第11話 届かぬステージ、触れた旋律
走る。ひたすら走る。STXイベント最終日、俺はラーメン屋を閉店させてからずっと会場を目指して走っていた。
車は電柱や壁にぶつけて故障し、ガソリンもそろそろ尽きそうだ。だけど、それでも足を止める理由にはならなかった。
──ミラに、会いに行くんだ。
ようやくたどり着いた巨大ホールの入口には、まだ人の列が残っていた。急いで1000万クレジットを支払って、スタッフの誘導に従って中へと進む。
天井が高い。ステージが遠い。観客の歓声が、すでに空気を震わせている。
俺は観客席の隅、最後列の影になる場所に腰を下ろした。周囲は誰も俺を気にしていない。きっと、配信越しでもわからないくらい、ただの通行人のような存在だろう。
──それでいい。
ステージが暗転し、静寂が場内を包んだ。そして、光が差すように現れたひとつの影。
星灯ミラ。
スクリーンにアップで映し出されたその姿は、今まで俺が見てきた配信の中の彼女とは違って見えた。いや、違ったのは──俺の方だった。
伴奏が流れ、彼女の声が響く。
伸びやかで、透き通っていて、それでいて確かに心に触れてくるような歌声。
──うま……なんだ、これ……
思わず呟いていた。
俺は今まで、音楽にほとんど興味がなかった。Vtuberの歌枠もスルーしていた。興味があったのはeSportsだけ、特に『ぶいれいど』のようなVtuber達のゲーム実況。
だけど今、この歌は、俺の中にある何かを、強引に引き出してくる。
気づけば、目頭が熱かった。
観客席で黙って涙を流してる男とか、きっと笑われるに決まってる。でもそんなこと、今はどうでもよかった。
スクリーンの隅、コメント欄がざわめいていた。
『tqkqkiガチ泣きしてんじゃんwwww』
『ラーメン屋から信者に昇格』
『これは恋です』
そんなコメントが並ぶのが見えた気がして、思わず苦笑する。
──馬鹿な……違うって。
違う……けど、じゃあなんなんだよ、これは。
ライブはあっという間に終わった。
拍手の嵐の中、俺は立ち上がり、静かに手を叩いた。
結局、話すことも、近づくことすらできなかった。でも、それでもよかったのかもしれない。
──こんな気持ちに、なれたんだから。
それだけで、今は満たされていた。
◇
配信が終わって、自室のベッドの上。私はメイクを落としながら、スマホで配信の切り抜きを見ていた。
tqkqki──タカアキくんの姿が、映っている。
「……本当に、来てくれたんだ」
思わず、ひとりごちる。
彼のことは、STX期間中ずっと追っていた。素直で、ぶっきらぼうで、でも真っ直ぐで。
実は、私……彼のラーメン屋にも行ったことがある。変装して、ボイスチェンジャーまで使って。
あのとき出したクイズ、彼はちゃんと正解してくれた。
『問題。2024年に引退した、白髪ケモ耳系のVtuberは?』
『それ、ミコルだろ。次』
あれ、嬉しかったな。
──また、会いたいな。
スマホが震える。CTRL-Vのマネージャーからの連絡だった。
件名:『GODDESS ARENA 3』イベント出演依頼
内容:幻肢社の神代ユズリハさんのチームで先鋒の出演オファーが来ています。
「……ふふっ」
画面を見つめて、私は頷いた。
「やる。出るよ、私」
そして、そっと呟いた。
「また、どこかで──今度はラーメン屋じゃなくて、どこか別のゲームで」