【番外編】海とキャンドル(12)
舞踏会が行われる前、先だって夕食会が開催されることになっていた。
外交を考えると、晩餐会から舞踏会という流れにもなるが、そうなるとかなり格式ばったものになる。今回のブルクセン大公国訪問の目的はあくまで皇太子妃である私との新規でのキャンドルの取引に関するもの。重要な外交に伴う調印式などがあるわけでもない。そこで晩餐会ではなく、夕食会となった。
晩餐会であれば絶対にフロストが同席することはない。
大人による社交の場の一つが晩餐会であり、まだ三歳にもならないフロストが参加することはなかった。だが夕食会。こちらであれば、まだフロストが顔を出すことが許される。
こうして夕食会の席にフロストを含め、親子三人で着席した。
ヴァルドはスカイブルーのテールコート。私とフロストは、ヴァルドとお揃いのスカイブルーのドレス、ローブをそれぞれ着用している。ヴァルドはゴールドの装飾品、私はシルバーの宝飾品、フロストは白の刺繍やレースで飾られていた。素敵な親子コーデだ。
騎士の隊服姿のマッドとコスタは離れた場所に控えている。
ケイン大公は、自身の瞳と同じ白水色のテールコートで、紺碧色のサッシュがよく映えていた。
そしてこの夕食会の会場に、ケイン大公を暗殺しようとした黒幕も……いる!
悪役を含めた役者は揃った。
いよいよここから舞台の幕開けだ――。
◇
「……本当にあの時、指に走った痛みは……。チクッとした痛みは一瞬で、その後、脳天を直撃するような鋭い痛みに襲われました。指先が瞬時に熱くなり、まるで火にあぶられているようです。でも目の前には帝国の皇太子夫妻がいます。慌てふためく姿を見せられないでの、平静を装っていましたが……実はもう心臓もバクバクし、大変だったのです」
夕食会の冒頭で、ケイン大公は自身の暗殺未遂事件について、サラリと触れることになった。公国内で唯一のニュースペーパー(新聞)の夕刊には、この事件について報じている。だが大公自らが公の場で口にするのはこれが初めて。
よって夕食会は開始と同時にこの暗殺未遂事件について持ち切りとなる。
この夕食会、長テーブルが三つ用意され、ケイン大公は真ん中のテーブルの真ん中あたりの席に座っていた。すると別のテーブルに座る貴族達まで、食事をしながら体をそちらへ傾けるという事態になっている。それだけケイン大公の話を聞きたいということ。
その中で、ケイン大公は繰り返し、暗殺未遂の毒針を受けた時の感想を述べた。
「指先の感覚が、麻痺したように感じました」「もう両手を炎の中に突っ込んだかのように熱かったです」「激痛が何度も指先に走ったのです」という具合に。
これを聞いた貴族達は「まあ、なんて痛そうな」「しかもその毒針、とても小さいのでしょう。視認は難しい。恐ろしいですわ」「当たり前に触れる物に毒針が仕込まれていたら……うっかり触れてしまいそうだ」と食事をする手を止め、自分の指先を見てしまう。
こういう時。
感受性の豊かな人間は、自身に毒針が刺さったわけではないのに、あたかも刺されたかのような反応をしてしまうことがある。
前世で心理学を学ぶ者の間ではよく言われる話の一つに「氷で火傷」というものがある。実際にこの実験が行われたのか、ただの人間心理の例え話なのか。それは定かではない。だが目隠しをした被験者に「これから温めた金属を皮膚に触れさせます」と告げ、実際は氷を皮膚にのせた。すると皮膚は火傷を受けた時のような反応を示した――という話がある。
バリエーションの一つに、火のついたタバコを腕に押し当てられたと思ったら、実際はタバコではなく、ただのペンだった。でも腕は火傷ような状態になったという話もある。
脳の誤認による暗示効果。はたまたノセボ効果とでもいうのか。人間は本来ありえない反応を体に示すことがあるのだ。
つまり。
この夕食会の席でも一人の男性に、まさにこの反応が見られた。
「! ゆ、指先がチクッとした!」
男性が席から突然立ち上がり、周囲の貴族は「えっ!」と驚く。
「指先が……熱い! これだ、この銀のカトラリー! スープを飲むためのこのスプーンを持ったら……」
そう言った男性は、自身の指先を周囲に座る人々に見せる。
「見てくれ! 赤くなっている。しかも腫れてきている……! くそっ、なぜだ!? 大公主催の夕食会で毒針を仕込んだものがいるのか!?」
するとそこにコスタが駆けつけ、尋ねる。
「毒に備え、銀食器と銀製のカトラリーが使われています。もしスプーンに毒針が仕掛けられていたら、そちらに何らかの反応があったかもしれません。銀のスプーンに反応は?」
男性はナプキンで自身のスプーンをつかみ、真剣な表情となり、そして――。
「見て見ろ! ここが黒い!」
「失礼」
そこでコスタに続いて駆けつけたマッドが、ナプキンにつまんだ状態のスプーンを受け取り、確認する。
「ああ、これは……あれですね。オニオンの影響では?」
「オニオン……」
男性が唸る。
今日の夕食会では、血液がサラサラになりそうな絶品オニオンスープが提供されていた。
「そう言われると私のスプーンも少し黒っぽくなっていますけど、気分は特に悪くないです」と私が反応し、これにはヴァルドも「オニオンに含まれる成分は、古来より卵と同じで、銀製品に反応する。わたしのスプーンもうっすら黒いが問題ない」とヴァルドも応じる。
そうなると他の貴族も次々と「確かに黒いが何も問題ない」と口々に反応。
「銀など、あてにならなん!」
憤慨した男性が叫ぶ。
そしてそれは事実。
銀で毒の検出はほぼ無理だ。
一部の毒物では銀に反応が出るが、毒殺に使われるような毒物の多くに銀は反応しない。
銀食器を使う=毒殺に備えているというアピール。
つまりは銀製品には、心理的な抑止効果程度しかなかった。
「それにこの手の反応はどうなんだ!?」
男性は赤く腫れている指先を皆に向ける。
「ならば医務室へご案内しましょう」とケイン大公が席を立つ。
「わたしも手伝いましょう」とヴァルドも立ち上がる。
するとフロストがこの事態に驚き、ぐずりはじめる。そこで私もフロストを抱き上げ、席を立つ。
ケイン大公が指先が赤く腫れているという男性を支え、マッドもそれを手伝う。
コスタが私達を護衛するため、一緒に動き出す。
こうして悪役を含め、本日の舞台の出演者は、夕食会の会場から退出した。






















































