それから・・・
〈それから・・・〉
それはとても暑い日だった。もう十月も終わろうとしているのに、まだ残暑が厳しく部屋の中では扇風機が回っていた。
六畳位の部屋の中に、そこには似つかわしくない立派な仏壇があった。扇風機は人がいない部屋の中を、まるで誰かを探すかのように首を回し続けていた。
すると、隣の部屋から一人の青年が戸を開け入ってきた。髪は寝癖のままで、大きな欠伸をし、いかにも今起きたばかりという姿のままそこに立っていた。
「まったく・・・。また扇風機つけっぱなしだよ。」
青年はそう呟くとそのまま仏壇の前に座り手を合わせた。
「俺、今日で二十歳になったよ。父さんが自殺してから、もう十年も経つんだね・・・。あれから色々と大変だったけど、何とか頑張ってます。」
青年はそう言うと扇風機を止めた。
「俺は元気でやってます。そっちも天国で元気でやっていますか?」
その時だった。玄関から、ガチャっと鍵を開ける音が聞こえた。そしてドアが開き、一人の女性が入ってきた。どうやら買い物をしてたらしく、両手いっぱいに買い物袋を持っていた。
「あっ、やっと起きたの?今日は誕生日だから、今の内に買い物行っちゃった。晩御飯はあなたの大好きな、ハンバーグでいいわよね?」
そう言いながら、買ってきた食材を冷蔵庫に詰め込んでいた。
「ねえ、また扇風機回しっぱなしだったよ。」
「あれ?そうだった?ごめんなさいね。」
そう言ったものの、手を休めることなく、半分聞いているのかいないのか分からない様子に、青年は少し呆れていた。
「もう歳なんだから、しっかりしてよね!それに、俺もう二十歳だよ!いつまでも子供扱いしないでくれる?」
「何を言ってるの?あなたはいつまでたっても私の、私とお父さんの子供じゃない!親の側にいる内は何歳になっても、子供は子供なのよ。」
そう言うと母親は仏壇の前に座った。息子は母親が横に座ったので気まずくなったのかその場から立ちあがり、台所へ行って何か食べる物がないか探しだした。母親は手を合わせて仏壇の写真に話し始めた。
「あなた・・・。あれからもう、十年が経つのよ・・・。」
「母さん、それはさっき俺が言ったよ!」
息子は冷蔵庫の中に顔を入れながら言った。
「あら?そうなの。
こっちはみんな元気ですよ。」
「母さん、それも言ったよー。」
冷蔵庫から探しだしたのか、今度はパンを口にくわえながら言った。
「いいの!私も話したい事があるんだから!邪魔するんだったら向こうの部屋にでも行ってもらえる?」
「はーい。すいませんでしたー。」
息子は母親に促され、スナック菓子を持って隣の部屋へと移動した。静かになった部屋で母親はまた話し出した。
「あなた、今の見てた?生意気に育っちゃったでしょ?やっぱり、片親だったのが原因かなぁ・・・。
でもね、優しい所もちゃんとあるのよ。そこはあなたに似たのかしら?」
すると息子が隣の部屋から顔を覗かせて言った。
「優しいって所は、ちゃんと報告しといてねー。」
「あらやだ。聞いてたの?ウフッ、フフフ。」
「急にどうしたの?何笑ってんの?」
「何でもないのよ。ただ良かったなーって思ったの。」
「良かったなーって何が?」
「いろいろよ。」
「いろいろって何だよ。」
母親は笑っていた。
「生きてて良かったなーって事よ!」
「何だよ、気持ち悪いなー。」
「フフフッ。」
家族の何気ない会話・・・。
しかし父親の姿はなく、そこにあるのは遺影だけだった。
それでも、母と子は毎日を楽しく過ごしていた。それは、天国で父が見守ってくれているという思いからだったのだろう。
だが、父親は天国にはいなかった。家族の幸せと引き換えに自分を犠牲にしたから・・・。しかし、そんなことは誰も知らない。
本人と死神以外は・・・。
その様子を遠くから見ている姿があった。
「良かったじゃないですか。あなたが望んだ通り、二人とも幸せそうですよ。」
死神が言った。
「ああ。」
男は一言だけ答えた。
「でも、あなたが契約を結んだ時点でこうなると思ってたんですか?」
男は少し考えてから答えた。
「確信は無かった・・・。でも、きっと生きてくれると思った。
息子は子供の頃の私に似ていたからな。」
「そうですか。あなたが契約者になる事は何となく予想が付いたんですけど・・・。
まさか、息子さんじゃなく、奥さんを助けるとは思いませんでしたよ。」
男はあの時の事を思い返していた。
「私はあの時、どちらかを選ぶかなんてできなかった。どっちかが死ぬのなんて耐えられなかった。
その時思い出したんだよ。自分の両親が自殺した時の事を・・・。
息子を助けたとしても、両親が自殺したという悲しみを、一生胸に抱えながら生きていかなければならない。その辛さを私は知っているからな。
息子にそんな思いはさせたくなかった。」
「なるほど。」
「それに、妻が生きてさえいれば息子も自殺はしないと思ったから・・・。」
「そうですかー。ある種、賭けに出たって事ですね?」
「死神、それは違う。私は賭けに出た訳じゃないんだよ。
私は信頼していたんだ。」
「信頼?」
「そうだ。私は家族を信じていたんだよ。」
「ふーん。信頼ですか。私にはよく分からないですね。」
「死神、お前も家庭というものを持てば分かるよ。」
「そんなもんですかね。」
その男は活き活きしていた。
もう死んでいるのだが、それを感じさせない風に見えた。
男は笑っていた。
地獄で辛い毎日を送っているはずなのに、確かに笑顔だった。
「お邪魔しましたね。私はそろそろ帰らせてもらいますよ。」
「そうか。わざわざすまなかったな。
死神も忙しいんじゃないのか?」
「あっ、それでしたらお構いなく。私今、長期休暇中ですから。
でも、それも今日で終わりなんですけどね。帰ったらまた自殺者の相手ですよ。」
「そうか・・・。」
「なにか、言いたそうですね?」
「いや、何でもないんだ。ただ・・・。」
「ただ何ですか?」
「どうして人は自殺するんだろうなぁ?なんて思ってね。」
「それは私なんかより、あなたが一番分かっているじゃないですか。」
「そうだな・・・。」
「どうしました?あまりの地獄の過酷さに、おかしくでもなりましたか?」
「いや、気にしないでくれ・・・。」
「まっ、とにかく頑張って下さい。それしか言えませんけど。
じゃあ、もう会う事は無いと思いますけど・・・。」
「そうだな。私もそれを願うよ。」
「では、お元気で。」
「ああ、お前もな。」
その後、その男は死神とニ度と会う事はなかった。
しかし、今も死神たちは毎日働き続けていた。
そしてこれからもずっと、それは続いて行くのだろう・・・。
今日もまた、あの声が聞こえてくる。
「あなた、先程自殺しましたね・・・。」




