それに尽きた。
私の脚力は完璧。
逃げ切れるはずだった。
だが――。
それは幼い子供たちのいたずら。
草を結わいて罠<アーチ>を作る。
そこに足を取られて転ぶのを見て笑う。
そんなものが、金物屋の倉庫へ向かう私の足元にあるなんて。
不運。
それに尽きた。
ものすごい勢いで転倒したが、体は勢いままに、草の上を滑る。おかげで金物屋の入口までたどり着いていた。だが痛みを堪え、うつ伏せから起き上がろうとした時には……イノシシが追い付いている。警戒し、一旦立ち止まったイノシシが突進するのと、私が後ろの梯子に上るのは――間に合わない!
足を噛まれる覚悟でいたが。
奇妙な悲鳴にも似た声が聞こえ、驚きで目を開けると、イノシシは脳天から槍が刺さっている。かつ火花が散り、閃光が走り、目を閉じることになった。
再び目を開けると、ものすごい音と共に、イノシシが倒れた。
それはそうだ。
0.5トン近い巨体が倒れたのだから。
でも脳天に確実に槍を突き立て、しかもあの火花と閃光……。
雷撃? そうだ。
槍に雷をまとまわせ、突き刺したんだ。
そんなことをできるのは――。
フワリと風を感じた。
まさに空から人が静かに降りてきた。
上質な革のロングブーツが見え、それを隠すように広がるアイスブルーのマント。
マントと同じ色のサラサラの髪がサラリと揺れる。
心臓が止まりそうだった。
「――怪我はないか?」
涼やかなこの声。
こちらに向けられたアイリス色の瞳。
横顔だからこそ際立つ高い鼻。透明感のある肌。
ノースクリスタル帝国の皇太子であり、ロイヤル騎士団の団長である彼の名は――。
ヴァルド・アルク・ノースクリスタル……!
なぜ彼がここに、とは思わない。
秋の狩猟シーズン。
この森には王侯貴族が訪れていると聞いている。
この巨大なイノシシは、彼の獲物だったということ……!?
「運がいいな。擦り傷程度だ。水で洗い流し、このポーションをつければすぐ直るだろう」
ヴァルドはそう言うと、自身の純白の軍服の上衣から取り出したガラスの小瓶を、こちらへとヒョイと投げる。キャッチすると、瓶の中には透明な液体が入っていた。
「こっちの方が重傷だな」
金物屋の倉庫の床に転がっている何かを拾ったと思ったら、それは私が掛けていた眼鏡! 転んだ衝撃で吹き飛び、ガラスが割れていた。
「レインカルナティオ(reincarnatio)」
ヴァルドの魔術で、眼鏡のガラスのひび割れは消えている。
マントをはためかせ、ヴァルドが私に近づいたと思ったら……。
その場で片膝をつき、跪いた。
顎をクイッと持ち上げられた時は、ドキーンと心臓が飛び上がる。
まさかいきなりキスをするつもり!?
衝撃を受けつつ、歓喜していたが、ヴァルドは私に眼鏡を掛けてくれた。
余計な期待をした自分に、猛烈に恥ずかしくなる。
おそらく私が顔を真っ赤にしたことに、気が付いたのだろう。
ヴァルドの口元に、フッと笑みが浮かぶ。
いつもクールで端麗な顔をしているのに。
口元だけであろうと、笑みを浮かべる姿を見てしまうと、ドキドキがさらに加速される。
だがヴァルドはすぐに立ち上がり、倒れているイノシシから槍を抜く。抜いた槍を一振りし、血を飛ばすと、ゆったり歩き出す。
アイスブルーのマントがサラリと揺れると同時に、碧い輝きが見えたと思ったら……。もう姿が消えている。魔術を使い、姿を消したと理解するのに数秒かかり、そしていろいろと感情がこみ上げた。
突然現れたヴァルドに衝撃を受け、私は言葉を一言も発することができなかった。「ありがとうございます」の一言さえ、伝えていない……。
ここはもう単純に。
礼儀をわきまえることができなかった自分に自己嫌悪となる。
さらに別の感情も喚起されていた。
ヴァルドは私の正体に気づかなかった。仰天しながらも安堵していた。
眼鏡は吹き飛んでいる。
髪色が違うのと、普段しない三つ編みしか、変装はしていない。だが、バレなかった。
でも――。
ヴァルドが知る私は、マリアーレクラウン騎士団のリヴィ団長だ。ミアとしての姿をさらしたのは、あの一晩だけ。しかもヴァルドは目を閉じ、屈辱に耐えている時間が長かったと思う。だからこの程度の変装でも気が付かなかった……?
「ミア」「ミア様」
ソルレンとニージェの呼び声に顔をあげた私はギョッとする。
だって通りに懐かしい旗がはためき、青の軍服を着た騎士達の姿が見えた。
そう、あれは私が団長を務めていた、マリアーレクラウン騎士団ではないですか!
お読みいただき、ありがとうございます。
本日外出した先でスマホの利用制限があり、更新がいつものお昼に出来ませんでした。
お待ちいただいていた読者様、ごめんなさい!






















































