【番外編】突然の来訪者(9)
外壁に近い小さな噴水広場。
ようやく日没を迎え、まさにブルーアワーの時間で、静かだった。
噴水のそばには小ぶりのベンチがあったので、私はそこに腰を下ろした。
外壁を隔てた向こうは、帝都の街が広がっている。
宮殿や皇宮の奥にいると、街の音は聞こえない。
だが今は夜の20時を過ぎた時間。
賑やかな音楽や喧噪が少し離れた場所で聞こえてくる。
それでもブルアワーの静謐な時間。
一番星の瞬きを見上げながら考える。
ナディアを手に入れることの帝国のメリット。
風の精霊と契約しているのだ。
風車の動力源、海における航海、嵐が起きたときの防災。
風の力は大いに役立つだろう。
砂漠という過酷な環境にある国でありながら、サンド共和国が長い歴史を持つのは、こういった精霊の力のおかげでもある。
次に灯油。
灯油ランプを使えることで、夜間での活動が可能になる。これまでの暗くなったら寝るしかない……ではなく、生産活動が可能になるのだ。過剰な労働にならないような調整は必要だろうが、国力が上がることは間違いない。
それに冬の寒さが厳しい帝国で、灯油ストーブが誕生すれば、国民全体で大きな恩恵を受けるだろう。国民が元気であれば、国としても元気になれる。
さらに灯油は工業での燃料として利用もできるだろうし、交通における動力源にもなりうるのでは?
風の精霊の恩恵と灯油がもたらす未来。
それはナディアを公妾として迎えるだけで手に入るのだ。そしてナディアを受け入れることによるデメリットは……。
私が不快であり、ヴァルドだって快く思わない以外はないのでは?
国益を考え、ヴァルドと私が受け入れれば済む話。
頭ではそうだと分かっても……。
何を優先するべきか理解していても。
ヴァルドがナディアを抱くの?
私にしたようなことをナディアにするの?
……つがい婚姻は私と成立している。
ナディアとの間には子供はできない。
ならば夜の営みは不要では?
上辺だけの公妾としてナディアを迎え、メリットだけを享受する。
そうは……問屋が卸さないだろう。
「真意。それは……ヴァルド皇太子のお側にいたい、では信じていただけないのでしょうか?」――そうナディアは言っていた。
つまりナディアはヴァルドのことが好きなのだ。
好きだからこそ、この突拍子もない提案をした。
だがそこでふと思う。
ビューネ一族は、ナディアが公妾になることを許したの……?
突然、ぐらりと地面が揺れたように感じた。
地震!?
マリアーレ王国の南部では数百年の周期で地震が起きることもあったが、帝国は冬の寒さが厳しいものの、地盤は安定している。小規模な地震ならごくごく稀にあるだろうが……。
「えっ……」
目の前の地面が隆起し始めた。
それは何というか、沸騰するお湯の表面のように見える。地面がポコポコと沸騰するかのように見えて……。
まるで土柱が立ったと思ったが、それは一瞬のこと。大地は何事もなかったような状態になり、代わりにその場に人がいる。
夜目でも分かる日焼けした肌に白銀色の瞳、チョコレート色の髪。黒の民族衣装に黄金のベルト。
間違いない。
砂漠の民――サンド共和国の人間では!?
他国の王の名代を招いての晩餐会で、武器の所持などできるわけがない。ましてや宮殿の敷地内に、こんな形で侵入者が現れるのは想定外。
こんな形……大地の精霊の力を使い、警備兵の目をかいくぐり、現れた。
つまりはビューネ一族と対立している、ランド一族の手の者なのでは!?
私は武器を所持していない。
でもランド一族と思われる青年は、腰に立派な剣を帯びている。
ならば調達するまで。
驚きを受けた数秒は、相手も私も同じ。
そこで瞬時に動けるかどうかで明暗が分かれる。
私は戦場で常に即時判断を求められていた。
よって迷うことなく動き、青年から剣を奪う。
青年は「うわぁ」と驚いた顔を出していたが、ハッとした様子で頭上を見る。
つられて空を見上げた私は驚愕する。
宙に星明かりを受け、煌めくものが無数に見えた。
「アース、頼む、防御!」
青年が叫ぶと、地面から土が舞い上がったと思ったら、それは巨大な盾のように広がる。
その厚み、数メートル。
そこへ矢が次々へと降ってくる。
盾のように広がった土は、同時に岩盤のような堅さに変化したようだ。
無数の矢が当たり、跳ね返される音が聞こえているが……。
まさにギリギリ。
矢じりが貫通し、その先端が見えているところが何か所かある。
つまりこの矢は人間により放たれた矢ではない。
不法侵入を感知した魔術により、降って来た矢なのだろう。ゆえに岩盤でさえ、貫通するような勢いだった。
というか、この青年が自分の身だけ護ったら、私は今頃……。
「ご令嬢。夜の散歩を邪魔し、申し訳ありません。君に手出しするつもりはないです。ですがさすが宮殿ですね。警備兵がいないため、穴場だと思ったら……。魔術によるトラップがあったとは。ここは一旦退散させていただきます」
そう言うと、先程の逆再生、早戻しをしているような状態になり、青年は姿を消す。
呆気に取られていた私から、青年はしっかり剣も取り戻している。どうやらかなりの手練れのようだ。
「!」
盾の形を成していた土は、役目を終え、大地へ戻っている。代わりに矢が辺り一面に散乱していた。さらに警備兵の声が聞こえてくる。
面倒なことになりそうなので、私は素早くその場から立ち去った。






















































