1-2
その当日、里は異様な雰囲気をまとっていました。
自分の代で生贄を出せることに興奮を隠し切れない里長、祭りのように浮かれている里の民達、目を逸らすことしかできないフォールの両親、諦めて受け入れているフォール、そして何やら覚悟を決めた様子のリッタ。
様々な感情が入り混じった異様な雰囲気の中、里長がよく通る声で宣言をしました。
「これより巫女には泉で身を清めてから、その後森の主にその体を捧げてもらう。それではオリヴァーとハンナ、彼女をお連れするのじゃ」
監視役として選ばれたのはリッタの両親でした。
逃亡防止のオリヴァー、身を清める間も監視を欠かさないためのハンナ、そして情が湧いていそうなリッタを護衛から外す、なんとも的確な指示でした。
まあ、はじめから逃げる気のないフォールには過剰な監視だったのかもしれませんが。
もちろん逃げるつもりのないフォールを連れた一行はあっさりと森の主の棲家にたどり着きました。
「ここからは一人で行け。我々は立ち入ることが許されていない」
鬱蒼と生い茂る森を抜けて里へ帰ることなど出来ないと踏んだのか、二人はその場を去っていきました。
実際に帰る道が分からないフォールに残された選択肢は、食べられて死ぬか彷徨って餓死するかの二択でした。
それならばいっそ食べられたほうが楽だ。そう考えたフォールは覚悟を決めると、僅かに震えながら森の主の棲家に入っていきました。
フォールが足を踏み入れたそこは棲家と言うには何もなく、そこら辺の森と変わらぬ光景が広がっていました。
しかしその雰囲気は尋常でなく、迷い込んだ動物さえも背筋を伸ばしていました。
フォールはその雰囲気に圧迫されながらも一歩一歩中心に向かっていくと、それはいました。里にあるどの建物よりも大きい狼がいたのです。
何を隠そうその偉大なる生き物こそ、森の主と呼ばれる存在だったのです。
その雄大さ、荘厳さはとても言葉では言い尽くせません。現にフォールも無意識のうちに膝をつき祈っていました。
森の主はその様子を舐め回すように見ると口を開きました。
「当代の巫女は実に見事だ。きちんと修行に励んだのであろう、実に美味そうな魂をしている」
その声に生物としての格の違いを理解したのか、フォールの体は震えが止まらず顔には恐怖が浮かんでいました。
言葉では死を理解しているつもりでした里のためなら死ぬ覚悟をしているつもりでした。
しかしいざ直面すると、あまりの恐怖に泣きそうになって後悔をしていました。
もっと生きたかった、いずれ来る死を恐れずに生きたかった、もっと両親と会話をしておけばよかった、もっと同い年の子と遊びたかった、生きることを認められたかった、生贄としてではなく私自身として生きたかった。
年相応な感情と欲求を溢れさせながら、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの視界に鋭い歯が迫っているその時でした。
「やめろ!」
大きな声を上げながら矢を放った無粋な乱入者が現れたのです。
乱入者であるリッタは弓矢を鉈に持ち替えると少しずつ近付いていき、ついにフォールを己の背後に回らせました。
しかしそのことにも偉大なる森の主は、怒りも何も見せませんでした。
それどころか二人をしげしげと眺めると、何やら一人で合点がいった様子で言葉を発しました。
「お前たちはそうか!どれほど昔のことだったか忘れたが、かつての巫女と護衛の生まれ変わりか!」