佐後勇作の場合⑦
翌日。佐後はいつもより1時間早く出社した。
今日は現場での工事立ち合いがあるため、通常業務を行うことができない。
普段の佐後なら、「外回りだったから今日は仕事ができないな」と諦めて、机の上の書類はそのまま、次の日に回しているところだ。
しかし、春日を会社から辞めさせると決心した彼には、もはやそんな言い訳は存在しなかった。
「あのクソ女を辞めさせるためには、まずは自分の仕事を全て処理する必要があるな。その上で、周りには『仕事終わってません』という印象を与えなければならん。その隙に仕事を奪っていけばいい」
そんなことを考えながら、佐後は自分の仕事を片付けていった。
そもそも佐後に割り当てられている仕事量も、同じ部署内では多い方である。皆が帰る中、佐後だけ残業している状況も少なくないのだが、この際そんなことには構っていられない。
「よし、少しは片付いたかな。後はこれを『まだ終わっていない』と思わせることだ。とりあえず、終わった書類も片付けないで机の上に置いておくか…」
さながら積みパズルでもやるかのように、佐後は机の上の書類を並べ替えていく。
机の上を二つのゾーン、「途中まで手をつけた書類」と「手つかずの書類」に分けるのはいつものことだが、普段なら片付ける「もう終わった書類」をあえて残しておく。
「もう終わったやつを、上に置いておけば…よし、これでいい」
あっという間に佐後の机の上には書類の山が出来上がった。パッと見ると単なる山積みの書類だが、佐後にとっては半分くらいが張りぼての書類の山だ。
「さて、じゃあ現場に行くか。帰ってきたら、張りぼてを掻き分けて仕事再開といきますかあ」
「佐後さん、何かいいことでもありましたか?」
「いえ、特に何もありませんよ?」
「そうですか?いつもより足取りが軽やかですよ」
「そうですかねえ…分かっちゃいます?」
「分かりますよお、声も嬉しそうですから」
「意識してはないんですけどねえ」
今日の現場で佐後と話しているのは、本社に勤めている荒井由香。
出向直前まで佐後に色々と仕事を教えてくれた人で、佐後が心を許している数少ない人物だ。
佐後が出向してからも、書類の作成に当たり、佐後から時々電話をかけて相談している。
「もしかして、彼女でもできましたか?」
「いやいや、そんなんじゃありませんよ。ちょうど仕事がうまく進んでいるんで、機嫌がいいだけですよ…荒井さんの方はお変わりないですか?お子さんが中学生になったんですよね」
「そうなんですよお、勉強も大変みたいで、宿題の手伝いをお願いされるんですけど、私も旦那もさっぱり分かんなくて…あ、そういえば娘に彼氏ができたみたいなんですよ」
「そうなんですか。もしかして、家に連れてきたりとかは?」
「んー、まだありませんよ。でも休みの日にはデートしてるの。お小遣いも『値上げしてー』ってせがまれるんですよお」
荒井は本社勤めで佐後よりも十歳年上。社内結婚し、子供も生まれ、今は一児の母だ。
人当たりもよく、仕事も卒なくこなす。佐後も社会人として見習うべき人間だと感じていた。
「そういえば、佐後さんがいなくなった後に新しく来た新人さん、結構苦労しているみたいですよ」
「そうなんですか?」
「ほら、山根課長、あの人が色々仕事を回してるみたい」
山根課長とは、佐後の元上司だ。
元々評判は良くなく、仕事中にもよく席を外していた。
嫌な仕事は人に押し付け、プレッシャーに耐えられなくなった部下も少なくないとのうわさだ。
山根は佐後よりも後に配属されたこともあり、佐後よりその部署の仕事に詳しくなかった。そのため、佐後は色々と業務内容を説明し、山根も佐後に対して無茶を言うことはなかった。
しかし、今考えると、山根が無茶を言わなかったのは、自分より業務に詳しい佐後に仕事を押し付けることに抵抗があったから、もしくは佐後から発せられる反論を言いくるめる自信がなかったからではないか、佐後はそう思えてならなかった。
(どこにでもクソな奴はいるもんだな…頑張れよ、新人君)
佐後は、心の隅っこで、会ったことのない後輩にエールを送っていた。