壱 還る者
こんにちは。東京はやっぱり暑いですね。投票所に行くのすら億劫になってしまって大変でした。今からこれでは、八月なんて戦々恐々です。
そんな今日に書いたこれが記念すべき最初のお話。続くかなあ。
さて、今日は7月9日~7月10日に見た夢を小説としてまとめてみました。夢小説なので、展開が雑なのは許してくださいね。皆さんはどんな夢を見ましたか。
其ノ壱「還る者」
江戸時代。誕生日を祝うために母と妹とともに料亭を訪れた少女は、人喰い蝉に襲われたところを、謎の黒装束の男に助けられる。不思議な男は、292年この山で生きていると語り、母子を匿うが、彼にはこの母子たちとの浅からぬ過去の縁があった。絶望から逃れたい女と、絶望すら抱かない男。果たして彼の正体は。そして、男が抱く過去に登場する女は何者なのか。
江戸時代。
ある13歳の少女が母と妹と京都の山中の料亭に来た。今日は少女の誕生日で、何かと忙しい父の代わりに、母が予約してくれたのだ。
とても複雑な階段を上った先で美味しい料理を味わったところで、母と妹は先に会計を済ませるから、と階段を下りて行ってしまう。
少女も慌てて氷菓子を頬張って階段をいくつか降りた時、そこにいきなり母と妹が現れて「○○ちゃん、逃げましょう」と言った。
「ここの人たちは皆、人を喰らう蝉だわ」「さっき知らない男の人が教えてくれたの」と言って娘の腕を引っ張り、納戸に三人で隠れた。少女が疑問を挟む前に母がその口を塞いだ。
そこへ女将が来て、母子の名を呼ぶ。
「西園寺さまぁ」
が、誰もいないとわかると、小さく「逃がさないわよ」と呟いた。
その頭がぐにゃりと歪んで半透明な蝉の頭になった。
少女は悲鳴を抑える。ミンミンゼミのようなエメラルドグリーンのかかった肌。しかし、人喰いと聞いたあとでは、非常に不気味なものに思えた。
女将がどこかへ行ってしまうと、母子は納戸を飛び出して宴会場を駆け抜けた。
酒を呑み交わす見知らぬ男たちを無視して、ただひたすら狭く複雑な料亭内を出口目掛けて必死で逃げる。捕まったら、喰われるのだ。
時折制止しようと立ちはだかる中居たちは突き飛ばした。
もう少しで出口!というところで、一際大きな男が立ち塞がる。受付をしていた男だ。
その頭が半透明の蝉に変わった。少女は今度こそ悲鳴を上げた。
「お客さん、何処へ行かれるんです、まだお会計、してないでしょ」
母子は後ずさりしながら終わりを覚悟したその時、出口ががらりと開いて黒装束を纏った男が入って来た。
母が「あ」と声を上げた。さっき言っていた、料亭の人々が蝉であることを教えてくれた男らしい。
男は母子を視認すると駆けて来て、あっという間に蝉男の後頭部にみねうちをくらわして倒してしまった。
「来い」というその一言で母が駆け出し、娘たちもそれに引っ張られて男のあとを追う。
男は山のなかに飛び込んだ。
荒れた山道をひたすら走り走り、辿り着いたのは山小屋だった。
母子たちが息を整える前に座敷に倒れ込むのを見た男は、木刀を置いて台所から茶を持ってきてくれた。
「どうするんだこれから、家に帰るのか」と男が尋ねる。
母の顔には陰りがあった。
少女も何となくわかっていた、母は父の暴力から母子で逃げるつもりで、さっきの食事は所謂「最後の晩餐」だったことを。
「別にここにいても良いぞ」と男が言い、「どっこいしょ」と似合わない声を出して座敷を出て行った。
少女は母と妹と顔を見合わせた。他に選択肢はない。
それから数日間、母子は男の家のあれこれを手伝って暮らした。
ある日、少女は洗濯物を干している途中で、縁側で微睡んでいる男を見つけて話しかけてみた。
「あの蝉たちは、料亭に来た人を皆喰らうてしまうのですか」
「いや、奴らはいい匂いのする人間しか食わん」
「いい匂い?」
「絶望の匂い」
「そんな、お兄さん……」
「面白くない冗談は言わん」
男はごろりと縁側に横になる。
「じゃ、お兄さんおいくつ?」
「292」
「……何でこんなとこに住んでるの」
「他と違うたから、家族に捨てられた」
少女は男の顔を見た。烏の濡れ羽色の髪と、顔立ちは良いが、褐色の肌をしている。確かに、日焼けしたにしてはやや色が濃く、周りから好奇の対象になったことだろう。
「外のお人なの?」
「違う」
「何であそこの人たちが蝉だって知ってたの」
「ここに292年住んでるからな。あいつらのことだって知ってる」
男は夢を見ていた。ずいぶん前のことだった。15年前だろうか。
夜闇に包まれかける山のなかで、あの人喰い蝉たちが色めき立つ音を耳にした。
絶望に包まれた人間がまた一人、あの料亭を訪れたらしい。
耳を澄ますと、色々と聞こえてきた。この度料亭に来たのは、とある武家の娘。家の財政は傾きかけでお取り潰し寸前である。そこで両親は、美しい一人娘を商家へ嫁がせることにした。
娘は絶望していた。利用され、押し込められ、愛した里を離れ、評判の悪い商家に嫁ぎ、また閉じ込められる未来を想像していた。
男は腕を引かれる娘の顔を一瞥した。割と美しい類に入るのではなかろうか。しかし、目元は暗く隈に覆われている。
妖の法で、妖は生ける者に関わってはならぬというものがあったが、その妖たちからも除け者にされているのだから、娘を匿っても構わんだろうと思った。
そういう言い訳はできる。だが、そもそも、何で匿ってやろうかと思ったのか。
それは、わからない。
男は娘を連れ出してやった。娘は男に感謝の言葉を述べて、山小屋で静かに涙を流した。幾分か表情は柔らかかった。
しかし、娘は数日で姿を消した。勝手に山を下りたらしい。普段の男なら気にも留めないところが、何となく気にかかる。
山を出て娘の故郷を訪ねると、丁度誰かの式が行われているところだった。
花嫁の顔には見覚えがあった。どろんとした昏い目も知っていた。山を出た者は、男に出会った記憶を失う。
それがお前の選んだ道か。家族を悲しませたくなかったのか。
ならば、そこに横槍を入れるようなことはするまい。
男は山へ帰った。
そんなある日、あの日と同じ、絶望の音を聞いた。
人間というのは面妖なものだ、と思った。
15年前の絶望からまだ抜け出せていない。逃げ出す先はないのか。逃げ出す気力もないのか。
いや違った。あの娘は逃げ出すことに決めたらしい。夫の暴力から、実家の泣き縋りから、そして自らの暗い運命から。自らの子どもたちと共に、彼岸という、此岸の者どもが追いかけて来れない場所へ。
それで良いのか。それがお前の望んだ、一番の道か。
そして男は、その娘と子どもたちを助けた。
男はある夜、不思議な物音で目を覚ました。傍に置いていた木刀を持ち上げ、静かに母子を泊めている襖を開ける。
半透明の巨大な蝉たち五匹が、母を攫おうとしているところだった。娘たちは恐怖に顔を歪め、しかし鋭い爪を突き付けられて声が出せない。
男は木刀を持ち上げた。巨大な蝉に立ち向かい、正確にその目を突いていく。母を攫おうとした蝉は、急所を一撃で突き、殺した。
「貴様ァ。調子に乗るなよ、外れ子の分際で。貴様のような醜い存在が我らに抗うことなど、許されると思っているのか」
一際大きな蝉が声を荒げた。人間の言葉ではなかったが、男にはわかった。
何度も木刀を振り上げ、抗戦するが、その蝉は素早く動き、部屋の中では逃げ場もない。
部屋の隅に追い詰められた男は、残った力を振り絞って蝉の腹の隙間に木刀を突き刺した。
蝉がこの世のものとは思えぬ叫び声を上げ、後ろ向きに倒れる。同時に男もうめき声を上げた。彼もまた、深い傷を負っていた。
「待ってよ!行かないで!必ず助けるから!」
娘は泣きながら妹を呼び、二人で泣きじゃくりながら座敷に男を引きずり込んだ。
母はぼんやりとした表情でそのさまを見つめていた。
翌朝。娘は泣きはらした目で起き、昨晩のことを思い出すとばっと起き上がった。
座敷の奥を見つめる。そこに、母が座っていた。周囲には包むものを失くした包帯が散らばり、黒ずんだ血が畳に染み込んでいた。
見たくない。知りたくない。それでも見ずには、知らずにはいられない。娘はとつとつと歩いて、母の前を覗き込んだ。
母は、大事そうに何かを手の上に乗せていた。
アブラゼミの亡骸だった。
「お兄さん」
アブラゼミは、動かない。茶色く硬い翅は、僅かに鈍く光った。
「ありがとう、……ありがとう」
母は、動かない。
ただ、胸元にアブラゼミを抱え、肩を震わせた。
「○○ちゃん」
「はい、お母さま」
「お庭に、埋めましょうか。さようならしましょう」
起き上がってきた妹に事の顛末を伝えると、妹も泣き出した。
母はいきなり庭に座り込むと、白魚のような手で土を掘り始めた。ある程度掘ったところで、アブラゼミの亡骸をそこに横たえる。土を優しく被せると、母はゆっくり立ち上がった。
「彼が誰だったのか、知る術はありませんけれど。きっと、神様のお使いでしょうね。」
これからどう生きて行こう。
考えることは山ほどある。ただ、不思議と不安はない。
きっとこの出会い以上のことは、この人生には起こり得ない。
守られたこの命を、救われたこの心を、抱えて生きていく。
お読みいただきありがとうございました。これからも面白い夢をまとめていきますので、お気に召した方は是非高評価・ブックマークいただけると嬉しいです!