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第38話 神とディレクトリ

 なにもかもが――現実じみているのに、どこか作り物めいていた。


 俺はまだ、ディレクトリの社長室にいるはずだった。あの重厚な木の扉をくぐり、社長・大河律と、そしてなぜかそこにいた人気ストリーマーのじんに会った、その続きのはずだ。


「このディレクトリのタカアキ君は、どうもいちいち困惑しがちだよね」


 神が言った。その口調は、やけに馴れ馴れしく、しかも何かを愉しんでいるようだった。


 俺は笑えなかった。ただ、薄ら寒いものが背筋を這うのを感じた。


「……なんであんたがここにいる?ディレクトリの所属じゃないはずだろ」


 思わず問いかけると、神は首をかしげた。


「それは重要じゃないよ、タカアキ君。重要なのは“君と僕が、ここで出会った”という事実さ」


 何を言ってるんだ、この人は。まるで夢を見ているみたいだ。いや――夢にしては手触りがありすぎる。


「ここで君と神が出会うのは、必然なんだよ」


 社長、大河律がぽつりと呟く。けれどその声にはどこか抑揚がなくて、読み上げられた“台詞”みたいだった。


 神が俺に向き直った。


「タカアキ君。Vtuberの“卒業”って、どういう意味か、君には分かるかい?」


「……は?」


 思わず間の抜けた声が出た。何の話だ。なぜこのタイミングで、そんなことを。


「……どうしてここで、そんな話をする?」


「どうして、って?」


 神は薄く笑った。


「君は、大学を卒業せずに田舎に引っ越した理由って、なんだったっけ?」


 心臓が、ひとつ跳ねた。空気が変わるのを感じた。


「……なんで、そのことを知ってる?」


 俺がその質問を返すと、神は楽しげに目を細めた。


「君の古参リスナーから話を聞いた――というのも正解。でも、厳密には違う」


 神は言葉を一拍置いてから、こう言った。


「理由は簡単さ。僕が“神”だから」


 ぞっとした。何かが、俺の知らないところで決められている気がした。


「君の物語の結末を決めるのは、僕なんだよ。/n6514kmで展開される、その結末をね」


 神が発した一連の記号のような文が、頭の中でぐるぐると回る。わからない。意味がわからない。


「……お前、何を言ってる」


「トリガーは/n6514km/36で、君が僕の“条件”を呑んだことで発動した」


「やめろよ、そういうの。意味がわからない」


「そりゃそうだ。君には“アクセス権”がないからね」


 神はくすくすと笑った。まるで、俺が面白くて仕方ないというように。


「……あんた、誰なんだよ」


「誰でもあり、誰でもない。僕はストリーマーの神であり、この物語の読者でもあり、観測者でもある。“彼女”の願いを聞き届ける存在でもある」


 俺はたまらず、社長の方を見た。さっきまで喋っていたはずの大河律は、まるで停止した人形のように無言で立っていた。視線は虚空を見つめ、微動だにしない。


「ああ、彼?」


 神が肩をすくめた。


「彼はこのディレクトリを管理する“装置”に過ぎないよ。ここで君に“説明”するための媒体だ。いわば、語り部ってやつさ」


 喉が渇く。意味がわからない。けど、目の前の男がただの人間じゃないことだけは、皮膚感覚でわかった。


「……じゃあ、半年間Vtuberとコラボできなかったのも、お前が?」


「うん。別のディレクトリでね、君が仲良くなり過ぎたVtuberが卒業したんだ。そのとき、君は活動を止めてしまった。“彼女”も心配してたよ」


「彼女って……誰だよ」


「それは、君が思い出すべき存在さ。僕はただ、そうならないように、今度のディレクトリでは半年間コラボを禁止してみた。それだけの話だよ」


 俺は口を開けて、何か言おうとしたが、言葉が出なかった。


 神はやれやれという風に首を振った。


「まったく、いくら権限を持ってるからって、物語をCTRL-Vできるなんて、チートすぎるよね」


 そして、唐突に沈黙が訪れた。


 神が黙った。


 社長、大河律がゆっくりと瞬きをし、俺に向き直る。


「……撮影の準備が整いました」


 まるで、最初から何事もなかったような顔で。


 いや、違う――演技を“再開”したような。


 この空間が、誰かの“語り”で動いているような、そんな気味の悪い既視感が、俺の背後をぴったりと張り付いていた。

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