5話
部活終わりの午後六時過ぎでもすっかり空が黒になる頃。下校便のバスを降りた海岡と村田は、いつものように身体を寄せ合って下校していた。村田は学校指定の黒のブレザーにライトブラウンのロングコートという出で立ちであった。海岡も同じくブレザーにダークグレーのアウター、それと村田が誕生日にプレゼントした赤いマフラーを着こなしている。腕と腕がぴったりとくっつき、二人の間に存在する壁はもはや何枚かの衣服だけであった。
「寒いね、悠弥」
吐く白い息とは対照的に、紅潮しきった手をさすりながら言う。
「ああ、今年は特に寒い気がする」
そう言って村田は目線では訴えず、海岡の手の甲に自身の手を当てる。その行為の意味を察したのか、海岡は満足げに手を握った。海岡は村田の手の皮がまるで石のように感じたが、手の温度に充実した温かみを感じた。村田は海岡の手の皮がまるでヒャクジツコウのようにすべすべしていると思った。
「悠弥の手硬いね」
「剣道してるから多少はね。春花の手も硬い」
「そういうこと、女の子には言っちゃいけないんだよ」
海岡は手を握る力を強めた。
「でもスベスベしてる。ずっと触っていたいって思っちゃうくらいに」
村田は彼女の握力に一切の抵抗を示さずに言った。手を握る力が弱まり、拘束を解かれる。村田はそのタイミングを逃さず、互いの指が交差する恋人つなぎになるように握りなおした。
「ねえ、まだ他の人もいるよ。ちょっと恥ずかしい」顔を赤く染めて海岡が言う。彼女の顔は気温の低さによって赤くなったのではなかった。
「さっきからくっついてたし、大して変わらないよ。きっとほかの人も見てる」
「でも......」
「嫌だった? それならごめん、やめるよ」
村田は海岡が拒否している訳ではないことを知っていながら訊いた。
「嫌じゃないよ。でもほら、友達もいるし」
海岡は仲のいい一人の女子を見た。その女子の隣を歩くのも、また海岡と仲のいい女子だった。
「じゃあ別の場所を通っていこう。大丈夫、この辺の道は知り尽くしてるから」
そう言って村田は大きな通りを一本横に伸びる道に逸れて、一つ横の通りに出た。
目の前には住宅街が広がっていた。六時半を少し回った頃であることも相まって、どこを見ても明かりが点いている家ばかりであった。道路と歩道が整備され、街灯も絶え間なく光り続けている。また各家が所有しているであろう庭の草は均等に生えそろっており、そこに住む人々の気品の高さを思わせた。
住宅街を歩いて十分ほどしたころ、二人と街灯を二つほど挟んだところに一人の子供がいた。家の正門近くの塀に背中をあずけ、体育座りの姿勢で顔を埋めている。
「子供、だね。外はこんなに寒いのにどうしたんだろう」
海岡が言い終わった次の瞬間、家から男のものと思われる怒号が響いた。
「お前がそんなこと言うからだろう!」
村田はそれを聞いてすぐに子供のもとへ駆け寄った。海岡は、自分の手から消えた村田の手と温もりをじっくりと確かめるように掌を見つめた。
「僕、大丈夫? どうしてここにいるの?」子供と視線を合わせるためにしゃがんで言う。
上品な部屋着を纏った子供は、驚いた顔をして村田を凝視する。面を合わせた瞬間、村田の頭では何かがひっかかった。特別、村田は子供が持つ青い目に既視感を覚えた。
「お兄さん......」
子供の声を聞いた瞬間、村田の脳内で半年以上前の登校風景が思い出された。
「あの時の」
「ちょっと悠弥、走るの早いよ」
海岡が息を切らせながらやってきた。
「あの、お兄さん。僕は大丈夫です。だから気にしないで」強がった表情をしてみせて子供は立ち上がる。小学三年生くらいだな、と二人は思った。
しっかり通った鼻筋と、青い目、艶を放つ絹のような黒髪に、敬語とタメ口が入り混じった言葉を聞いて村田は、ドキュメンタリー番組を見て登校した日にぶつかった子供と、今目の前にいる子供が同一人物であることを確信した。
「悠弥、この子と知り合いなの?」綺麗な顔、と海岡は呟いた。
「うん、以前にちょっとした接点があったんだ」そんなことより、と付け加えて村田が言葉を続ける。「そんなことより、大丈夫なわけない。僕、お母さんたちの喧嘩が嫌で家を出たんだよね。それとも追い出されちゃったのかな。ああそれと、怪我はない?」
村田はペコリと頭を下げた子供の姿を思い出しながら言った。
海岡が村田と同じ姿勢をとるためにしゃがんだ。
「ちょっ、そんな矢継ぎ早に聞いても混乱しちゃうって。悠弥は一回落ち着いて」
海岡の制止を聞いて村田は我に返る。
「ごめん、冷静じゃなかった」
ええと、と村田は言葉を置く。
「僕、会うのは二回目だよね。こんな形で会うとは思わなかったけど......俺は村田悠弥っていいます。こっちにいるお姉さんは......」
村田は自己紹介するようにと促す視線を海岡に飛ばす。
「海岡春花っていいます。僕はなんていうのかな」
海岡はさっきの村田とはごく対照的に、平常心を保ちながら訊いた。
「......アオイ。タマコシアオイです」
タマコシと聞いて、村田は咄嗟に表札を確認する。そこには玉腰蒼依と書かれていた。
「そっか。蒼依くんありがとう。それで確認したいんだけど、どうしてこんな時間に外に出てるのかな。家にいないと、お父さんとお母さんが心配するよ」
村田も海岡を見習って落ち着いた口調で話した。
「お父さんもお母さんも心配なんてしないです」だって、と玉腰は言いよどんだ。
「だって、どうしたの? 何があったのかな」
海岡が優しく、玉腰の心を落ち着かせるように言った。
「......だって、僕は追い出されちゃったから」
海岡がまさか、と小さく声を上げ、口を手で覆う。予想外のことに条件反射的に口にしてしまったのだ。村田は玉腰の言葉を聞いて、心臓をキュッと軽く握られた感覚に襲われた。
「それは悲しいね。俺は蒼依くんの気持ち、すごくよく分かるよ」言い終わって小さくため息をついた。「そうだ、そのままの恰好じゃ寒いよね。俺はさっき走って十分温かいから、このコートを着てよ」
そう言って自身のライトブラウンのロングコートを玉腰の背中から着せた。しかし彼にとって、村田のような百七十五センチを超えている男子高校生用のコートは大きすぎた。そのためコートは地面と接し少し折れ、丁度頭の頂点くらいにコートの首元があった。
「ありがとうございます」そんなはずはない、と思いつつ、村田の厚意に丁寧なお礼をした。
綺麗な笑顔だ、と村田は思った。
玉腰はブカブカのコートに袖を通して、温かいな、と思いながら二人を見つめた。
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