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神目リョウヤ

 俺は絶望捜査官になりたい、と願ったことは一度もない。それどころか、絶望捜査官は俺がこの世で一番忌み嫌っているものだ。

 どんなに精神の強い人間でも、人生百年も生きていれば、挫折の一つや二つ経験して当たり前だ。その大小を問わなければ、挫折、失望、絶望の類は数えきれないほど感じて然るべきだ。それなのに。


『相当絶望に苛まれてるな。これではもう救いようがない』

『元々救う気もなかっただろ?』

『まあ、その通りだ。この世から絶望を完全に排除するのが、俺たちの使命なんだからな』


 俺の両親は、この世界に生きていてはいけないほどに『普通の』大人だった。俺が悪いことをした時はきちんと叱ってくれたし、変に隠さず親としては情けないところも見せてくれた。母親が落ち込んでいるところは、何度も見た記憶がある。学校に行けば俺よりも何を考えているのか分からない奴ばかりだが、両親はきちんと、本音を俺にぶつけてくれた。だから俺も、思っていることを全部、嘘偽りなく言うことができた。そういう家庭に生まれることができて、心底幸せだと思っていた。それなのに。


「父さん……? 母さん……?」


『おい、どうするこのガキは?』

『放っておけ。こんな光景を見りゃ、絶望に堕ちるのは時間の問題だ。いたぶり殺すのは、それからでも遅くない』

『なるほど』

『次行くぞ、次。早くしねえと今日の”ノルマ”が終わらねえ』


 俺が初等学校三年生の時だった。家を出た時は、何でもないいつもの一日の始まり。そのはずだった。帰ってくると、俺の家は異様な雰囲気に包まれていた。俺の両親は、目の前で殺された。絶望捜査官らしい男二人は堂々としていて、その重大犯罪を隠す気もないらしかった。


「あぁ……あぁぁぁ……っっ」


 忘れたくても忘れられない、あの猟奇的な顔。あの男たちが、絶望捜査官という立場を盾に殺人行為を楽しんでいるのは明らかだった。

 その時から、俺の将来の夢は変わらなかった。絶望捜査官になって、あの男たちを殺す。俺の両親がされたように、可能な限り残虐な方法で殺す。絶望捜査官という職業は憧れでも何でもなく、俺が復讐を果たすための手段でしかなかった。絶望的なその状況を見て俺が抱いたのは、絶望ではなく恨みだった。あの男たちだけを見定めて、ひたすらに殺すことだけを考えるという、清々しいまでに純粋な憎しみ。学校生活で多少嫌なことがあろうとも、あの時の光景を思い出せば怒りなどすぐに引いた。あれに比べれば、この程度は取るに足りないと思うことができた。そしてその突沸寸前の感情を心の中に隠すのが、俺は人一倍上手いらしかった。


「福岡――第五特別区出身だと聞いて、あなたのことが気になっていたの。仲良くしてくださる?」

「……っ!」


 俺は大学校に入学して、運命の出会いを果たした。あの時、俺の両親を刀でめった刺しにして殺した男とそっくりな顔をした女が、大学校の同期にいたのだ。


 その女は、天満ヤヨイと自らの名前を名乗った。


 俺は本能で感じた。俺が殺すべきは、この女なのだと。あの時俺の両親を殺したのも、天満家の人間だったのだ。この現代日本を牛耳り、精神統制法などという常識的な人間であればすぐにでも唾棄すべき腑抜けた法律を作り出し、世界に誇る高等教育機関であった大学を大学校と改称して絶望捜査官養成機関へと変えた、天満家。その天満家の人間、それも本家の令嬢が目の前にいる。殺さない理由を探す方が難しいくらいだった。

 大学校一年生の初日、法律論の初回講義。あえてヤヨイのすぐ後ろに席を取り、あらかじめ購入しておいたナイフでめった刺しにして殺す。あの時俺の両親がそうされたように。この女の体内にある血を全部床にぶちまけてやる。俺はすぐに取り押さえられ、極めて正常で世界中でも一般的な法律によって裁かれ、そして死刑宣告が下るだろう。それでいい。同じ殺人行為を犯して、絶望捜査官の卵である俺が裁かれ、あの時の男たちがお咎めなしというこの世界は気に食わないが、精神統制法によって裁かれるのでなければそれでいい。俺はこの狂った世界で、まるで最初から一般的な法治国家の中で暮らしていたかのように、通常の法律によって裁きを受ける。ヤヨイを殺せるのであれば、こんな身体一つどうなってもよかった。それなのに。


「あなたからは……すごく、悲しいにおいを感じる」

「……っ!?」


 外套の中でナイフを握りしめ、いつ背中を刺してやろうかと考えていた時。ヤヨイはふと、そう俺に話しかけてきた。ほとんど初対面のヤヨイにそう悟られてしまうほど、俺からは恨みつらみといった感情が溢れ出ていたらしい。ヤヨイのたったその一言で、俺の中の熱はすう、と冷めていった。ここでヤヨイを殺しても、両親の仇討ちを果たしたことにはならない。そんな当たり前のことが分からなくなるほどに、俺は激昂していた。


「もしよければ……私とお話、してくださる? あなたにすごく、興味が湧いたの」

「俺は……」


 お前を殺そうとしたんだぞ、とは口が裂けても言えなかった。今ですら言えていない。もしかすると、ヤヨイも薄々勘付いていたのかもしれないが。


「私は天満家の人間で、他とは違う世界しか見せられてこなかったから……お父様が私を直接絶望捜査官にせずに、あえて他の人たちと同じように大学校に入れたのは、普通の世界を見せるためだと思っているの」

「俺は……」


 俺が心から思っていることを他人にぶつけたのは、両親と話す時以来だった。両親が殺され一人になった後、親戚が俺を引き取ってくれたが、当然俺が心を開くことはなかった。ただひたすらにあの時の男たちを殺すこと、そして復讐を果たすために絶望捜査官を目指していることしか考えていなかった俺がうっかり本音で他人と話そうものなら、計画が全て台無しになると思ったからだ。結局俺が義両親のことを理解することはなかったし、義両親が俺を理解したこともきっと一度もなかっただろう。そして俺が選んだその道は、結果として正しかったように思う。なぜなら、その時の俺はまだ幼かったからだ。大学校に入学するほどに成長して、本音を隠しつつあくまで本音であるように『見せかけて』話すことが、俺はできるようになっていた。そして俺はヤヨイと話し合いを重ねるうちに、彼女に対して抱く感情が変わったことに気づいた。


 ヤヨイも、この世界の被害者なのではないか?


 ヤヨイは本当に世間知らずだった。生まれた時から使用人に囲まれ、寵愛を受けて育った。ヤヨイには姉がいたが、父親の逆鱗に触れてヤヨイが初等学校に入るか入らないかの頃に勘当され追い出されたのだという。そのせいで天満家の跡取りという役割も期待され、より一層厳しい教育を受けてきた。聞けば聞くほど胸糞の悪い、反吐が出るような話だった。しかしヤヨイは、そうした父親の教育方針を決して否定しなかった。一般人ならば二、三割話を聞けば全否定できてしまうような教育の仕方を、だ。正確には、否定の仕方が分からないらしかった。父親が絶対的な正解である状態で育ってきたがゆえに。だから父親の自分に対する教育が正しいのか間違っているのか、あまり考えないままここまで来たとヤヨイは言った。


「(俺が本当に滅するべきものは、何だ……?)」


 ヤヨイと話しても、両親を殺したあの男たちが憎いという気持ちは変わらなかった。つまりヤヨイを殺したところで、状況は何も変わらない。しかし俺がこのままあの二人を殺し仇討ちを果たしたとして、事態は前に進むのか。きっとこの暗雲立ち込めるクソッタレな世界は、何も変わりはしないだろう。天満という巨大な権力を有する家があり続ける限り、この世界は腐る一方だ。


「(……俺は何のために、リサを仲間にした? このクソ食らえな世界に、喧嘩を売るためじゃなかったのか?)」


 絶望を抱くことそのものが認められない世界など、あってはならない。俺が本当に憎み、変えたいと思うべきは、あの時の奴らたった二人だけではない。この腐った制度に追従する絶望捜査官たち全員、そして元凶である天満家の人間だ。絶望捜査官という仕事を始めて、想像していた以上に精神的な負担が大きく、心を病んでしまったのは計算外だったが、それでも俺が力を溜め込んでいる間に、ヤヨイは絶望に堕ちクレハと行動を共にするようになり、『こちら側の人間』となった。そして、今。この悪臭に満ちた世界を知らないリサという子が、俺たちの味方をしてくれている。やはり俺の考えることは根本的に間違っていなかったんだという確信を得ると同時に、反旗を翻すなら今だという思いも強まった。俺は両親を失ってから二十数年間、何のために生きてきたのか?


「俺はっ……この手で、淀んだ霧を晴らす……!」


 リサがクレハとヤヨイとともに去った後。俺は幸運にも、一番に意識を取り戻すことができた。物音を立てないように立ち上がり、銃を構える。

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