3-1-6 ひかりの勝利
3-1-6 大幅改訂&2分割 筋はほとんど変わってません
吸血族に襲われてから一ヶ月ほど。
目が覚めた時点で吸血ウイルスに感染してないことを教えてもらえたので、いつ吸血鬼になるかと心配することも、いつ血が吸えるかと楽しみにすることもなかった。
体調はほぼ元通り!(自称)
とは言え、押さえつけられて、無理矢理血を採られた怖さはなかなか忘れられず、今でも夢でうなされることがある。それは時間が忘れさせてくれるのを待つしかないのだろうと思う。
虎倉君のご両親と妹さんはあの後日本を離れたそうだ。
虎倉君は日本での受験を考えて残ることにした、と言っていた。虎倉君だったら、留学して英語力を身につけたら、鬼に金棒だと思うんだけど、「今回はやめとく」そうだ。夏休みには遊びに行くらしい。ショートステイも楽しいかも知れない。
自分で決めたことなんだから、きっとそれでいいんだろう。本当にそれでいいのかな、と思わないでもないけど…、ちょっぴり嬉しいと思っている自分がいる。
とは言え、高校生活もあと一年ちょっと。私もそろそろ進路を絞り込まないと。行き先によっては、離れ離れになる可能性だってある。
ずっと一緒にいられるなんて、世の中そんなに甘くはない。
できることなら、近くにいられるといいけど。
あの事件から、虎倉君は手を繋いでこなくなった。
うっかり転びそうになった時とか、ぶつかりそうになった時に肩や腕を掴まれたことはあったけど、すぐに手を離した。例の成分献血の実験も、私の体調が復活するまで当面中止になっている。
とかく私の血が足りないことを心配している。
おいしい物をおごってくれることが増えて、すっかり恐縮なんだけど、血の養殖されてるのかもしれない。美味しい美味しい、と食べてると、こっちを見ている視線が柔らかな笑みを添えていて、ちょっと恥ずかしい。
「血は大丈夫?」
と聞くと、いつも返ってくるのは、
「まだ大丈夫」
これが本当かどうかは判らない。最近はむしろ疑わしい、と思ってる
そうしているうちに、虎倉君が学校を休んだ。体調不良なんて、初めて聞いた。
その日の放課後、様子を見に虎倉君の家に行ってみることにした。
さすがに保育園の時に教えてもらった住所を覚えているほどの記憶力はなく、家を知っている友達から場所を教えてもらってマップにマークした。昔住んでた近所だし、おぼろげながら土地勘もなくはない。
呼び鈴を鳴らすと、出てきた虎倉君は、思いのほかやつれていた。
今は一人で暮らしているとは言え、夕食はおじいさんが雇っている家政婦さんが作ってくれていると聞いてたから、問題ないと思ってたんだけど。
…普通のご飯じゃない方が足りてないんだろうと言うことは、予想がついた。
「おまえ…今、入らない方がいい」
半分開いたドアの向こうで、そう言われた。
やつれた姿がいつもとは違う、妖しく儚げな色気を醸し出していて、見劣りしないのがちょっと腹立つ。
「じゃ、これ、今日の分の課題とプリント、渡しておくね」
体調が悪いところ、長居しても良くないと思い、預かっていた物をさっさと渡して帰ろうとしたら、いきなり腕を掴まれて引き込まれ、ドアを閉められた。
入らない方がいい、と言いながら、何故家に引き入れた?
しかめっ面をして、何だかずいぶんとつらそう。
「寝てた方がいいよ。すぐ帰るから部屋に戻って…」
そう言いかけたところで、私の頬に手が添えられ、ゆっくりと顎を引き上げられると、肩に顎が乗っかった。
「…いいよ?」
血を所望しているのかと思って、首を傾けたら、
「まだ駄目だ」
そう言いながらも、首に息がかかりそうなほど、口が近い。さっきから、言ってることとやってることが合わない。
「うえ…。まずい…」
まだ吸ってもないのに。
もしかして、他の人が吸ったから、私の血が変わってしまった? まずそうな匂いしてるんだろうか。
「もう飲みたくない…」
いや、まだ飲んでないけど…
「…うえっ…。…吐きそう…」
私の肩を押して少し遠のけると、口を押さえ、真っ青な顔をしていた。これはやばい。
「吐く? ここで吐いちゃ駄目だよ。トイレ? 洗面器? 何か」
とりあえず背中を押して勝手に家に上がったものの、…どこに何があるのか判らない。
虎倉君はふらつきながら自分でドアを開けて洗面所らしき所に行くと、少し吐いていたようだった。
吐いたものは遠目ながら赤色をしていたように見えた。
…血?
口を切ったか、胃潰瘍か、内臓出血なんてことは…
よろよろとリビングまで歩いてソファに座ると、背もたれにだらりと体をもたれかけて、しかめっ面をしている。
思ったより重症かも。
「いつから?」
「…昨日の夜。…原因は判ってる」
「変な物、食べた?」
数回小さく頷くと、しばらく沈黙が続いた後、今度は突然起き上がって、両肩を掴まれた。
目が青く輝いている。お気に入りのボールペンと同じ、深い青。
「…一口だけ…。駄目だ。一口じゃ済まない。…帰れ」
帰れといいながら、引き寄せる手がますますきつくなって、逃さない、と言っているかのよう。
一口だけ。それは、血のことに違いない。
「もう一ヶ月も経ってるから、少しならきっと大丈夫だよ」
「無責任なこと言うな。俺はあいつらとは違う」
首筋を近づけようとする手と、離れようとする口が戦っている。
見てるこっちがじれったくなって、虎倉君の頭の後ろに両手を回して、包むように自分の肩に引き寄せた。
自然と首筋に唇が触れる。
触れたとたん、一口、こくりと喉が鳴る。もう一口…。そのまま、口は首につけたまま吸うのをやめて、ただじっとしているかと思ったら、頭に置いていた手を掴まれ、引き離された。
「おまえ、ばかだろう」
目が怒っていた。青黒い光をたたえた目が、さっきまでの苦しそうな表情を消し、こっちを見てる。ほんの少ししか飲んでないのに、効果てきめん。青白かった顔が、生気を取り戻してる。
「死にたいのか? もっと自分を大事にしろよ。…俺の我慢を無にしやがって」
急に立ち上がると、いきなり、左の首筋に唇が当たった。
でも、血は吸われない。
少し口が上に動いて耳たぶにかじりついてきた。はむはむとおしゃぶりをしゃぶるように耳たぶを唇で揺すぶられて、たまらなくくすぐったい。我慢できずに、両手を虎倉君の頬に当てて、耳から口を引き離した。
怒ってるんだよね。我慢しようと懸命だったのは判るけど、拗ねて口を尖らせているのが、何かもう、かわいい以外に表現できない。
怒ってるのに、かわいく見えるというのは、どうしたもんだろう。
少しつま先立ちになって、手にかけていた力を緩めると、いとも簡単に唇が重なった。
ただ、柔らかだった。触れただけで、何の芸もなく、向こうも驚いたのか、何も反応がない。
離れて、急に我に返った。
ちょっと待って、私。自分からチューするって何? 諦め慣れた、負け組のダメダメ女のくせに。
「…ご、」
「ごちそうさま?」
そう言って、少し首を傾けて笑う、その顔が甘すぎて、自称「顔には引かれない」私の心を一気に打ち砕いた。
思い知らされた。顔に引かれなかったのも、気にならない振りも、諦めてたからできたこと。
謝るんじゃなくて、…ごめんじゃなくて、
こ、言葉にならない。
うつむくしかなかった私に、かけられた言葉に、思わず顔を上げた。
「ひかりは俺のこと、好きだったんだな」
そんな、いい笑顔で、いきなり何を。
「そ、そうだ、よ?」
今さら、そんなことで嬉しそうにされるなんて…。当然、判ってると思ってた。
私、言ったことなかったっけ?
あれ? 言った…?、いつ?
忘れるなんて、あり得ない。
「聞いてもいいか?」
「…何を?」
「いつから俺のこと、好きなんだ?」
「えっ?」
いつって…
何故だろう、初めて聞かれた筈なのに、前にも聞かれたことがあるような気がする。
「俺が思い出すより前から?」
「さ、さあ」
「吸血鬼騒ぎの前?」
「どうだっけ…」
何? にやけながらのこの立て続けの質問は。
何か、こんなこと、前にもなかったっけ? 気のせい?
「ひかりはずっと俺のこと、覚えてたよな?」
「…うん」
そっちは覚えてなかったよね。
「同じクラスになって、すぐ判った?」
「そりゃあ…まあ」
「入学した時、俺がいたの覚えてる?」
「…お、…覚えてる」
「入試の時は?」
「…見かけはしたけど。受験した教室、違ったし」
何だろう、この既視感。
この質問、初めてじゃない、と思うのに…。
行かないで、って、言わない
言わないことは、…思い出さないでいい…?
普通に、いつもの黒に見える目が、何故か青いような気がする。
「まさか、保育園の時から…?」
「いや、それはさすがに…」
さすがに、そんなにずっと好きだと思っていたわけじゃない。
入試で見かけた時だって、知ってる人くらいにしか思わなかった。
私が、知ってる人。私のことを、知らない人。
少なくとも小学校3年生の時には諦めることを覚えたし、あの時だって好きかどうかより、忘れられていたことの方がずっとショックだった。
誰かの恋の話を聞いた時に、少し頭によぎる程度の、遠い、小さな思いにすぎなかった。
「中学校の頃は…、他に好きな人いたし」
弾みで、変な話を暴露してしまった。私は何を話してるんだろう。
「ふうん。同じ中学の人?」
「いや…。ひ…」
視線が痛い。…言ったところで、絶対、笑われる。
「ヒーロー戦隊に出てた、ブラックシャークの役してた人…」
「…役者か」
ほら、またばかにした目で…、…見ない?
じいーっと見ていると、「ぷっ」と吹き出して、こらえながらもくくく、と笑い声を上げた。
いいもん、別に。どうせそういう反応が返ってくるって思ってたから。
「日曜に朝早くから起きて毎週欠かさず応援してたの。それなのに、すぐにきれいな女優さんと交際宣言しちゃって、それがまたお似合いで…。恋なんてはかないもんだなあ、って思って、当分、恋はいいかって…」
「恋…。そうだな。恋か。こ…」
駄目だ、もっと笑われてる。笑いすぎて涙が出てる。
「おまえ、…面白すぎ。やっぱりおまえがいいな。人工血液なんか、もうやめだ」
「人工血液?」
「開発中の人工血液のモニターになったんだけど、まずいなんてもんじゃない。治療薬打った人間の血よりまずい」
ああ、さっきまずいって言ったのは、それのことか。私じゃなかったんだ。…でも、私と人工血液比べて「おまえがいい」って、そんなの、あり?
もはや人間枠じゃないんだけど、喜ぶべき?
私の複雑な気持ちも知らず、人工血液の味を思い出して、顔をしかめてる。
「もう1ヶ月半も補給してなかったんで、そろそろやばかった。覚悟決めて、昨日の晩飲んでみたんだけど、あんまりまずすぎて、胸焼けして。朝、もう一回試したらとんでもないことに…」
「…もしかして、さっき吐いてたのって…。それで今日休んだの?」
ある意味、食あたり…? 体調不良って、それ?
でも、それも、私のために頑張ってくれてたんだ。他の人の血じゃなくて、代わりのものを試して…。何だか、私のわがままで無理させて、申し訳ないな。
VS人工血液でも、許してあげようか。
「吐くほど体に合わないなら、毒だから。やめた方がいいよ」
「そうする」
何だか安心した。血も補給して、すっかりいつも通り元気になってるし。
私の血、人工血液に勝ったな。ふふん。…虚しい。