第39話 もう話せない、ということ
あの日のことを、どこから話せばいいのか。
いや、むしろ、何から話すべきだったのか。
神との奇妙なやり取りの後、俺はディレクトリのスタッフに案内されて、撮影スタジオに向かった。足取りは重い。脳の奥がどこかじんわり痺れていて、何を考えているのか自分でもよくわからない。
スタッフたちは、皆、丁寧すぎるほどの笑顔を絶やさず、言葉遣いも機械的に整っていた。礼儀正しすぎて、どこか現実感がない。ああ、たぶん“本物”じゃないな、と直感する。
「よろしくお願いします」と俺が言うと、スタッフの一人が「はい、よろしくお願いします」とまったく同じイントネーションで返してきた。まるで録音されたテープの再生音のような、擦り切れた丁寧さ。
気持ち悪い。ぞわりと肌が粟立った。
とはいえ、撮影はスムーズに終わった。俺の紹介カット、セリフ、それにポーズ。必要な素材を取り終えると、何事もなかったかのようにスタッフたちは笑顔のまま「お疲れ様でした」と口を揃える。
あの時の俺は、疲れていたのかもしれない。あるいは、疲れていたことにしたかっただけかもしれない。
──帰宅後。
地方の実家、使い慣れたPCの前。いつもの配信部屋に戻っても、頭の奥の霧は晴れなかった。けれど、それでも日々は進む。
DIRECTORY:RELOADの開催日が迫ってきて、練習にも熱が入る。神、アークンと三人でカスタムに出て、作戦を合わせ、ロールを確認し、タイミングを覚え込む。
配信では視聴者たちが楽しそうにコメントをくれた。「このチーム、最強すぎる」「優勝いけるぞ!」──その声が、現実感を与えてくれた。
そして、ついに大会当日。ディレクトリの公式チャンネルで本配信が始まった。実況、解説、盛り上がるコメント。
その流れの中で、タレント紹介PVが流れた。
画面に俺の姿が映る。あのスタジオで撮影した映像。自分でもよく撮れてるなと思うほどに、決まっていた。
『タカアキ、ディレクトリ所属!?』
『ガチじゃん』『これはやばい』
コメント欄が湧く。
──でも、なんだろう。
誇らしいはずの映像が、どこか他人事のようだった。
あの笑顔も、声も、全部“あの場所”で演じさせられたような気がしてならなかった。
試合は接戦の末、俺たちのチームは2位でフィニッシュした。優勝には届かなかったけれど、それでも十分すぎる結果だった。視聴者は満足してくれた。
でも、俺は。
何一つ、自分の中で手応えを感じられていなかった。
数日後、星灯ミラの卒業配信があった。
もちろん、俺は一人で見た。部屋を暗くして、ディスプレイの光だけがぼんやりと俺を照らしていた。
ミラの声は穏やかだった。笑顔で、優しい声で、たくさんの「ありがとう」をリスナーに贈っていた。泣くこともなかった。潔かった。
……俺は泣いた。
画面が暗転し、配信が終了したあと、俺は気づいた。
もう、星灯ミラと話すことは一生できないんだ。
そのことに、胸がきゅうっと締めつけられた。
その感覚が、俺の記憶の奥にあった何かを掘り起こした。
──大学時代、あの年の春。
突然の電話。信じられない言葉。母さんと父さんと、姉ちゃんが事故で亡くなったという連絡。
俺は大学を辞めて、地元に戻った。
配信はしばらく休止した。ただ、何もしたくなかった。
星灯ミラの声を聞き終わった感覚が、あの時と同じだった。
何かが、終わってしまう音が、確かにそこにあった。
──俺はまた、あの“終わり”を感じていた。




