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作者: 石羽 宙

 いつもの席が、空いてない──。

 理由はわかっている。今日はここに来るのが遅かったからだ。




 私は学校が休みの日は開館とほぼ同時にこの図書館にやってくる。ちょうど開館の10分前に図書館の最寄り駅につく電車があるのだ。高校に入学してから2年間、休日にこの電車を逃したことは一度もない。私の絶対のルーティンなのだ。


 そして、わたしのルーティンは電車に乗って降りたところでは終わらない。駅から図書館まで歩く数分間で、今日はどの本を読もうかと考えながら幸せをかみしめる。読む前から、ずっとわくわくニヤニヤしているのだ。そうして、開館とほぼ同時に図書館の自動ドアの前に着くころには、その日最初に手に取る本は心に決まっている。


 私がいつも行くのは2階だ。ライトノベルや大衆小説、いわゆるエンタメのための本がならんでいる空間。

 

 まっすぐに心に決めた本の場所へと向かう。本を手に取ったら、早く読みたいというわくわくとともに、今にも表紙をめくりそうな右手を自制しつつお気に入りの席に向かう。全面ガラス張りの窓の前に置かれた長机の一番端っこ、左に体を傾ければ壁が受け止めてくれる場所。窓からは図書館前の公園が見える。ここ以外の席で本を読んだことはない。──いや、なかった。今日の今日までは。




 今日とうとうこの2年間続いたルーティンが崩れてしまった。いつもの席が空いていなかったから──いやそうではない。この瞬間より前から今日の私はルーティンから外れていた。




 さっき1階の入口で目の前の自動ドアが開くのを見たとき、私はまだ今日読む本を決めていなかった。それ以前に、私は駅からここまで歩いてくる間、幸せをかみしめていたというよりむしろ──悩ましい顔をしていたはずだ。


 私は今日、新しい世界に片手を突っ込もうとしていた。というのも、いつもとは違う、今まで触れたことのないジャンルの本──日本の純文学に手を出そうとしていたのだ。なぜか。理由はいたって単純、先週呼んだ異世界小説に出てくる私の推しキャラが明治文学の大ファンだったから!推しに対する好きという気持ちの原動力というのは半端ないもので、この1週間彼のことしか頭になかったようなものだ。彼のことを思い浮かべるとやる気がみなぎって何でもできた。そして彼の趣味である明治文学の書を私も読みたい、そうすれば彼に近づける・・・!


 と、取り乱してしまったがまあこういったところだ。理性的に、自分を自分から離れて見た気になれば、ああ、そういう感じね、と冷たい目で自分を見てしまうが、なんとも推しというのは理性より感情で私を突き動かしてくるので、私は今日どうしても明治文学を読む必要があるのだ!という謎の使命感にすらとらわれている。


 しかし、有名な作品をいくつかは知っているもののどれを読めばよいのかわからない。だから、本棚を見て決めよう、そう思いながら今日は図書館に吸い込まれたのである。




 目的の本棚を探すのには手こずった。いつもと同じ場所に最初に行って周りを探してみたが見つからない。ライトノベル以外の本を今までほとんど読んだことがないからな…。


 図書館のいたるところを探して、ようやく文学の棚を見つけた。知っている文豪の名前が並んでいる。どれか有名なの、どれでもいい、そう思って目についた「夏目漱石」と題に入った本を手に取る。2枚ほどめくると、「戦争と漱石」だとか「漱石文学と社会情勢」だとかそういった意味合いの言葉が並んだ目次のページが出てきた。ああ違う、これじゃない、私はそんな漱石論のような文学的な話を知りたいわけじゃなくて、ただ明治文学の作品を読みたいんだよ!


 この棚は違いそうだ、でも近くにあるはず。ふらっと本棚の間を通り抜けながら、目で本棚全体をなぞっていく。──見つけた。たぶんこれには載ってる。「漱石全集」「鴎外全集」といった、私でも名前を知っている文豪たちの「全集」が並んでいた。触れたらパリッと破れそうな、古い本たちだった。




 どれを読もう。名前だけ知っている作品を読んでみるのもいいな。でも分厚い本には多少抵抗がある。いきなり大長編を読み始めて途中で脱落してしまうのだけは嫌だった。嫌だったというか──自分の感情を分析してみれば──怖かったのだろう。


 認めたくないが私は飽き性である。長編小説など、読む前から、読み切る前に投げ出して別のことを始める未来が見えている。実際小学生の私は、学校の図書室で借りた漱石の「坊ちゃん」を十数ページ読んだところで読むのをやめて、あの文庫本サイズの「坊ちゃん」は、1週間触れられることなく返却期限を待つだけになってしまった。


 それが、今の私には怖いのである。それが、自分の決心の弱さ、愛の薄さを示すようで。そしてその恐怖が、推しを「長編を最後まで読み切るためのモチベーションとしての手段」に変えてしまいそうで。


 短編を探さないと──。でも正直に言うと、名前を聞いたことがある作品たちが並んでいても、どれが長編でどれが短編かなんて知らない。


 どれを読むか決めかねているとき、芥川龍之介という名前が目に入ってきた。何か月か前に国語の授業で羅生門を読んだことを思い出した。あれは短編だった、私にも読める。そう思ってその本を手にとると、短編が複数入っていた。羅生門、鼻、芋粥…。これを読むことに決めて、いつもの席に向かった。




 ここで先述のイレギュラーが起きたのである。私がいつも座る席で、老爺が本を読んでいた。これから読むつもりなのだろうか、机の上には5冊ほど本が積み上げられている。


 自分の心に黒い煙が湧いてくるような心地がした。仕方がないので、そのいくつか隣の席で読むことにした。慣れない古い本を、いつもと違う席で読み進める。ルーティンが壊れたことによる捉えどころのない不快感が頭の片隅から消えず、気分は曇り空のままだった。


 何度も左上のページ番号を確認してあまり進んでいないのを知るたびに、自分が負の感情から自由になれておらず、集中できていないことがわかった。それでも、茶色がかった割れそうなページを、そっと、でも古い本特有のミシッという音を立てながらめくっていく。





 ──あれ、どれくらい時間がたったのだろう。気づいたらのめり込んでいて、一作読み終えた時にそれに気づいた。1ページごとに確認していたはずのページ番号は、そこから私の意識が離れている間に一気に数十は大きな数字になっている。


 まるで、さっきまで小説の世界に自分もいて、読み終わった瞬間この図書館という静かな空間に余韻と共に戻ってきたようだった。文学に関して全く無知な私だったが、それでも──何も分かっていないのかもしれなかったっが──作品に絡みついて離れない美しさを感じた。芸術性という言葉の意味を知ったような気がした。




 余韻に浸りつつ、良き話だったなぁと振り返りながら最初の方のページをもう一度開いてみる。先ほど読んだ時はしっかり集中できていなかったのだろう、さっきは文字の列としか捉えられていなかった部分に、今度は芸術の世界が垣間見える気がした。


 それと同時に、さっきこの場面を読んでいた時に感じていた何かしらの違和感──もちろん本に対しての違和感ではなく、何というか、いつもと場の雰囲気が違うようなモヤモヤする感じ──をふと思い出した。あれは何だったのだろう。


 それもそうか、いつもと違う席に座っているのだから、いつもの安心感やらフィット感を感じられなかったのは理にかなっているではないか。ルーティンが崩れた不快感も完全には自分の心を脱せていないかっただろうし、当然の違和感だ。


 しかし、本の世界に吸い込まれ現実世界で私の意識がなくなっているうちに、その居心地の悪さはどこかへ旅立ってしまったようである。本の世界から出てきて現実に戻った私の心、その天気は逆の意味で急変していた──私は愉楽の世界にいた。


 今日の私は、昨日までの私は知らなかった世界を見ていて、それが今日の出来事の中で具現化されている、そんな気がした。昨日までの私は、こんなにも美しい純文学の世界を知らなかった。さっきまで不快の原因だったいつもと違う席も、私の新しい世界を構成する重要な一つの要素になっているようにさえ思われた。


 新しい経験をしているというはっきりとした実感は、どこか心地よかった。





 そうして芥川龍之介の短編を何本か読み終えた。色々な感動とその残響に包まれ、文字通り地に足がついていないかの如く感じる。


 もうすぐ昼だ、おなかも空いてきたし家に帰ろう、そう思って顔を上げた。全面の窓から地上の景色が目に飛び込んでくる。あれ、いつもと景色が違う…?。ああそれもそうだ、本を読むにつれて心地よさに支配され忘れかけていたが、ここはいつもと違う席だった。


 いや、それでも……。横に少しずれただけにしては違いすぎる。


 何だ、何が違う?───そうだ、いつもより視点が高いではないか!


 もしかして──そう思って階段の方に向かうと、ここは3階という表示があった。いつもの2階と机の配置が一緒だったから気づかなかったのだろうが、そういえば本を探しまわったときに階を移動した気もする。


 一つ下の階に降りてみると、いつもの席は空いていた。


 ああ、私はずっと勘違いをしていただけだったのだ。


 何となくそのいつもの席にゆっくりと近づいて椅子に手をかけ、窓から外を眺めてみる。ああこれ、いつもの景色──。


 やはり2年間この席に通っただけあって、この場所では心がとても落ち着いた。


 でも今日学んだこともある──たまにはいつもと違う雰囲気、いつもと違う景色、いつもと違う本、それもよいではないか。


 新しいことをしているという感覚は──本当に些細な「新しいこと」ではあったけれど──心に潤いを与えてくれたように思えた。





 麗らかな気分で1階に降りて外に出ると、木々の影は短く春の日の空気が漂っていた。


「あぁそこのお嬢ちゃん」


と後ろから声がした。振り返ると、ちょうど帰るタイミングが私と重なったのであろう、先の老爺──いつもの席に座っていると私が勘違いしたあの老爺──がこちらを見ていた。


「わしは毎日のようにこの図書館に来るのじゃが、君のことは今日初めて見たよ。芥川の本を読んでいたねぇ。わしも芥川の小説が好きでなぁ。」


「ああ、そうなんですか。」


私は今日ほとんど初めて純文学を読んだので、話についていけないのではと危惧したが、それは杞憂だった。


「わしはいつも同じ場所で本を読んでいるのじゃよ。この時間が好きでのぉ。」


おおなんと、いつも2階の私の真上にいるということではないか。


「私も本は大好きです。」


「そうか、感性に富んだ若者もおるでなぁ。わしが日課として毎日同じ時間に同じ場所で本を読むようになったのは髪が白くなり始めてからだったからのぉ。そっから何年たったか、もう数えちゃおれんがねぇ。」


「たまには」


考える前に、私の口が動いていた。


「たまには、いつもと違う場所で、いつもは読まないような本を読んでみるのもいいかもしれません。」


「ほぉ、なぜそう思うのかね。」


「今日、それを心で経験したからです。」


「そうか。」


と言った老爺は何か納得したようだったが、私の言葉の裏にある出来事をどこまでわかったのか、私にはさっぱりわからなかった。





 次の日、私はいつもと同じ電車に乗り、駅から図書館までわくわく歩いていた。今日は何の本を読もうか、といつものように考える。昨日新しい世界を知って、読む本の選択肢が格段に増えたことが嬉しかったし、自信でもあった。


 図書館の前に着くと、春の陽気のもと、図書館前の公園の木の下で本を読んでいる人の姿があった。──昨日のあの老爺であった。老爺の手にあったのは、今どきの若者が読むような異世界小説だった。似合わない、けどそれも良い。何とも言えない嬉しさと楽しさに、笑みが溢れる。


「おはようございます。読書日和ですね。」


私は声をかけた。


「君もそう思うかね。まあわしにとっては毎日読書日和みたいなもんじゃがねぇ、ハハハ。」




 私も公園のベンチに腰を下ろした。香りも音も景色も空気の味も雰囲気もいつもと違う。今日はここで、本のページをめくっていこう。

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