた格ゲーの名手にして、FPSでも通用するマルチゲーマー。ぶっちゃけ、俺がVにハマってから追いかけている配信者のひとりだ。
「ああ、どうも……」
「ねえ、最初に謝っとくんだけどさ。前にチャットであの件のこと、ちょっと書いちゃったの、ごめんね?」
あの件──CHRONOVAからの参加オファーを、俺が受けていたこと。
苦笑混じりに謝るユエの声からは、正直あまり反省の色は感じられない。
「まあ、もうバレてるだろうし、セーフっしょ?」
「……ほんとに反省してる?」
「してるしてる。八割くらい」
言ってユエは通話越しに軽く笑った。その笑い方が、やけに飄々としていて拍子抜けする。
最初は“やばい奴に目を付けられたか?”なんて思ってたけど、そうでもないのかもしれない。
(有名配信者って、ちょっと変だけど芯はある……そういうの、けっこういるよな)
空劫ユエも、きっとそのタイプなんだろう。あれだけ尖ったゲームプレイで魅せられる人気Vtuberが、表面だけなわけない。
「そういえばさ、なんでレイナ先輩のオファー、断ったの?」
また唐突な質問だった。
「配信であんなに語ってたじゃん?“斬波レイナはFPS界の革命児”とか“未来の競技シーンを変える”とか」
「……よくご存じで」
「そりゃあんだけバズって熱弁してたら、ね。てことはさ、やっぱり……星灯ミラちゃんが最推しってことでいい?」
その名前が出た瞬間、俺は言葉を失った。
ユエは「おっと図星?」とでも言いたげな調子で、また笑う。
「まあ、そういうのも含めて“らしい”って感じするけどね、タカアキ君」
らしい──か。
話しながら、少しだけ気が楽になっている自分に気づく。配信者としては後輩のユエだけど、こうして砕けた調子で会話できるのはありがたかった。
「じゃ、そろそろ時間だね。お互いがんばろっか」
ユエの言葉を最後に、通話を切る。
俺はSTXにログインした。アバターは、警察官をベースにカスタムした自作モデル。名前は配信活動と同じ『tqkqki』のままだ。STXのイベントは“軽めのロールプレイ”が基本ルール。役職設定はあるが、本気のなりきりは必要ない。
ログイン先は、ネオンサインが灯る夜の街。治安が悪そうな雰囲気の中に、個性的なアバターたちがわらわらと集まっている。
「おー、警察の人来たー」「よろしくです!」
他の警察官枠のストリーマーたちが、ボイスチャットで挨拶を交わしてくれる。俺もマイクをオンにして返す。
その時、不意に背後から声をかけられた。
「やあやあ、君が“Vtuberみりしら”のタカアキ君かい?」
振り返ると、そこにいたのは赤いジャケットを着た市民アバター。少しコミカルな動きで手を振っている。
名前タグには『アークン』。登録者数百万人を誇る超人気ストリーマーだ。
「なんだったらさ、僕がSTXに参加してるVtuberのみんなを紹介してあげようか?」
その言葉に、頭の奥がざわめいた。
ミラ──星灯ミラの姿が、ふと浮かんだ。
「ぜ、ぜひお願いします! アークン先輩!」
少しだけ声が大きくなった気がした。
俺の中に、また新しい期待と不安が芽生えようとしていた。