【番外編】バカンス(17)
ルクルドがヴァルドの魔力を抑える花について何か知っていることがあるようだ。
「聞かせていただけますか?」
「ええ。これは本来大公となる男子にのみ、伝承されている話。ですがこうなったら、隠している場合ではないでしょう。お話しします。その前に実際にその花を見せて頂いてもいいですか?」
そこでルクルドはベッドで横たわるヴァルドと初めて対面することになった。
「噂通りの……美貌の皇太子殿下ですね。ですがさすが剣神。肩や腕には無駄を削ぎ落とした筋肉が見てとれます。公国を立たれる日には挨拶へ伺おうと思っていました。まさか私がベッドで寝ているのではなく、殿下が横になられているとは……。ケインを助けようとして、こうなったと思います。そして確認できました。間違いありません。これは大公の一族に伝わる“女神の呪い”です」
ルクルドはそう言うと白水色の瞳を私に向ける。
「“女神の呪い”? 何なのですか、それは?」
「前室に戻りましょう。そこで話します」
こうして再度ソファに腰を落ち着かせ、話すことになったが……。
正直。
気持ちとしては早く動きたい。
だが急いては事を仕損じる。
それに戦もそうだが、事前の用意こそが肝心だった。
腰を下ろして話している場合ではない──という気持ちは呑み込み、ルクルドの話を聞くことになった。
「ルソン国の統治以前から、私達ブルクセン一族はこの島を治めていました。ルソン国の統治下となった時。大陸から大公となる人物が渡ってきたわけではありません。ブルクセン一族が継ぐことになりました。ですが私達の一族は元々この島にいたわけではないのです。もっと南の遠くの島から、ここに辿り着いたと言われています。初代大公……と言っても当時はまだルソン国の統治にはなかったので、初めてこの島に降り立ち、島主となったのが、イオス・ブルクセンです」
イオスはまだ18歳だったが、自身の船を持ち、航海士や船員を従える船長だった。
「イオスはこの島に辿り着く前、大変美しいラグーンを見つけ、そこで休息をとりました。そこはたわわにフルーツが実り、鳥の美しい鳴き声も聞こえ、さながら楽園。イオスは故郷の国では三男であり、家を継ぐことはない。自分の土地を、島を求め、旅をしていたのです。一時はその美しい島で暮らすことも考えたそうなのですが……」
その島に先住民がいた。
先住民……というか、女神が住っていたのだ。
碧いシルクのような髪に、髪と同じ碧い瞳。
白浜のようなサラサラの肌に、豊満な体。
イオス達全員が女神に魅了された。
そして女神は沢山の逞しい海の男達の中から、イオスを選び、自身の身を許したのだ。
碧白い月明かりが降り注ぐ夜。
一面に透明な、ガラスのような花が咲き誇る砂州が現れた。そこに女神はイオスを導き、二人はそこで結ばれたという。
二人が睦み合う度、ガラスのような花は淡い光を放ち、宙を舞う。
海では夜光虫が二人を祝福するように輝いている。
頭上では無数の星々が煌めく。
それはとても幻想的な景観だった。
「イオスは女神に抱かれ、彼女から自身の伴侶になるよう言われたのですが……」
女神という人ならざる者と結ばれるためには、イオスは一度死ぬ必要があった。死して甦りを経て結ばれる。甦ると言うが、実質は魂になり、結ばれることになるのだ。肉体はこの世界からは消えるのだという。
「死ぬなんて、健全な人間が成しえるにはとんでもない精神力が必要です。しかもイオスはまだ若く、健康な体を持っていた。死ぬのはまだ早い。女神は素晴らしいが、もし死と引き換えなら彼女に抱かれるつもりはなかった。そう思い、彼女にこっそり眠りを促す薬草を飲ませました。そして彼女が眠っている間に、イオス達はその島から逃げ出したのです」
なんだか話が見えて来た。
「女神は目覚め、イオスの姿がないことに驚いたでしょう。嘆き悲しみ、そして三年に渡り、嵐を起こしたと言われています。そのせいで、近くを航行した船はことごとく沈み、周辺の島からありとあらゆる生物が死に絶えたと」
イオスは前世風に言えば、まさにやり逃げ。
そこは女神に同情の余地はある。
だからと言って三年も嵐を起こし、何の関係もない船を沈め、生物を全滅させるのは……。
やり過ぎだ。
イオスの身勝手さを嘆き、海に身を投じた──であれば女神に軍配があがる。たが腹いせで無関係の人間を海に沈めるのは……行き過ぎだ。
「さすがに三年経ち、怒りは静まったかと思ったら……今度は二人が結ばれた時のあの美しい花を咲かせ、航行する船乗りをそこへ誘い込み……。女神に抱かれた船乗りの男は、二度と戻ってこない。その花の中で一度眠ると目覚めることはなく、生命力を花に吸い取られ、ミイラのように干からびて砂州の一部に成り果てるとか」
これは背筋がゾクッと寒くなる。
まるで桜の木の美しさは、その根に埋められた死体から養分を吸い取っているから――と聞かされた時のような気持になる。
砂州で見た、碧白い月光に照らされた透明なガラスの花びらは、人智を超えた美しさだった。
だがその美しさの根源に数多の船乗りの男性の死が関わっているなら……。
それにこの話からすると、ヴァルドの魔力を抑えつつ、あの胸に咲いた花は、その魔力を養分に命をつなぐようにさえ思えてきた。そのことをルクルドに話すと……。
「なるほど。その可能性はありうるかもしれません。本来一時間足らずで消える花が消えなければ。ヴァルド皇太子殿下の魔力を糧に延命している可能性はありうるかと」
これにはまさに歯ぎしりで悔しくなる事態。
だが悔やんでも解決にはならないので、話の続きを促すと……。
「女神に誘われ、帰らぬ人になった船乗りがいること。これは女神の呪いとして、生き延びた船員たちが、立ち寄った島々で語ることになりました。驚きの話ですから、それは瞬く間に広がり……イオスの耳にも届きました」
イオスはこの島で定住するようになってから、南の海に向かうことはなかった。そして大陸から渡って来た女性と結婚し、子供も出来た。
「女神の呪いは根深いと感じたイオスは、自分の子孫に伝えることにしたのです。ガラスのような透明な花びらを咲かせる花を見つけても。どれだけそれが美しくても。薔薇に棘があるように。その美しさは毒であると。近寄ってはならないと、一族の男子に伝えることになったのです」
被害者から加害者に代わった女神だったが、寿命を迎えたのか。女神の噂を聞かなくなり、次第にその存在は風化された。砂州の花畑は消え、全ては過去のことになったかと思われたが──。