【番外編】突然の来訪者(12)
ヴァルドが公務を放棄した。
そのことで宮殿は軽く混乱が起きている。
「陛下、シャルマール連邦から、先のスパイスの交易に関する書簡が届ていますが」
「皇帝陛下。ユニシス王国より、友好の証の記念植樹に関して、問い合わせが来ました」
「陛下……」
「侍従長を呼べ! 五つの公爵の誰でもいい! 頭が回る奴を寄越せ!」
皇帝陛下は理解する。ヴァルドにいかに多くの権限を与えていたのかを。有能な息子が恐ろしいほどの量の公務を回していたのかを、噛み締めることになった。
その一方で帝国に混乱をもたらした当の本人であるナディアは……。
「すごいわ。この温泉。サンド共和国にはないものよ」
宮殿に設けられた大浴場に浸かり、感嘆の声を上げていた。
「ナディア様、昨晩からこれで五回。流石に入り過ぎでは?」
「そうかしら? 入れば入るほど、肌が潤い、柔らかく、スベスベになっている気がするわ」
帝国にもたらした混乱など我関せずで、温泉を満喫していた。
「でも……お腹が空いたわ。食堂に行けば、いつでも軽食を出してくれるのでしょう?」
「はい。宮殿で働く事務官や警備兵向けに、二十四時、軽食の提供があるそうですよ」
「さすがね。じやあ、食堂に行こうかしら?」
ナディアが湯船から上がる。
くびれたウエストを伝い、お湯が上向きのヒップから大理石の床にしたたり落ちていく。すぐに侍女が大判のタオルをまとわせ、ナディアはゆったりと歩き出す。
食堂同様、この大浴場も二十四時間開いている。だが日中のこの時間、使用人のメイド達は大忙し。利用者はナディアしかいない。むしろこの後、メイド達は大浴場の清掃となる。
「では香油をおつけしますね。ナディア様、そちらのタオルを敷いた大理石のベッドに横になってください」
侍女に言われたナディアは、うつ伏せで横たわる。まだ異性に触れさせたことのないバストは、張りがあり、弾力もあった。豊かなバストはうつ伏せでは邪魔になってしまう。
少し体を横向きにして、ナディアは「この体勢、キツイの。早く塗って頂戴」と告げる。侍女たちは「かしこまりました。ナディア様」と忙しく手を動かす。
二名の侍女により、全身に香油を塗り終わると、ナディアはいつもの民族衣装を身にまとう。
全身を映す姿見の前で、ナディアは思っていた。
この体を見て無反応だったヴァルド皇太子。
ミア皇太子妃にゾッコンなのね。
それならば都合がいい。
私の提案、早く飲んでくれないかしら?
そんなことを思いながら、食堂に出るため、大浴場を出る。三名の侍女を連れ、歩き出すと──。
回廊の太い柱の影から、スリムで長身、引き締まった体躯の美青年が現れる。
ヴァルド皇太子だわ!
ナディアは自身の薄布のベールをつまみ、お辞儀を行う。
「ナディア嬢。少し時間を頂けるか。二人きりで話したいのだが」
小腹が空いていたが、昨晩断固拒否を表明したヴァルドから声をかけられたのだ。応じない理由などない。ナディアは満面の笑みを浮かべる。
「勿論です」
そう応じると……。
「!?」
手を差し出された。
つまりヴァルドが自身をエスコートするのだと分かり、ナディアの口角は自然と上がっている。
これはいい兆候だわ。
私を公妾として、迎え入れる気になったのでは?
白手袋をつけたその手にゆったりと自身の手をのせると、ヴァルドは完璧な速度で歩き出す。
歩きやすい……。
ビューネの一族は風の精霊と契約している一族であり、スピーディに動くことが美徳されていた。要するにせっかちだったのだ。歩く時も基本、早足で、一者にいるのが女性であろうとおかまいなし。こんな自分の歩く速度に合わせてくれるヴァルドにナディアは……密かに感動してしまう。
さらに。
昨晩と違い、ヴァルドの声は耳に心地よい涼やかな響きを持っている。その声で、滞在する部屋に不便がないかなど、細やかな気遣いをしてくれるのだ。
ナディアは居心地が良くて仕方ない。
「こちらへどうぞ」
優雅な気分のまま、部屋に入るとパタンという音に続き、ガチャリと鍵がかかる音がする。
「ヴァルド皇太子殿下、私の侍女達は!?」
「二人きりで話したいと申し上げたはずですが」
「!」
ナディアは確かにそうだ、と思うが、こうも思う。
二人きりとは言葉のあやで、通常は侍女や自身の護衛の騎士を同室させるのが、帝国のマナーではなかった?
だがそこでヴァルドが護衛の騎士を連れてきていないことを思い出す。
そこで何か違和感をナディアは覚える。
だがソファに座るよう促され、そのまま腰を下ろすことにした。
「ナディア嬢の提案について、ミアとも話し合った」
「まあ、そうですか。ミア皇太子妃殿下は許してくださいまして?」
「ミアは元第一王女として、国益の大切さをよく理解している。それにわたしとは既につがい婚姻で結ばれた仲。ミアが皇太子妃であることは、絶対に覆ることはない。既に皇子も生まれている。ミアは何も案ずることがないと、理解してくれた」
ナディアは笑顔になり、「ミア皇太子妃殿下が理解のある方で良かったです」と微笑む。そして彼の望むであろう言葉を口にする。
「ヴァルド皇太子殿下が、ミア皇太子妃殿下を心から愛されていることはよく分かります。ゆえに私は形だけで構いません。どうせ殿下の子供を成すことはできないのです。夜のお渡りを望むようなことはいたしません」
あとひとおしだとナディアは思っている。
名ばかりの公妾で着地するのでいい。
だが……。
「女として生まれ、その悦びを知らないままというのは、あまりにも酷な話では?」
「いえ、そんなことは」
「遠慮する必要はない。ただ、ミアは耐えられているが、ナディア嬢はどうだろう? わたしはミアと閨に入れば朝まで……というのが当たり前だが」
それを聞いたナディアの顔はひきつる。






















































