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1話

初めての連載物かつ、まともな物語を書こうと思います。内容は題名の通り「とある男の話」です。

両親からの抑圧に苦しむ村田と、彼を支える海岡、そして二人の運命を大きく動かす少年の物語となるでしょう。

普通の人生を送るのは意外にも難しいものだ、と村田は自室のテレビを見ながら思った。戦地で苦しむ子どもたちを追うドキュメンタリー番組だ。午前五時。テレビを見ること自体が稀である村田にとって、この時間帯にそういうジャンルのテレビが放映されていることはかなり意外だった。

昨夜早寝してしまった、というより帰宅してからの一連の流れを終えてすぐに就寝してしまった村田はいつもより一時間半早く起床した。

一階にあるリビングからは微かな音が聞こえてくる。村田の母である玲子が家事をこなしている音だ。

「することもないし、手伝うか」村田は一人そう呟いて、自室の扉を開けていた。

部屋から出て、階段を降り、リビングの扉を開ける。村田の目の前には洋服をたたむ玲子の姿があった。

「あら、おはよう悠弥。今朝は早いのね」

「おはよう、母さん。昨日風呂上がって髪を乾かしてからすぐ寝ちゃってさ、早めに目が覚めたんだ」

「ふぅん。勉強はしていないってことね」

玲子は皮肉を含んだ声音で言った。

「ごめん、疲れが溜まっていたんだと思う。今日は昨日の分を取り返せるくらい頑張るよ」

「別に、それならいいけど。ご飯は少し待って。全く、どうして今日は早起きなのよ。もっと寝ていれば良かったのに」

「……ありがとう。でも大丈夫だよ、まだお腹は空いていないし、朝食はいつも通りの時間にお願いしたいな」

村田は玲子の言葉遣いに慣れていた。幼少期のことからであるし、そうしないと村田自身の精神が保たないからだ。

「そう、じゃあ適当にくつろいでいて。私はまだやることがあるから」

「うん。でも母さん、今日は俺も家事を手伝うよ。あとは何があるの?」

「なに、あんたに手伝ってもらわなくたって私一人でできるわよ」

「そんなこと言わないで。俺が手伝いたいんだ」

「いいから、私の手伝いをするくらいなら勉強でもしていなさい。その方があなたも楽になるでしょう」

村田は形式的な寂しさを感じた。それは常に村田の側にいる種類の寂しさだった。

「……わかった。ごめん、自分の部屋でしてくるよ」

玲子がなにかを呟いているのが分かった。村田の聴力は同年代の高校生と比べてかなり優れており、五メートル先の話題でも自分のことなら耳でキャッチできる。そうでなくとも三メートル離れている程度なら鮮明に聞こえてくる。しかしなぜか、村田の耳に玲子の言葉は入らなかった。その違和を疑問に感じることなく、村田は自室に戻り参考書を広げていた。

時計の針がズンズンと進む。特別、村田は勉強が好きな訳では無い。とはいえそれに没頭することが出来た。得意分野で、かつ抱える面倒事を頭の外へ追い出せるからだ。一時的なものであるとはいえ、それは村田の密かな幸せであった。

勉強を初めて一時間が経過した頃、村田は休憩に突入しようとしていた。それが村田の勉強スタイルだ。一時間勉強に集中し、十五分休む。その繰り返し。縦令定期テスト前であってもそのスタイルを崩すことはなかった。

だが今回、もう少し続けるかと村田は思った。理由は特に思い浮かばない。ただしたかった、その感情を言葉で表すならそうでしかなかった。

それから約三十分が経過し、いつもより早く制服に着替え終えた頃、玲子は部屋の扉をノックしてきた。

「勉強していたのね、偉いわ。ご飯できたから降りてきなさい」

机の上を眺めながら玲子は言った。

「うん、わかった」村田は半ば機械的に返答した。

父親である真人の部屋も同じようにノックする玲子を横目に、村田は再びリビングに降りた。

朝食を摂り終え、登校カバンを握りしめた瞬間、村田の背中に真人の言葉を投げかけてきた。

「おい、悠弥。こっちを向け、まだ家をでるな」

「どうしたの、父さん。まだ俺が登校するには早いけれど──」

「お前の登校時間はどうでもいい。そうではなく、今回の定期テストのことと模試についてだ。今回はどうなりそうだ」村田の発言を遮って、真人は言った。

「大丈夫、いつもと変わらないよ。定期は学年首位を取るし、今度の模試でも同じように上位を取るよ」

「それではだめだ。模試の方は具体的な全国順位を言え」

一体何位を提示すれば父親は納得するだろうと村田は考え、しばし逡巡する。

「最低でも二桁、努力目標としては七十位を設定するよ」

真人は常々、「目標を掲げるときは最低目標と努力目標を設定しろ」と言っている。そのために村田は二つの目標を提示した。

「そうか、最低はお前の言うとおりでいい。だが努力目標は七十ではだめだ。五十にしろ」

しかし真人にとってそれは満足できるものでなかった。村田は微小の寂しさを感じた。いつもの寂しさだ。

「分かった。父さんの言う通りにするよ」

真人は満悦の様子で背中を向けた。いってらっしゃい、の一言もなしにリビングへと戻っていった。

村田もまた無言で玄関の扉を開け、ゆっくり地面を踏みしめながら家を飛び出した。

学校に向かう途中、村田は周囲を見渡す。いつもと違う時間。当然にそれだけで大きく登校景色が変わる訳がない。だが村田はある種の期待を込めて景色を観察する。

 家と通学で使うバス停までの距離がちょうど半分に差し掛かったとき、村田の目には一組の親子が目に飛び込んできた。自転車に乗りながら、おそらく登園中なのだろう。子供の方が元気よく母親に話しかけている。幸せが走っているなと村田は思った。

自分にも斯様な時期があっただろうかとバス停を目指して歩きながら”子供の頃”を思い出す。村田は自分の足で登園路を進んでいた。特別な行事がない日はいつもそうだった。つまりはお遊戯会や運動会、参観日など、そういう日だけは玲子が車で幼稚園まで送ってくれた。特段会話を交わすこともなかったけれど、それでも幼い村田にとっては幸せだった。

「おはようございます~」と明るく上品に振る舞う玲子の姿が村田の目には浮かんだ。

幼稚園教諭に声を投げかける玲子を村田は一度として忘れたことがない。普段家では絶対にそういう姿勢を見せないため、ひどく印象的だったのだ。

教諭も明るく応対した。他にも気品に溢れる母親はいたが、どの教諭も玲子には他の母親以上に丁寧だった。高校生である今考えてみると、おそらく自分の家柄が影響していたのだろうと村田は察した。

父親は資産家。母親は専業主婦でありながら株で年七百万円以上の利益を出す。傍から見れば日本有数の幸福な家庭であると同時に、おそらくは羨望の眼差しを向けられる家庭だろう。

実際村田の両親は、自分たち以上にどの分野においても最高峰の才覚を発揮する村田に対して大きな期待を込め、また厳しく育てた。絵、ダンス、ピアノ、サッカー、そして何よりも勉強。両親は村田以上に村田の才能を把握していた。そして村田がどこまで自身の才能を認知できているかに構わず、両親は愛を詰め込んだ。

どの観点においても村田家は恵まれていた。あるいは、自分たちの力で恵みを勝ち取っていた。村田の両親はそう確信していた。

えもいわれぬ感情に浸ったまま、バス停まで目前といったところで脚に僅かな衝撃を感じた。

「いたっ……ごめんなさい」

小学校低学年くらいの子供がそう申し訳さなそうに言った。端正な顔立ちと青い目、艶を放つ黒髪を見て、おそらくはクォーターなのだろうと村田は思った。同時に、自分こそ尻もちをついているのに、できた子供だ、とも感じた。

「大丈夫だよ。それより僕、怪我はないかい?」

村田はしゃがんで目線を子供と合わせながら言った。

「うん、平気だよ!お兄さんこそ大丈夫ですか?」

「俺も平気だよ。ありがとう」

丁寧な口調と砕けた口調が不思議とミスマッチしない子供に微笑みながら村田は言った。

子供はペコリと頭を下げて村田の進行方向と逆に進んでいった。村田は子供が角を曲がるところまで静かに見送ると、再び歩き出した。時刻は七時二十分。バス停看板には私立朝比奈高校行と書かれている。村田の通う高校の名だ。

別段何かの感情を抱くこともなく、着々と歩を進め、村田バスに乗った。

最後までお読みいただきありがとうございました。コメントや評価の入力をしていただけると嬉しいです!

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