第2話 鳩よ。それでも、また会いたいと思ったんだ
モニターの前に座ったまま、マイクの電源だけ入れて──止まった。
配信ソフトのプレビュー画面。昨日と同じ。いや、ここ数日、ずっとこれだ。
指先は「配信開始」のボタンにかかったまま動かない。
──何を話せばいい? 何を言えば、許される?
あのコラボのあと、ミラのフォローもあって、炎上は少しずつ沈静化していた。
けれど、消えたわけじゃない。
《ストリーマーのくせにVへの配慮なさすぎ》
《無知で済むと思ってるの?》
時間差で落ちてくる炎のように、TLにはいまだそんな言葉が時折混じる。
かつては好きで始めた配信。ゲームの楽しさを伝えたくて、ただそれだけだった。
なのに今は、言葉ひとつが爆弾になる。地雷原を歩くような毎日だ。
喉が乾く。息が詰まる。怖い。──怖くて、喋れない。
そんなとき、ふいに浮かんだ声があった。
「タカアキさんは“V知らない勢”の代表なんでしょ?なら、わたしがいっぱい教えてあげる!」
あの瞬間のミラの笑顔。冗談みたいな口調。でも──
それだけが今、俺をギリギリの場所で踏みとどまらせている。
ためらいながら、YouTubeを開いた。
「……星灯ミラ……っと」
検索結果の一番上に表示されたチャンネル。
登録者数は俺の十倍以上。
銀髪ツインテールのサムネイルが、どれも明るく笑っている。
偵察じゃない。ただ、もう一度だけ……あの声を、聞きたかった。
再生を押すと、すぐに彼女の声が弾けた。
「やっほ~! みんな今日もありがとっ! 星灯ミラだよっ!」
明るい。眩しいほどに。
テンション高めで、リズムも軽快。俺には絶対に出せない空気だ。
けれど、その裏に──
どこか、静かな温度を感じた。舞台の幕裏に漂う、孤独の気配のような。
“中の人”のことは何も知らない。でも、きっと彼女は……。
そんな思考を遮るように、コメント欄が動いた。
「タカアキさんとまたコラボしてほしい!」
「タカアキくん、元気かな~?」
「炎上、あれはちょっと可哀想だったよね」
……やめろよ。胸の奥で、声にならない呟きが漏れた。
燃えかけた炭に、また火種を落とす気か。頼むから、もう……。
画面を閉じようとした、そのとき──
「えへへ、あの人、ほんとエイムすごかったよねっ」
ミラの声が、さらりと届いた。
「私、FPS全然ダメだからさ、あの立ち回りほんと尊敬しちゃった!」
それだけ。
怒りも、弁解も、同情すらない。
ただ一言、プレイを“認めてくれた”。
どくん、と胸が鳴った。
Vに偏見を持っていたのは俺の方だった。
歴史も文化もろくに知ろうとせず、勝手に距離を取ってた。
でも──彼女はちゃんと俺を見ていた。
「……なんだよ、それ……」
視界の端に、ミラの笑顔が映る。
小さく手を振るサムネイルが、あたたかく滲んで見えた。
このとき、ようやく理解した。
──俺は、“推す”って気持ちを知ったんだ。
恋じゃない。憧れとも違う。
でも胸を張って言える。「俺、この人が好きだ」って。
気づけば手が勝手に動いていた。
先日のイベントで繋がったディスコード。ミラのアイコンを開き、文字を打つ。
>「Vのこと、ちゃんと教えてくれるって……言ってましたよね。
> 俺、本気で知りたいと思っています」
送信前に、深呼吸をひとつ。
俺は、少しだけ未来を信じて──指を動かした。
『送信』