「リンゴ」
「なぁ、リンゴって何色かわかるか?」
人間、獣人、亜人、宇宙人、異界人etc…
ある日、突如異次元と現世が交わり、世界が彼らの存在を認めるも、そのどれもが曖昧で、よくわからないまま、早くも10年の時が経とうとしていた。
世界は混沌の中にある。
ここでは、何が起こっても不思議ではない。
「は?赤じゃないのかい」
この出来事は「不思議」の内にはいるのだろうか。
「ばっかだなー」
ケタケタと笑いながら、片手にあるリンゴを繰り返し投げている青年が隣に、正確には少し上に座っていた。
立ち並ぶビルに反射した夕日に照らされ、リンゴがいっそう赤く見えた。
「僕には赤色に見えるけどね、君は違うのかい?」
僕よりも幼く見える彼へ、当然の質問をする。
けれど彼はリンゴを見つめていて、僕に話しかけているくせにちっともこっちを見ない。
「リンゴは赤いだなんて、そりゃ海は青いとか言ってるのと同じだぜ?」
「海は青いだろ」
「はぁー…」
彼はため息を溜めずに吐いた。
それと同時に風が吹いて、彼が着ているアンバーカラーのロングコートを揺らしはじめた。
「なら…」
「言っとくけど、空がーとか、光がどうとかの話じゃないからな」
言おうとする前に遮られてしまった。
どうやら僕が思っていたのとは違ったようだ。
「じゃあどんな話なんだい」
まったく失敗した、いつもならこんなヘマはしないのにな…。
今さらながら、僕は公園のベンチで電子書籍を読んでいたんだ。
それで集中していたせいか、声をかけられるまで彼の存在に気付かなかった。
読書中に邪魔をされるのは好きじゃない。
でも鳥のさえずりや街の音なんかは好きなんだ。
だからこうして来ているのに…。
これなら来るんじゃなかったと後悔しながら会話を続ける。
「リンゴは本当に赤いのかって話さ」
「話が見えないな」
「だろうなぁ…」
リンゴを見ながら馬鹿にして笑うように彼は言った。
「なんなんだよ、さっきから…からかうなら他を当たってくれないか」
「からかうって?あはは!それはこっちの台詞だぜ兄弟!」
「やめてくれ」
彼はしばらく涙が出るほど笑って、やがて笑いを飲み込みながら話を続けた。
「はぁ、はは…いやぁ、本当さ!俺達からしたら、くだらない冗談にしか聞こえないんだよ」
「俺達…?なんのことだ」
「面白がってる奴もいるけど、俺はどうも笑えないんだ」
「おいって、きいてるのか!」
どうも話が噛み合わないことに苛立って、つい大きな声を出してしまう。
「うるさいなぁ…きいてるよ」
まるで叱られて機嫌が悪くなった子供のような態度で、彼は僕を慰めるように言った。
「ならちゃんと説明してくれ」
「説明してやりたいんだけど、それはできないんだ、悪いな」
「ど、どうしてできないんだ」
彼は肩をすくめながら答える。
「順番ってやつさ」
「…順番?」
「ああ、今のままじゃ、聞いても混乱するだけだからな」
「そんなの、聞いてみなきゃわからないだろ、頼む、教えてくれないか」
いつの間にか彼との会話を望んでいる自分がいたことに驚いた。
けれど、なぜかあの時は無性に理由を知りたくて仕方がなかった。
「本気か?」
心臓が止まったような感覚だった。
それが言葉のせいなのか、彼のあの瞳のせいだったのかはわからない。
あの時、時間も何もかもが無くなって、自分が誰かも忘れてしまいそうな、無限のような瞬間。
今でもあの感覚だけはよく思い出せずにいる。
彼は無邪気に微笑んで言った。
「順番って言ったろ、それにまずは自分で考えた方がいいぜ」
視界が暗くなり、日が傾いたことに気が付く。
そして、もう別れの時間だとも。
結局教えてもらえないのかと思うと、少し残念な気分になった。
「リンゴの色もわからずじまいなのか」
「そんなことないさ、よくみりゃわかるよ、考えな」
リンゴは何色なのか。
「それなら、君の名前は?」
「知ってるだろ?」
ずっとリンゴを投げたりしながらベンチの背もたれの上に座り、本来腰を下ろすはずの所に足をおいている彼は誰なのか。
その時、空を見つめる瞳が一瞬輝いた。
彼の瞳は琥珀色だと、ただそれだけしかわからなかった。
「いや、わからないな」
彼の名前?もちろん聞いたことなんてない。
本当に聞いたことがないか、もう一度考えるが、ヒントすら出てこない。
「有名人なのか」
「どうだろうな」
「サインとか…」
彼は呆れたように乾いた声で笑った。
「はっ、そんなのねーよ」
妙な空気が一瞬流れて、今度は彼から口を開いた。
「…色なんてお前らが勝手にはじめたことなんだよ、どうだっていいのにさ」
「それって…」
「お、そろそろ時間だな」
また遮られてしまった。
「時間って?」
彼は端が黒くなりつつある空を見上げて、不貞腐れたように言う。
「頼まれたんだよ、時間稼ぎってやつさ、まったく…」
「なんの…時間稼ぎなんだ」
鳥のさえずりや街の音は消えていて、静かなはずなのに酷く耳鳴りがする。
「お前らに呆れちまった奴がいてさ、そいつを説得するための、時間稼ぎ」
彼は面倒くさそうに言った。
「だ、大丈夫なのか?」
アンバーカラーのロングコートに琥珀色の瞳。完璧な青年の姿。
しかし、それがむしろ奇妙だ。
━━━今思うと、彼は人ではなかったのだとわかる。
「なぁ、人は何色だと思う?」
急に聞かれてとっさに
「さ、さぁ…」
と答えると彼は足を揺らしながら言った。
「複雑だからなー」
彼はベンチから立ち上がると、独り言のように言った。
「けどそこがいいんだよ、その複雑さは俺達にはねぇからさ」
あっけにとられていると、彼がリンゴを投げてきた。
「やるよ」
彼がこちらを見て、ふと笑う。
「じゃあな」
空の端に消えていく夕日を追うように、彼は去っていった。
『いやー!隕石が落ちてくるなんて1ヶ月ぶりですけれども、今回は予測できなかった!ということで、えーしかしね!何者かが隕石を消してくれたようですね~!いったい何者でしょうね~、どうですダブァグナさん』
『ナ!』
『最近噂されているサムライなんじゃないか!なんて言われていますけども、どうでしょうね~』
『ナ!』
『気になりますね~!えー番組では今回の隕石消滅に対するコメントを募集しております!送り先は…─』
あの後、世間では消滅した隕石とサムライのニュースで持ちきりだった。
僕はあれからも、あの場所の、あのベンチで彼にまた会えるんじゃないかと、ほんの少し期待しながら電子書籍を読んでいる。
鳥のさえずりや街の音。
最近は口笛なんかも聞こえてきて、日々この街の変化を実感する。
まるで彼と僕だけしか存在していないような、あの時を思い出しながら。
「なぁ、リンゴの色が何色か、人はいったい何色なのか…あんたはわかるか?」
彼と彼らが出会う、少し前の記憶。