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雲一つない綺麗な快晴の日に、とある女性の葬儀が執り行われようとしていました。その女性は里の中で最も年配で、里に暮らす皆を愛し、皆に愛されていました。彼女の生涯は、暮らす場所を守るための戦いに巻き込まれることもなく、暮らす場所の価値観と相容れず苦しむこともなく、暮らす場所と異なる信仰を持つこともなく、結婚することで増えた家族と共に暮らし、暮らしているうちにその土地の様々な面を発見し、苦渋の決断を迫られることもなく、その土地に関する思い出を積み重ねていく、平穏な生活そのものでした。死ぬ間際まで愛する者に囲まれた彼女は、眠るようにして穏やかに亡くなりました。そして、そんな彼女を送るための葬儀の準備の際には、あるところでは啜り泣きの声がし、また別の場所では共通の思い出話に花を咲かせる者がいました。
そんな穏やかな時間が流れる里に、森の中から狼が突然現れました。里にあるどの建物より大きい狼の姿を見た里の民は、その狼が自分達の暮らしを守ってくれている土着神であることをすぐに理解しました。しかし、初めて見る姿の雄大さに圧倒された里の民は、歓喜の声や歓迎の声を発することすらできませんでした。
そして、誰も動けないでいる間に、狼は鼻を動かし匂いを嗅ぐと、迷いなく老婆の遺体に向かいました。誰もが息を止めて狼の動向を見守る中、狼は口を大きく開けると老婆の遺体を一口で飲み込み、満足そうな様子を見せ、悠々と立ち去ろうとしました。
「うむ、なるほど」
「待てよ!」
しかし、そんな狼のことを呼び止める者がいました。
「おばあちゃんを返せよ!」
大きな声で怒鳴りながら老婆を食らった狼に食って掛かったのは、老婆の孫の少女でした。しかし、老婆の実の娘、少女の母親である女性がその少女のことを止めました。その隙に狼は立ち去り、そんな狼の背中を睨みつける少女に向けて、少女の母親は諭すように言葉を発します。
「お母さんは、自分が亡くなった後に狼が現れて、たとえ何をしても止めないように、って言い残していたの。だから、落ち着いて」
「そんなの従う必要ないでしょ!」
母親の言葉にも全く納得のいってない少女は、そう言い残すと狼を追いかけていきました。老婆に恩を感じていても動くことができなかった多くの者が、その後ろ姿をうらやましそうに眺めていました。
「待てよ、クソ狼!」
狼に追いついた少女は、敵愾心を露わに声をかけました。その眼には祖母を奪った存在への怒りが込められています。
「なんでおばあちゃんを食べたんだよ。あんなこと、あんなひどいことしなくて良かっただろ!おばあちゃんは、ちゃんと土に還されるべきだった。だから、お前におばあちゃんを食べる権利なんてない!」
「権利も何も、約束を交わしていたのでな。年を重ねてから、と」
悪びれる様子を見せずに答えた狼に、少女はより一層腹を立てました。
「人食い狼が、偉そうに」
「巫女として捧げられた者以外に手を付けていないことは、むしろ褒められるべきことであろう」
後悔や反省を感じさせない発言に苛立ちを募らせながらも、少女は何かに気が付きました。
「積極的に食わないってことは、腹が減ってもないのに食ってるのか?ふざけんなよ、クソ!」
「何、わけのわからないことを言っている。無意味に食べているのではなく、必要だから食べている。美味だと感じるということは、生存に不可欠で肉体がその栄養を欲しているということ。生物として、生きるために食事をすることは当然のことだから食べている」
少女の発言を聞いた狼は、動揺したような様子を見せました。そんな狼の様子に戸惑いながらも、少女は意地の悪い顔をしました。
「巫女を食うことに罪悪感を感じてんのか?怪物のくせに」
「違う、わ、我は怪物じゃない」
「なんだお前、動揺してんのか?口調が崩れてるぞ」
狼の言葉に動揺を見出した少女は、ここぞとばかりに煽りました。
「口調。…ああ、そうであったな。懐かしいことだ。我にこの口調を教えた巫女は、不思議な者であった。初めは、口調を教えるという体で生き延びようと考えているのだと思ったのだ。良くある話であろう?生き延びるために会話で時間を稼ぐ。だが、奴は純粋に我に対する信仰心が強くてな、嘘偽りなく我に威厳を与えたかっただけの面白い巫女であった」
しかし、思っていたより動揺は続かず、それどころか、かつての巫女の思い出を振り返りながら、楽しそうな顔で懐かしい存在のことを語りました。
「それと、お前の祖母にも言いくるめられたことがあったな。奴の方がお前より幾分上品で、そのときは言い返せる余地もなかったがな」
「お前がおばあちゃんを語るな!」
余裕を取り戻した様子の狼は、親の仇を見るかのような表情で己を睨みつけるその少女のことを微笑ましそうに眺めていました。
「お前がどれほど騒ぎ立てようが、我とお前の祖母は友好的な関係性であった。それに、何故そこまで祖母にこだわる?」
「どうしてって、私は里の退屈な暮らしが嫌いで、里のみんなはここの暮らしが好きで、そのせいで私は嫌がられてた。けれど、おばあちゃんとおじいちゃんは、そんな私のことを大事にしてくれたし、いろんな旅の話を聞かせてくれた。二人とも私のことを可愛がってくれたから、大好きなんだよ」
「それならば良いではないか」
祖父母が生きていた頃の思い出を聞いた狼が、少女の発言の何を良いと言っているのか、少女は全くわかりませんでした。そんな疑問に思った少女の姿を見た狼は、おそらく言葉の意味を理解してもらうことを目的に語り掛けます。
「お前の祖父母は、既に寿命を迎えたが、お前が覚えている限り、その二人はお前の心の中に存在し続けるのだ。亡くなった直後の寂しさのせいで八つ当たりをする相手が欲しかったのであろうが、そんなことをするより、誰かと思い出の共有をして、心の空隙を埋める努力をした方がよっぽど有意義であろう」
「じゃあ、教えてよ。お前目線では、おばあちゃんはどんな人だったの?」
狼はその返事に困惑を滲ませていました。きっと家族や里の民と話し合って欲しかったのでしょう。まさか自分に聞くとは思わず、驚いたような反応を見せましたが、そこまで言うのならばと言いたげな様子で、狼は語り始めました。
「それならば語ってやろう。お前の祖母、生贄として育てられた少女が、どのようにして土着神である我とともに終の棲家を探す旅に出て、どのようにしてこの地に至ったのかを」
二人の旅は既に終わりましたが、その生涯が語り継がれる限り、その存在は誰かしらの心の中に思い出として存在し続けるでしょう。




