佐後勇作の場合②
「くそ、なんでこんなに修正箇所があるんだよ!ふざけんなよマジで!」
およそ独り言とは言えない大きな声で文句を言いながら、佐後勇作はパソコンのキーボードを叩いていた。
会社の事務室の壁時計に目をやると、既に午後11時を過ぎて30分ほど経っている。終電は午前0時10分だが、駅までの時間を加味すると、あと10分以内に会社を出ないと間に合わない。
だが、明日のコンペのための資料作り(正確には他の係員が作成した資料の修正)が終わっていないため、彼の頭の中には「帰宅する」という選択肢は存在していない。
そもそもの発端は、1週間前に決まったコンペ参加にある。出向して間もないにもかかわらず、ろくな引き継ぎもないまま、「本社にいたから」という理由だけで、佐後は会社の契約の中でも3本の指に入る重要なコンペを任されてしまった。
過去の経緯を聞こうにも、前任者の下館正也は「自分探しに行きます」とかいう身勝手な理由で会社を辞めており、今日に至るまで全く連絡がつかない。色々仕事をしていたようだが、ほとんどのデータを残していない、謎の人物だ。
そんな下館の部下として、以前から働いている春日秋江に事情を聞こうにも、責任逃れをしたいのか、それとも単純に仕事の知識が身についていないのか、オウムのように「細かいことは分かりません、下館さんに聞いてください」としか言わない。
そのくせ、自分に都合が悪くなると「下館さんはやってくれた」「下館さんはこういうやり方はしなかった」と騒ぎ出す。年齢に比例してプライドばかり高く、年齢に反比例して仕事のスキルが低い、そんな定年間近の女性である。
そんな春日だが、今回のコンペに当たり、珍しく「これは私の仕事です」と張り切って資料を作成していた。しかし、佐後が確認したところ、57ページある資料のうち、3ページ目までに7つ程の間違いがあった。
「春日さん、この資料の数値が間違っているんですが、直していただけますか」
「下館さんの時は、これでいいことになってましたよ」
「いや、でも間違ってるし。下館さんも気づいていなかったんでしょう」
「どこがおかしいんですか?しっかりと説明してくれないと分かりません、私困ります」
「契約期間100年って、契約期間が1世紀分もあるわけないでしょう。1年とか、10年の間違いじゃないんですか?」
「もういいですよ!そんなに言うなら私やりませんから!私帰ります!」
それから10時間後の午後11時30分、現在に至る。佐後は資料のチェックに追われていた。あの後、さらに資料を読み返したところ、日付や数値が前回のままになっている箇所が17箇所、既に撤退した事業について延々と記載している箇所が3箇所、人名や会社名の間違いが45箇所もある。
「こんな資料提出しやがって!何が『私やりませんから』だ!そもそも満足にできてねえんだっつうの」
佐後は「これは間抜けな同僚の尻拭いなんだ」「馬鹿な連中に任せて馬鹿な連中が痛い目を見るならいいが、自分は巻き添えを食うなんてまっぴらごめんだ」と自分に言い聞かせるかのように、同僚への恨みつらみを声に出しながら資料の確認と修正を進めていった。