【番外編】海とキャンドル(22)
「……ヴァルド」
「ミア……」
ぎゅっとヴァルドに抱きつき、愛の余韻に浸る。
鼓動が激しく、全身を巡る甘美な痺れに意識が飛びそうだ。
しばらくは湯船に浸かったまま。
ヴァルドの逞しい胸の中に身を預けていた。
私とヴァルドの少し荒い呼吸音と、湯船から立ち上がる湯気。時折聞こえるちゃぽんという音以外、何も聞こえない。
ゆっくりヴァルドが体を動かし、いくつかの呪文を唱える。それが終わると、ヴァルドが私の額へキスをした。
私はヴァルドに背を向け、その胸にもたれる。
ヴァルドは後ろから私を抱きしめようにして、落ち着いた様子で話を始めた。
「順番が逆になってしまったが、フロストの件を話そう」
「ええ。聞かせてください」
「最初は魔術の力で、フロストはデビルスターや馬と意思疎通を図ったのかと思った。フロストは幼いながらも魔術を使え、その力はとても強い。きちんとした契約なしでも動物を使役し、使い魔にさせたのかと思ったが……。そうではないのかもしれない」
このヴァルドの言葉には驚き、思わず後ろを振り返る。
するとヴァルドはふわっと優しくキスをするので、胸がキュンとし、足の指に思わず力が入ってしまう。
「遠い昔。この大陸には人間だけではなく、魔術を使える者も沢山いた。エルフやドワーフ、獣人族など、今とは違う多種多様な種族に溢れていたという。だがいつしか彼らは姿を消し、この世界に残されたのは人間と、伝承される魔術のみとなってしまった。しかしかつて存在していた種族の一つに『テイマー』という者達がいる。彼らは様々な生物を育て、操ることができた。『テイムする』=手懐けることができると言われていたんだ」
これにはビックリ。
前世でゲームやアニメでお馴染みの『テイマー』という言葉を聞けるなんて!
「テイマーは種族ということは……その血がフロストに受け継がれている、ということですか?」
「そうなる。皇族なのか公爵家なのか、そのどれかに『テイマー』に連なる一族がいたのだろう。ノースクリスタル帝国が建国されてからは、魔術に特化するようになったが、『テイマー』の血も細々と受け継いでいたようだ。ただ、『テイマー』の力は誰もが発現するわけではない。マッドが読んだ帝国の古書には、こう書かれていた」
そこでヴァルドが私をぎゅっと抱きしめる。
「優しい心の持ち主であり、共感力が高く、他者の痛みが分かる者。さらに赤ん坊の時、両親の助けを得られず危機的な状況に陥ると、誰かに助けを求める力が引き金となり、『テイマー』としての力が目覚めると」
「イザーク様の令息と令嬢がサンレモニアの村に現れた時。私は魔術で眠らされ、ヴァルドは戦闘中。フロストはさらわれそうになりました。その危機的な状況に、フロストは強い助けを求め、『テイマー』の力を目覚めさせた……ということですか?」
「その可能性が高いとわたしは思っている。あの時、フロストにはとても可哀想なことをしたと思う。しかし怪我の功名というのか。もしわたしやミアに何かあっても、フロストは動物たちに助けを求められる」
フロストを守りたい気持ちはあるが、いつ何があるか分からない。それに自然の摂理に従えば、親は子より先にこの世界から退場する。それを思えば、動物の助けを得られるのは、とても大きなことだと思う。
「フロストの声は動物に届く。そして今回のように、動物たちの声もフロストには届く。意識して耳を傾けることで、動物たちの心の声も聞くことが出来るんだ」
なんてすごい力だと、これは大いに感動してしまう。
そしてふと思い出す。
フロストと乗馬を楽しんだ時、馬の気持ちを口にしていなかったかと。
そんなことを思いながら、今回のフロストのお手柄について振り返る。
「デビルスターは毒を溜めた袋が体内にある。でもそれを取り出されると死んでしまいます。あの地下室で、仲間の死を嘆くデビルスターの声を、フロストは聞きとったのですね。その『テイマー』の力で」
「そう考えるのが自然に思える。フロストがキャンドルの工房に急に現れたのは、そのことをわたし達に知らせるためだった」
あの時、フロストとヴァルドが何かを話していると思ったが……。
それはデビルスターのメッセージの件だったのだ!
「結論として、やはり使い魔を使ったのではないと思う。『テイマー』の力。そして亡きルクセン大公の件も同じだ」
ヴァルドが首筋にキスをする。
それは甘美であり、くすぐったくもあり。
ついお腹の辺りに回されている彼の腕を、ぎゅっと掴んでしまう。
「ルクセン大公は狩りの最中、ローダン侯爵の裏切りに遭い、絶命している。突然、主を失ったが、名馬だ。ケイン大公は馬を引き継ぎ、自身の馬として可愛がっていた。そしてその馬はきっと、ケイン大公に伝えたかったのだろう。ルクセン大公の悔しい想いを。彼の今際の際の言葉を覚えており、フロストはその馬の強い気持ちを聞き取ることになったのだろう」
地下牢にいるローダン侯爵は、当時のことをこれまた告白していた。彼はルクセン大公の最後の言葉を聞いても、薄笑いを浮かべるだけだった。そしてこう語った。
「ルクセンの愛馬は俊足だった。奴は熊を追い、自身を護衛する騎士達と離れ、単騎で馬を走らせている状態。平和な島国で、暗殺なんて無縁と思っていたのだろう。周囲に護衛がいなければ、殺してもいいと言っているようなもの。当然の結果であり、悔しげに最期に発せられた言葉も、味方に届くことはないと思っていた。それをまさか、奴の愛馬が……」
フロストのことは出さず、魔術で亡きルクセン大公の愛馬から聞き出したと伝えると。ローダン侯爵は驚愕したという。
もしもこの地にフロストが一緒に来ていなければ。
害されたルクセン大公の無念は晴らされず、ケイン大公は毒針で命を落としていたかもしれないのだ。
「今日は本当に長い一日だった。だが全ての謎は解けた。明日から親子三人でのんびり過ごそう」
「そうですね。リカやコスタにもデートの時間をあげましょう。せっかくの美しい海。恋人がデートするには最適だと思います。……メラニーは島巡りを楽しんでいるかしら?」
振り返ってヴァルドを見ると、彼はアイリス色の瞳を細め、笑顔になる。
「ミアは優しいな。リカやコスタにも休暇を与えよう。メラニーもきっと楽しんでいるはずだ」
そこでヴァルドの唇が私の唇に重なり、その手が胸を優しく包み込む。
バスルームの天井にはめ込まれたガラス窓の向こうには、南国の絶景とも言える星空が広がっていた。