3.
今日は始業式とホームルームのみで終了である。ノゾミを構内の案内に連れ出していくランスロットを見送ってからアリィシアは図書館に向かった。ランスロットが少しだけ振り向いて、「待ってろ」と口パクで言っていたが、図書館くらいなら彼より先に戻って来られるだろう。
王立のこの学園は、高等専門科も併設されており国内で最も規模の大きい学び舎だ。図書館の蔵書は国立図書館にも引けを取らないものである。
アリィシアの手には二冊の本。
図書館まで歩きながら、そういえばこの道のりを一人で歩くのは初めてのことだとふと思う。アリィシアも懇意にしている王妃様に言い含められているのか、ランスロットがいつも「護衛」だと言ってついてくるので。それは高いところの本を取ってくれるためのようでもあり、変なところで幼馴染に優しい王子様なのだった。
学園もこの図書館も、数十年前まで王城だった建物を移設したもので、歴史が好きなアリィシアはいつもワクワクする。多くの文化的遺産が立ち入り禁止の中、入るだけでなく実際に利用出来るとはなんと幸せなことか。
公爵家の生まれでなければ、歴史の研究のために専門科に進学したかったくらいだ。
普段はランスロットを待たせてはいけないと思ってここでゆっくりすることはないけれど、今日は一人なのだし少しくらい良いだろう。
学園は広い。
構内の案内に向かったランスロットが戻るにはかなり時間が必要だ。
本を返す前に館内を歩いていると、歓談スペースの一角で、第一王子のレイモンド王子とその婚約者グレイス嬢が並んで座っているのが目に入った。机に広げた本を一緒に覗き込み、ひそやかな声で言葉を交わしてなんとも楽しげな雰囲気だ。
レイモンド王子は、プラチナブロンドと呼ぶにふさわしい淡い金髪に、透き通るような薄水色の瞳を持つ。普段は感情をあまり表に出さず、近寄りがたい印象があるが──今は違った。穏やかな笑みを浮かべ、優しい眼差しでグレイス嬢を見つめている。
一方のグレイス嬢は、深みのあるブラウンの髪と同色の瞳を持つ、落ち着いた雰囲気の女性だ。いつもは凛とした佇まいを崩さない彼女も、今はほんのりと頬を染め、心から楽しんでいるようだった。
なんとも親密な空気。
その似合いの姿に、自然と頬が緩んだ。
アリィシアとランスロットより三歳年上の二人は、卒業後に専門課程に進み、現在は研究員として学園に所属している。
ランスロットとレイモンド王子は母親違いの兄弟だ。後継者争いが起きることを危惧した国王が、正妃が産んだランスロットを早々に王太子と定めた。そのため、アリィシアの物心がつく頃にはすでにランスロットが次期国王として扱われていたのだが、兄との関係性に、ランスロットはずっと悩んでいた。
レイモンドが、政争の道具とされることを恐れ、人と関わらずに過ごしているのがはがゆいのだという。
だから、グレイス嬢との間にある穏やかな、それでいて親密な空気は、レイモンド王子が大切な人を見つけられたことを教えてくれたようでアリィシアは嬉しい。アリィシア自身はレイモンド王子とほとんど接点がないけれども、きっと、ランスロットが喜ぶだろうから。
口の端を少しだけ緩めて、アリィシアや弟のオスカーしか分からないような笑顔を見せることだろう。
その笑顔を想像するだけで、アリィシアの心は火が灯るように温かくなる。
そう、アリィシアは、幼なじみのランスロットにずっと片想いをしている。
筆頭公爵四家の子息は、将来政治の中枢に就くため幼い頃から歳の近い王族と学友として一緒に過ごすのが慣例だ。アリィシア達の代はタイミングが悪く、同年代がアリィシアくらいしかいなかったのでランスロットと、その二歳年下の弟のオスカーとアリィシアは三人一緒に育ってきたと言ってもいい。
今でも長子のレイモンド王子を推す声はあるが、本人がその意思がないことを明確に態度に表していること、ランスロット自身の能力の高さから主流派にはなりえない。そのため、ランスロットに恋をすることは、王妃を目指すことと同義だった。
幼い頃はランスロットもアリィシアも、勉強漬けの日々から逃げ出したくて実際に抜け出したこともあった。それでも、ランスロットが王になる覚悟を決めた時からアリィシアも全力の努力を始めたのだ。
ランスロットの隣にいつまでもいるために。
アリィシアは本を持つ指に、知らず力を込める。
最近流行りの『悪役令嬢物』。また今回も悪役令嬢はヒロインへの嫌がらせが過ぎて国外追放になった。ヒロイン視点で描かれているから、読んでいる時にはアリィシアだってヒロインに肩入れしている。ライバルの令嬢の巧妙な嫌がらせに腹を立てもする。
しかし読み終わってみれば、このときのこの行動は、もしかしたらこんな意味があったのかもしれない、などと深読みしては悪役令嬢の肩を持ってしまうのだった。
幼い頃から努力をしてきたのに、いきなり現れた能力の高い庶民。血の貴さなどと言うつもりはないが、この血ゆえの責任や努力だってある。
悪役令嬢の気持ちも分かるというものだ。
とくに、すべてを持っているヒロインが身近にいる場合には。
物語と同じように、アリィシアの王子様もヒロインとの恋に落ちてしまったのだろうか。
同じ高さだった目線は、この数年で見上げるばかりになり、同じものを見ていたように思っていた彼はこの数か月で何を考えているのか分からないことが多くなった。
ノゾミの綺麗な黒髪を思い出し、息を吐く。
思いのほか深いため息になり、自分でも驚いて肩をすくめた。
ふと視線を感じて顔を上げると、レイモンド王子とグレイス嬢がこちらを見ている。きっと、アリィシアのため息が聞こえてしまったのだろう。
フロアに響き渡るようなため息なんて恥ずかしい──そう思い、会釈して慌てて踵を返そうとした、その瞬間。
アリィシアは「ガッ」と強い力で肩を掴まれた。