3-2-1 流斗のいらだち
仕方のないことで、けんかになってしまった。
もうちょっと、本気でぶつかるけんかだったらましなのに、あいつはいつもこぎれいな正論を並べ、自分の気持ちは笑ってごまかす。
それが余計腹立たしかった。
俺の家の都合で、来年から二年ほど日本を出るかも知れない。
自分の世話くらい自分でできるから、残ってもいいと言われてる。
さすがに外国となると、高校生のあいつを連れて行くわけにはいかないだろう。ヴァンピールの力を使えば、無理矢理親を説得させることくらいはできなくはないけど、それは違うと思った。
たかが二年くらい。そう思うけど日本ならあと一年で受験だ。向こうの大学を受けられるほどの頭と語学力があるかは判らないし、日本の大学に行くなら、それを理由に残るのもありだ。
それなのに、あいつはいとも簡単に行けばいい、と言う。引き留める素振りさえない。外国? 留学だね、じゃあさようなら、とでも言いそうな気軽さだ。
自分がちゃんと決めきれないのに、向こうの腹が決まっていることに余計腹が立って、それから話しかけるのをやめてしまった。
途端に話ができない。今までほとんど俺から話しかけていたんだと気付かされて、ますます腹が立つ。
普段通りを装われて、時々目を向けられてるような気がしても、結局話しかけてくることはない。
おまけに久々の日本だと父や母に呼び出され、父にはヴァンピールの研究所がらみでも呼び出しを食らい、ついこの前の吸血ウイルス騒ぎの報告をさせられたり、そんなことをしているうちに放課後はすぐ家に帰ることが多くなり、気まずい状態を打ち破る機会をなくしていた。
相変わらず英語で居残りしているし。もう知らね。
父と一緒に叔父の家に行くことになった。お土産を渡して、次の渡航が長引くことを伝えに行くらしい。
吸血ウイルス騒ぎの時、本来なら父が中心になって動くことになっていたが、叔父が代わって取り仕切ってくれていた。その礼もあるんだろう。
連と玲二はまだ大学らしい。
玲二はこないだ牙族に喰われ、その牙族を喰ってとんでもない騒ぎを起こしていたが、吸血ウイルスが絡んでいなかったこともあり、人間側の処理もうまくいってギリギリお咎めなしになっていた。
その後も特に変わりはないらしい。
あの時、すぐ後ろにいたひかりの血を吸おうとしたことにはまだちょっと恨んでる。一発で終わらせるんじゃなかった。
そんなことを思い出していたら、叔父が察したかのように
「この前は玲二がすまなかったね」
と切り出してきた。
「吸血牙族の毒って、みんなあんなになるもんなんですか?」
「誰でもみんなってことはないんだろうけどね、あれはひどかったな。あの後、運び込まれた研究所でも毒が抜けるまでしばらく暴れていたからなあ。一緒にいた子、大丈夫だった? 怖がってない?」
「掴まれた腕が赤くなってたけど、すぐに引いたようです。今日いたら、もう一発殴ってやってもいいかと思ってたんだけど。…逃げられたな」
事情を知らない父が
「一緒にいた子って?」
と聞いてきた。そう言えば、ひかりのことを言ってなかった。
普通の「食事用」の短期彼女なら別に話すほどのこともないけれど、特定の一人になるなら、吸血族同士でのいざこざを防ぐためにも周りに言っておいたほうがいい。
「今、付き合ってる子がいて…。付き合い始めたのは最近なんだけど、父さんも知ってるかも知れない。保育園で一緒だった三上ひかりって」
「三上…」
父がひかりの名に明らかに反応した。うろ覚え程度かと思ったのに。
「…あの子は、大変だろう? 吸血族の事情は知ってるのか?」
何が大変なんだろう。父の反応が読めない。
「知ってる。吸血ウイルスに感染した奴に喰われそうになって、助けた時に俺のことも話した」
そう言うと、安堵の表情を見せた。
「そうか。それなら大丈夫かな」
父は、俺の知らない何かを知ってる。聞こうとした時、そう遠くない所で吸血族が暴れている気配がした。
普通の吸血でこんな気配にはならない。何だろう。争ってる…。トラブルの波長だ。
「何だ…? 駅の方か?」
「見てくる」
とりあえず様子を見に行ってみる。何でもないといいけど。
ちょっと急ぐので、家の屋根を飛び越していった。
この街の地理はよく判らないが、トラブルの気配があまりにはっきりしていて、迷うことはない。この前、玲二が事件を起こした時以上に明確だ。
たどり着いた時には、ずいぶんと波長が鈍くなっていた。
駅の近く。この前の場所ともそう離れていない。周囲に広がる「不干渉」の命令。周りの人が、その場所にあるものを無視して往来している。
立ち去る二人と、その先に倒れているのは、俺の学校の制服…
…ひかり?
それに気がついた直後から、頭で考える前に体が動いていた。
のんびりと歩いて立ち去ろうとしていたヴァンピールの一人を持ち上げ、もう一人に投げた。
連なって倒れたところをそのまま逃がさないよう、当分起き上がれないくらいに伸し倒し、動かなくなったのを確認してからすぐにひかりの所に駆けつけた。
意識がない。浅く荒々しい息、冷たい指先。血を失いすぎているのか。
首の右側には牙の跡が残り、抵抗したのか傷口が少し裂け、まだ血が滴っている。左も溢血し、牙ではない歯形がついている。
あいつら、二人がかりで襲ったのか。
「流斗、こっちだ」
ひかりを抱えて病院に行こうとしていたら、父に呼び止められた。車で追いかけてくれていた。
「病院には連絡してる。乗れ」
「あの二人は任せろ。早く行け」
叔父が車から降り、父の荒い運転でヴァンピールがらみに対応できる医師がいる病院に向かった。
こんな冷たい手…。いつだってこいつの手は温かかったのに。このまま熱が戻ってこないような気さえする。
病院に着くと即座に受け入れてくれた。すぐに点滴を始めると、吸血ウイルスの感染検査と、失血に伴う異常がないか検査が行われることになり、治療室へと運び込まれた。
腕の中からひかりがいなくなって、急に力が抜けた。
何で、こんなことになってんだ。
何で俺はあいつについていなかった?
ただでさえ、俺が血をもらってるのに、ヴァンピールが、それも二人がかりで襲われたら…。何であいつを狙わないといけないんだ。
…自分のせいだ、そう感じた。
「父さん…。俺、あいつから離れた方が、いいのかな」
人間と一緒にいる自信がなくなり、気がついたら、そうつぶやいていた。
「…残念だけど、それはもうできないな」
意外な答えに、父を見た。
「おまえ、あの子に『指示』を与えたことはあるか?」
「…ない。何度かしそうになったけど、しかなった」
「そうか。…実は、私はあの子に二度、仕掛けたことがある」
父がひかりにヴァンピールの「指示」をした? 言っている意味が分からなかった。
「まだおまえ達が5、6才の頃だ。おまえがあの子を気に入って、知らない間に血を抜いてたことを知って、ちょっと裏で手を回してね。あの子の命に関わる前に、ご両親の転勤を促して引っ越しをさせたんだよ。あの頃はヴァンピールの一族だと知られるのが怖くてね、おまえを含め、クラスに関わる者全員に、おまえとあの子の関わりは忘れるようにと、軽い『指示』をした。幼い頃のことなんて、誰しも時間と共に忘れていくものだから、大したことにはならないと思っていたんだ。ところが、おまえは名前と顔は忘れたものの、あの子の存在が忘れられなくて、保育園にいた全員の手を握っては違う、違う、と、必死になってあの子を探していたんだ。それで、まだ早いと思いながらも、おまえには本当のことを話した。おまえが普通の人ではないこと。おまえの手が、大切な人の命を縮めていることを」
そうだ。そう言われて、追いかけるのをやめたんだった。忘れてしまった、あの手の持ち主を。
「むしろ、あの子の方が問題でね。…全く効かないんだよ、我々の力が。おまえのことを心配して、何度か手紙もくれた。だが、それを読むとおまえはかけた術を解いてしまう恐れがあった。申し訳ないが、手紙はおまえに渡さなかった。小学校3年生くらいの時かな。保育園のお祭りに、あの子が遊びに来ていたらしい。だが、おまえはあの子に気がつかなかった。これでもう大丈夫だ、と私は思ったんだが、おまえだけでなく、同じクラスだった全員があの子のことを完全に忘れてしまっていてね。母さんはあの子の悲しむ顔が忘れられない、と言っていた。あの子だけが覚えているのはあまりに不自然だった。術をかけ損ねたのかと思って、ちょっと機会があって三上さんとお会いした時に、あの子に1対1で術をかけてみたんだけどね。…全くかからなかった。術をかけた直後に『流斗君は元気ですか』と聞かれたよ。あんな子も珍しい。1対1で効かないくらいだ。周りをごまかすためにかける『指示』なんてまるで効かないだろう。おまえが学校で糧を得ていたなら、その時におまえがしてきたことも、知っているはずだ。他のみんなのように、何もなかったことにはならない」
「…してくれた」
「ん?」
「何もなかったことに、してくれたんだ。仕方がないって。ほどほどにって。俺のごまかしばかりの付き合い方も、みんな知ってた。知ってて…」
俺があいつを思い出したと言った時、ただ笑ってた。
ずっと忘れていた俺を、責めることもなかった。
ヴァンピールの思惑のまま、忘れられるなら、きっと忘れてる方が幸せだ。喰われることを恍惚に思えるなら、喰われる間だけでもそう思っていた方が。
だけど、あいつはそう思えなかった。嫌だったんだ。だから異常事態として、俺に伝わってきた。あれは食事じゃない…、襲撃だ。
ヴァンピールに吸血されることを怖がり、記憶に留める人が存在するなんて、思わなかった。よりにもよって、あいつがそうだったなんて。
それなのに、俺はそんなあいつから血をもらえていたんだ。何の術も使わずに。
一度も好きだと言われたことがなかった。いつも言うのは俺からだ。話しかけるのも俺から。物足りないと、そう思ってた。
だけどあいつは、俺を受け入れてくれていた。俺がその意味を判っていなかっただけだ。
あいつは、怖がっていたのかも知れない。いつ、何のきっかけで、自分が忘れ去られてしまうのか。あんなに毎日手を求めておきながら、手紙さえ返さなかった俺を、信じるのが怖かったのかも知れない。
無理矢理心を操ってやろうかと、何度も思った。ヴァンピールがそうするのは当たり前だと。でも、しなかった。…しなくてよかった。
「俺…あいつを、ほっとけない」
父は、俺の肩を叩いて、それ以上何も言わなかった。