3-2-3 流斗の「獲物」
家に戻ると、父と一緒に叔父も俺を待っていた。
三人でヴァンピールの研究所に行くことになり、車内で父に
「最後まで、落ち着いて聞くように」
と念押しされてから、叔父から今回の事件の経緯を聞いた。
「あの子を襲ったのは、玲二と、先日玲二が襲われた吸血牙族のお嬢さんの兄だ」
また玲二なのか。殴っておいて気がついてない俺も大概だが…。しかも、吸血牙族まで絡んでる?
あのいざこざを止めたのがいけなかったのか?
即、殴りに行きたい、それが顔に出ていたんだろう。父が咳払いをして、最初の約束を思い出させた。
「どういう訳か、おまえがあの牙族のお嬢さんと玲二、両方を痛めつけたと勘違いして、お嬢さんの兄がお前への仕返しを思い立ったようなんだ。そこへあの子がレアブラッドかも知れないと思い込んだ玲二が便乗し、二人であの子を襲った。お前の強さは判っているから、直接おまえに当たるより、獲物を横取りして満足する、姑息な方法を選んだようだ」
「…ばかなのか?」
「我が子ながら、ばかとしか言い様がないな。玲二はお前にやられた恨みよりも、あの子に興味があったようでね、お前にもばれない自信があったらしい。ヴァンピールの『指示』が効く普通の子なら、ばれなかったかも知れないが、あんなに血を採ってしまえばどうなるか、判りそうなものなんだが…」
叔父もあきれ顔だった。一族の、それもいとこの「獲物」をあえて襲ったことに加え、過剰な血液の摂取は人に害をなし、ヴァンピールと人の間の協定にも引っかかる。しかも二人がかりだ。複数で一人の人間を襲うこともまた、処罰対象になる。
「あの兄の方は意図的に痛みを感じさせない毒を使わずに噛みついたようでね。牙で貫かれてさぞかし痛かっただろう。しかもこっちも容赦なくかなりの量の血を摂取している。復讐にしろ、人間に危害を与える吸血は許されることじゃない。ヴァンピールと人との協定は、我々が人に交じって静かに血を享受するためのものだ。人をいたわるだけじゃない。自分達の存在を守るものでもあることを、若い連中ももっと自覚しないといけないな。かつてのように、人間に一族の全滅を望まれたくなければ…」
父も大きく頷きながら、言葉を続けた。
「術がかからず、嫌がった時点でやめておくべきだったんだよ。ヴァンピールの術がかからない特別な人間は、何もあの子だけとは限らないんだから」
結局ひかりは、俺の巻き添えを食ったわけだ。やりきれない。
研究所に着くと、部屋から話し声が聞こえてきた。
中には、ベッドで寝かされて動きが鈍い男と、椅子に座って説教をしている女がいた。
女は、この前玲二を襲い、襲い返されたあの吸血牙族だった。
「このたびは兄がご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
立ち上がって深々と頭を下げるその姿は、この前の首が変な方向に向いて事切れそうになっていた姿からは想像もつかなかった。
ヴァンピールらしくそれなりに美人で人目を引き、人間をおびき寄せるにふさわしい。今は犬歯も目立たない。
「今、私をあんな風にしたのは玲二さんの方だってことを話してたんです。玲二さん自身、覚えてないでしょうけど。こっちも間違って吸血族の血を吸っちゃったんだから、仕方がないってことで終わってたのに」
「お、おまえ、…の、あ、…あんな…姿…、み、…見たら」
男の方は、ずいぶんしゃべりにくそうだ。
見ると、ほぼ人相が判らない。
吸血牙族なら、そこそこ顔には自信があるだろうに。…もしかして、
「これ、…俺がやった?」
こくりと頷く男と、叔父。
「足止めした程度のつもりだったんだけど…」
「人間だったら、多分、死んでたな」
「やり足りなくて、追加で殴りに来たんだけど」
そう言うと、男はびくり、と身を震わせ、俺を凝視していた。
「彼女さん、大丈夫ですか?」
女が心配そうに聞いてきた。
「ちょっと失血がひどくて入院してるけど、命には別状ないって」
「本当にすみません。…私、あの人にお礼を言いたくて」
「お礼?」
「実は私、あまり血を吸うのがうまくなくて。年に1、2回しか吸血しないから余計なんですけど。吸血対象から殴られたの、3回目なんです」
3回目…。その場にいたみんなが驚いていた。
吸血対象から殴られる…。一体どんな吸血してるんだろう。
「いつも、誰も助けてくれなくて、今回は人間じゃないことがバレそうなくらいひどい状況だったのに、彼女さんが私の服の乱れを直してくれて、バッグもきちんと片付けてくれて…。彼女さん、人間ですよね?」
「ああ」
「あんな姿見せたら、人間に殺されるって思ってたから…。本当に、嬉しかったんです」
喜びの閾値があまりに低いけど、この評価は、ひかりが自分で得たもんだ。
変にお人好しだからな、あいつ…。吸血族が急に動き出して、噛みつかれるとか、思わなかったのかな。
「それなのに、彼女さんを襲ったって聞いて、もう、本当にばかな兄で、噛み殺してしまおうかと思ったんですけど」
さすが吸血牙族、発言が過激だ。
「この姿を見たら、私が殺す余地、ないかなって…」
うーん。
顔だけに限定して攻撃したつもはりないから、多分全身打撲、だよな。
まあ、ヴァンピールは皆丈夫だから、二、三日…一週間、…もうちょい? くらい経てば、きっと普通に動けるようになっているだろう。
いや、あれだけひかりの血を大量に吸ってたら、もっと早く回復するかも知れない。
…腹立つな。
「何か、やばいこと考えてるだろう」
父が心配そうな顔をしてる。
「あいつの血で回復するのかと思ったら、回復した頃にもう一回、殺りに来ないと気が済まない」
男が身を震わせ、首を大きく横に振って痛がっていた。
「一応、牙族の側の代表とも話し合って、この後、回復したらヴァンピール研究所で一年間奉仕活動をしてもらうことになっている。実験体になってもらったり、サンプル提供してもらったり、半年は人間の血の直接摂取禁止で、開発中の人工血液のモニターになってもらうし。お前が許せるところまで付き合うと、いざこざが残るんで、後の処分は任せてもらいたい」
父は、俺の同意を求めてはいるが、どうせ俺に拒否権はない。これは決定事項なんだろう。
ヴァンピールの起こす事件は、人間の法律をかざしたところで記憶操作でごまかしてしまう。ヴァンピールの決まりで裁くなら、とりあえずは一族の判断が優先だ。
いとこ同士のいざこざでも、叔父の罪悪感はそんなにないだろうし、俺もいとこだからって、ばか相手に敬意もなければ容赦もしない。
「まあ、次あいつに手を出すことがあったら、殺してもいいってのなら」
「そんなことがあれば、仕方ないと言わざるを得ないな。特に玲二は前科あり、だからな」
隣の部屋に行くと、玲二らしき、包帯でぐるぐる巻きになった奴が息を荒くしてベッドに横たわっていた。
「ヴァンピールの獲物を横取りしたんだ、覚悟できてるよな」
「ぐごごごご」
聞こえてはいるらしい。体が震えているのが判らないでもない。
「あいつの血を使って、とっとと回復するんだろ? 出てきたら、相手になってやるよ」
「ぐごご、ごごご、ぐご」
「あいつの血、レアブラッドだったか?」
「ぐぐぐ」
首を横に振った。違ったらしい。下手にレアブラッドでなくて良かった。あいつは俺専用だ。これ以上、他の奴らに興味もたれてたまるか。
「万が一レアブラッドでも、あんな吸い方したら死んじまう。貴重な物は大事にすること覚えないと、おまえ、一生彼女できないからな」
「ぐごーー」
もう一発殴って、部屋を出た。誰もが見て見ぬ振りをしてくれた。
吸血牙族の女は、吸血の下手さを研究所で分析することになり、牙族のレクチャーを受けることになったらしい。当面、兄と一緒に研究所通いだ。じいさんが人との共存を願って作った研究所も活用されている。
上手に吸血してくれないとみんなが困る。人間にとって、吸血鬼はただの迷信なんだから。
もう今日は学校に行く気はなかった。ひかりも休んでるし、今日は休みでいいや。
母が、病休の連絡をしておいてくれた。…そう言えば、病休、生まれて初めてだ。
人間っぽい響きに、何故だかちょっとときめいた。
ひかりは三日で退院し、土日を挟んで次の週から学校に戻って来た。
首の傷を絆創膏で隠し、まだ充分に回復はしていないだろうに、平静を装って普段通りに過ごしている。体育はもうしばらく休むらしい。
俺もまた、当面補給はできなくなった。一応約束もあるから、他の人間に手を出すのもあれなんで、研究所が開発中の人工血液のモニターに申し込んではみたものの、…あれ、結構まずいって噂なんだよな。あいつらがひかりの血を飲み過ぎたのは、これを狙っての俺への嫌がらせ、ってことはないよな。
あいつらも半年は人工血液を飲んで過ごすんだ。ざまあみろと言いたいが、何で俺まで…。
自制心のない俺が失敗しないように、当面成分献血の実験もお休み、気まぐれに触れるのは、首筋でも、唇でも禁止だ。手も…控えておいた方がいいかもしれない。
嫌な昔を思い出す。
二ヶ月…位、我慢すりゃいいのかな。はあー…。溜め息しか出ない。
放課後には少し時間をもらって話をしよう。
俺が高校卒業まではここにいることにしたこと。
そこから先はまだ決めてないこと。
聞きたければ、あいつを襲った犯人がどうなったかも。
どこかに行く時は、きっと連れて行くから、英語くらい勉強しとけと言うことも。
…そう思ってる矢先に、また居残りって、どうなってるんだ?
「ほ、ほら、今回は、結構いい線行ってて、語順も、文法も合ってるの。ね、駄目なのはスペルミスと、三単現の…」
「駄目なものは駄目だよな…。」
気まずい沈黙が続く。確かに、惜しいと言えば惜しいか。進歩はしてるのかな…。疑わしい。
「とりあえず、図書室で時間潰してる。終わったらケーキおごるから、イチゴか栗か、何にするか考えとけよ」
いきなり、目が光った。
「そ、それって、…でも、ペナルティなのに」
「退院祝い」
その目はまるで、ヴァンピールが血を狙っている時のように、キラキラと輝いて見えた。