魔族の国
睨み合いを続ける二人と魔族との間では、相変わらずお互いが今すぐにでも襲い掛からんとする空気が流れていました。
「まあ、お前達を守るくらいなら容易いことだ」
「うん?言葉を話す狼?ウェアウルフか?」
危険な状態でしたが、狼の声を聞いた途端、魔族たちの雰囲気が和らぎました。それどころか、二人のことを歓迎する雰囲気へと変化していきました。
「ウェアウルフと共に行動するってことは、お前達邪神教団って奴らか?なんだ、味方かよ。それならもっと早く言ってくれよ。それで、ここへは何しに来たんだ?」
折角やり過ごせそうでしたが、自分達が邪神教団の一員だと思われることは、二人にとって複雑でした。
「私達が邪神教団!?そんなこと…」
「俺達は暮らす場所を探しにきたんですよ!」
「ふーん。どんなところに暮らしたいんだ?何か譲れない条件とかってあるのか?」
フォールの声に被せてリッタが言葉を続けたおかげで、争いが起こらず、ごく普通の質問が帰ってきました。しかし、二人は返事に窮しました。自分たちの平和な暮らしを求めていたはずのフォールは、命懸けでも兄妹を助けるつもりでした。美味しい食事なんて言っていたリッタは、そんなことを言えるはずもないと自責していました。
「分からないなら、とりあえずこの国を見てから決めればいいんじゃないか?」
納得できる答えを出せなかった二人には、考えるための時間が必要でした。
「二部屋でお願いします」
宿屋でも、何をするでもなく、ただ静かに思案し続けるのでした。
その翌日、国を見て回る二人は、前日に出会った魔族と再び対面していました。
「お前達、昨日ぶりだな。ちなみに、この国にはどれくらい滞在するつもりだ?」
「もうしばらくの間いると思う」
「そうか。もうしばらくこの国にいるのなら、魔王様に一度くらいは謁見するといい」
「それって結構時間がかかるよね?」
「だいぶ時間はかかるだろう。魔王様は忙しいお方だからな」
「いや、むしろ向こうから来るかもしれぬ」
「ルディ様、それはいったい?」
狼がよくわからない言葉を発してから少し経った後、彼らのもとに馬車がやってきました。
「狼様、それとそこのお二方も魔王城に来てください」
何故か狼の言葉通りに魔王城から迎えがやってきて、それを拒否することもできないまま二人と一匹は魔王城に連れていかれるのでした。
馬車に乗せられた二人と一匹が連れていかれた場所は、荘厳な魔王城でした。多くの魔族が暮らす城の中、気を抜くと襲われてしまいそうな恐怖に震えながら一歩一歩進み、二人が辿り着いた最奥の部屋には一際威厳のある魔族、魔王がいました。
「あなたが俺達を呼んだのですか?」
「いや、余ではない」
魔王が自分達を呼び出していないのであれば誰に呼び出されたのか、不審に思っていると、どこからともなく声が聞こえてきます。
「もちろん、私だよ。ああ、ジェーン、会いたかった。私の番になるために会いに来てくれたのだろう?」
「ジェーンではない。ルディだ」
「そうかい、ルディ。それとお前達はもういいぞ」
突如として現れた男、顔立ちの整った壮年の人型の男性は、そのままの勢いで狼を連れてどこかに去って行きました。既に用済みになった二人は、遠ざかって行く男と狼の背中を見ながらその場に取り残されるのでした。
魔王と彼の配下、それと二人が残された場では気まずい沈黙が流れていました。
「魔王様、先程の者は?」
「ああ。あれは、邪神様だ」
その言葉を聞いた途端、フォールの頭は怒りで埋め尽くされました。
「あいつのせいで」
あいつさえいなければ、あの兄妹は救われる。フォールはそんな考えで頭がいっぱいになりました。
「フォール、やめよう。そんなことしても意味はない。それこそ、無駄死にだよ」
怒りで支配されたフォールをリッタが宥めようとしても、彼女の頭が冷えることはありませんでした。それどころか、ただの八つ当たりだと理解していても、リッタに対して怒りの感情を抱き、リッタにそんなことを言われるのも嫌で嫌で、より一層怒りを募らせることしかできませんでした。
「それで、お前達は何者だ?邪神様が呼んでいたのがあの狼ならば、邪神様に敵意を剥き出しにするお前達のことを余が見逃す理由はあるか?」
「えっと、理由はないかもしれないけど、俺達は魔王様と敵対する意思はありません。だから、見逃してくれませんか」
魔王の言葉に反論することができなかったリッタには、命乞いをすることしかできませんでした。ただ必死に、どうすればフォールを守れるのか考えていました。
「お前はそこの女と違って、邪神様と余に敵意を持たぬのか?人類の敵だぞ」
「理由が分からないからです」
「理由とは余が人類と争う理由か?」
「そうです」
「そうか、それならいくつもある。例えば、先代から続いているから、多くの魔族がそう望んでいるから、などだな。その他にも数々の理由があるが、何より一番大きい理由は魔族を守るためだ」
「魔族を、守る?」
「ああ。既に人類と魔族の争いは長く続いており、殺し殺されるのが現状だ。それならば、我々が殺されないために奴らを殺す、我々が飢えないために肥沃な土壌を奪う、我々の生活を発展させるための労働人口を確保するために奴らを捕らえる。要するに、魔族の平和な暮らしを守るためだ。人類を犠牲にしてでも、魔族の平和な生活を守りたいのだ。どうだ、敵対視するか?」
「俺には、責められないです」
そんな魔王の露悪的な返答をリッタが否定しなかったことに、その場にいた全員が呆気に取られました。
「なぜだ?」
「俺も一緒だから。誰かを守るために、他の誰かを見捨てたことがあるから」
魔王の疑問に対するリッタの返答を聞いて、驚いた者や呆れた者、様々いましたが、フォールは怒りを再燃させました。
「それなら…なんであんなことをしたの。そんなことを言うくらいなら、一緒に助けようとしてよ!見捨てようとなんてしないでよ!そんなことしなければ、そうやって後悔することだってなかった!」
リッタの言葉に後悔を感じながらも怒りが抑えられなかったフォールは、周りの者を置き去りにして叫んでいました。
「何の話だ。仔細、話してみよ」
そんなフォールの様子を見た魔王は、当然のように二人が仲互いする理由について疑問を抱くのでした。
話を聞き、二人のこれまでの態度に合点がいった魔王はゆっくりと頷きました。
「なるほど。どうりで邪神様を敵視するわけだ」
しかし、なぜリッタが幼い兄妹を見捨てて逃げ出したのか、その動機だけは分かりませんでした。
「それならば、何故その時だけ逃げた?」
「あのまま戦っていたら、一人か二人死ぬかもしれないって言われたからです。それにエルフだってことがバレてたら、俺達の血を取るために捕まったかもしれない。だから、俺の判断で、無理矢理フォールを連れて逃げました」
「ふむ、まるで自分にだけ責任があるかのように言うのだな」
「違う!俺が臆病で、死にたくなかったからだ」
「なるほど、本当の理由はその娘にあるのか」
「違う!」
「それじゃあ、本当の理由を言ってよ。私が納得できるような説明をしてよ」
追い詰められたリッタは、フォールの懇願を聞いて迷いに迷い、これ以上誤魔化すことは諦め、静かに語り始めました。
「…今まで言った理由だって、もちろん本当。アルテュールさんみたいに、誰かを残して死ぬかもしれないのも怖かった。けど、一番大きい理由は、兄妹を助けるために戦っていたとすると、最初に死ぬのはフォールだったから」
「私だってそう簡単に殺されるつもりなんてないのに、どうしてそんなに私だけを心配するの?私以外の誰かが先に死ぬ可能性だってあったはずなのに」
「いや、それはない。きっと最初に殺されるのはフォールだった」
不思議なほど確信を持って語るリッタの姿に、フォールは不信感すら抱いていました。逃げた自分の行動を正当化するためにそう思っているのではないか、と。しかし、心の中ではリッタのことを信じたいという気持ちもありました。
「フォールはあの兄妹を見捨てなかったと思う。きっと、あの兄妹が傷つけられたら治そうとした。それに、囮として利用することもない。だから、フォールの魔法が届かない距離で兄妹が捕らえられたり殺されたりすることはなかったと思う。そうなると奴らもきっと気が付く。あの兄妹を捕まえるには、先に治癒魔法使いを殺さないといけないってことに」
目の前で仲間を斬殺された思い出は、死への恐怖と、治癒魔法使いとの戦い方をリッタの心に植え付けていました。
「何それ。そんな理由ならもっと早く言えばよかったのに」
「フォールを言い訳に使いたくなかった」
「そんなの言い訳じゃない!」
「言い訳だよ。俺はあの兄妹とフォールを天秤にかけて、フォールを優先した。俺はあの兄妹を見殺しにして、フォールに見殺させた。…だから、俺には魔王様を責められない。規模は全然違うけど、魔王様が人類より魔族を優先する気持ちも、わかるかもしれない。本当にすごいことだと思います」
リッタの言葉を聞いたフォールは、安心感、罪悪感、そして怒りなど、リッタに対して入り混じった感情を抱いていました。
そして、魔王は、リッタの言葉に心動かされていました。
「お前達、席を外せ」
「しかし」
「この二人に興味が湧いた。もう少し話がしたい」
「御意に」
魔王の命令で、この場に残された二人は、お互いに語る言葉を持っていませんでした。
魔王の配下がいなくなったことで、二人は少しだけ冷静になりました。
「それにしても、たったそれだけで余と同じような経験をしていると言うか」
「そんな偉そうなことは言えないけど、俺は魔王様のことを否定できません」
「良い。リッタだったか?余はお前のことを評価している。なにしろお前のような存在は初めてだったかもしれぬ。余の周りにいる者は畏怖か崇拝を、人類の多くは憎悪や敵意を。純粋に同意をされるということは久しぶりだ。存外、心地よいものなのだな」
威圧感が緩み、素直になった魔王は柔らかく微笑みながら、リッタのことを見つめていました。そんな魔王を見たフォールは、魔王の姿に親近感を覚えながらも、簡単に許してしまえばあの兄妹を軽視しているように思えて、自分の気持ちの整理がつきませんでした。
「改めて、余の、いや違うな。僕の名前はアザゼルだ。既に誰も呼ばぬ名だが、この名をリッタに知っていて欲しい。…ああ、こういうときは何を話すものなのかわからぬ」
柔らかく微笑みながら会話をするその存在は、とても魔王なんて仰々しい存在には見えず、それどころか、友人との距離の詰め方に苦労をする、不器用な一人の青年にしか見えませんでした。
それから、リッタはアザゼルに砕けた話し方を教えたり、取り留めのない話をして仲を少しずつ深めていきました。その姿を見ても、フォールは様々な感情の間で揺れ動いていました。
「お前はまだ素直になれぬのか。まあそれも良いのであろう。すべて生き物は何かを犠牲にせずに生きられないものだが、犠牲にすることの是非など誰にも分からぬ。存分に悩め。お前達の生涯はおそらくまだ長い。それでは、さらばだ、リッタよ。勇者や人類との争いが終わった後に、再び会おう」
リッタの友人としてではなく、魔王として別れの言葉を言うなり、魔王の配下と狼が部屋に戻り、二人と一匹は追い出されるようにして城を立ち去るのでした。
魔王城を後にした二人は、魔王と勇者の争いから逃れるために、国から去ろうとしていました。宿屋などのお世話になった人達に別れの挨拶を済ませると、二人と一匹は出発しました。
国から十分離れた場所まで歩いてきましたが、二人の間に会話はありませんでした。けれど、ようやく覚悟を決めたフォールは、改めてリッタと向き合いました。これまで話せなかった分を取り戻すために、リッタのことをしっかりと理解するために。
「私よりも、あの子達のことを守ってほしかった」
「俺は、あの兄妹よりフォールを守らないといけないと思った。だから、それは無理な話だった」
「どうして、そこまでして私を守ろうとするの?」
「どうしてって、それが里に居た頃の役目だったから」
「役目って何の話?」
「生まれた時からの役目、里での役割だよ。巫女であるフォールが人柱として森の主に捧げられるまでの間、身の安全を守るために俺は生きていた。だから、俺にとってフォールは、何よりも守るべき存在なんだよ」
「それは、あの子達より私を優先するほどの理由になるの?」
「わからないけど、俺はそれ以外どうすればいいか分からなかった」
リッタの意見を一通り聞いたうえで、それでも簡単に納得することもできず、フォールは自分の答えが出るまでゆっくりと思い悩みました。
「…きっと、私はリッタのことを恨み続ける」
ようやく口を開いたフォールの言葉は、否定的なものでした。リッタも予想していましたが、耐え難く、苦しい表情を浮かべます。
「そう、だよな。俺は許されないことをしたんだよな」
「けれど、私のことを助けてくれたことに感謝もしているし、あの子達を助けようと思ってくれていたことは安心した」
「え?」
「別に、片方の感情しか持ってはいけないなんて決まりはないでしょ。リッタだって、物事には良い面と悪い面があるって言ってた。あの子達を見捨てさせたことを許すのは簡単じゃないけれど、一度許せないと思っただけで、リッタの全部を否定したくない。だから、恨みと感謝、否定的な感情と好意的な感情のどちらかだけを選ぶなんてこと、私にはできない」
「何それ。そんなのって」
どっちつかずとしか思えないフォールの決断を否定することもできず、リッタは何も言い返せませんでした。
「だから、私は仲直りがしたい。そう簡単に恨みは消えないけれど、いつまでもこのままでいたくない」
「もし、もしもあの場面に戻れたとして、俺はあの兄妹を見捨てると思う。それでも、俺のことを許すの?」
「リッタなりに葛藤してたことはわかったから。あの兄妹のためにも見捨てさせられたことは許さないけど、リッタのことは許したい」
フォールの言葉をしっかりと受け止め、固い決意を目の当たりにしたリッタは、今一度フォールに歩み寄りました。
「俺も、これまでみたいにフォールと話したい。だから、黙って連れ出してごめん。フォールの決意を踏みにじったりして、本当にごめん」
そう言うと、ぎこちなさの残る表情でお互いに一歩だけ近づくのでした。
なんとか仲直りをすることができた二人は、次の目的地について話し合っています。
「私達って選り好みしてたのかな?どうしても譲れない条件を優先した方がいいのかな」
「そっか。それなら、フォールの安全はだけは譲れない」
「それだけ?じゃあ、次に行った場所が最後になるかもね」
「そうか、最後になるかもしれないか。それならばお前達に相応しい場所に連れて行こう」
「珍しいね、ルディがそんなこと言うの」
「そうですね、ちなみに場所はどこなのですか?」
「行けばわかる」
こうして次の目的地が狼によって決められたところで、自分達が何を優先して生きるべきか悩み続ける二人と一匹の最後の旅が始まります。




