形勢逆転
人間の身体とは、案外丈夫にできているものらしい。それをひどい目に遭わされた自分の身体で知ることになるとは思わなかった。
単純に痛い思いをするのは怖いからと、痛覚を脳神経と切り離し鈍くしたのは間違いだったか。痛ければ助けを呼ぼうと叫ぶから、よほど地下深いところとか上空で拘束されていない限りヤヨイやクレハに声が届いていただろうが。どれだけ叩かれ蹴られても、痛みをほとんど感じないものだから本能で叫ぼうという判断を身体がしてくれない。それに下手に体力を消費したくないから、むやみやたらに叫ぶわけにもいかない。
「なんだぁ、こいつ。全然しゃべらねえな。うんともすんともよお」
「……」
「もう死んでんのか? いや違えな、息はある、まるで無感情なだけか?」
せっかくヨドにはポジティブな感情をこれでもかというほど学ばせてもらったのだから、あまり負の感情を表に出すようなことはしたくないと思っていた。が、こればかりは仕方ないだろう。執拗に私の身体をいたぶるこの男に、私は憎しみを抱かずにはいられなかった。
「……お前は」
「あぁん? ようやくしゃべったかと思えばその程度かよ。もうちっと実のあることをしゃべりやがれ」
「お前は何のために生きている? こうして何の情報も持たん奴をいたぶって、愉悦に浸るのが仕事か? その程度の男が畏怖される存在としてまかり通る世界なんだな、ここは」
「なに?」
「気にするな、思ったことを正直に口にしたまでだ。お前に向けてしゃべったわけでもない。それほどの地位にあるお前が、ただの独り言に過敏に反応する小物というわけでもあるまい」
「てめえ、ふざけるんじゃねえぞ」
そろそろむち打ちのせいで服が破れそうだった。あちこちに血がにじんでいるのも見える。しかし収穫はあった。恰幅のいいこの男は本当に小物だったらしく、少し挑発すればすぐに激昂してきた。やることこそ拷問そのものだが、性格は大したものではない。私の予想は外れていたらしい。
「よしよし、お前がそこまで言うなら、いいものを見せてやる」
「ほう?」
男がぱちん、と指を鳴らす。それと同時に、奥の方からこつ、こつと音を立てつつ、見慣れた若い男が姿を見せた。それは、リョウヤそのものだった。
「……なるほどな」
「驚いただろう、お前たちに近づき、そして信頼を受けたこいつは、俺の駒の一人に過ぎないわけだ」
「いいや、よく腑に落ちたよ。どうにも、都合のいい方向へ誘導されていた気はしたんだ。しかしそれは今の今まで、あくまで気のせいでしかなかった。それを確信に変えてくれたことは、感謝するよ」
「なに? おい神目、こいつの重大な情報を――」
「リョウヤに言わせる必要はない。私が彼に伝えたことは一つだ。私は――こことは別の世界から来た……!」
私は目をつぶってから、右手を大きくその場で振る。そこには大きな球が生まれ、そしてまばゆい光を放ち爆弾のように炸裂した。私以外の全員が太陽光を直視した時のように視界を奪われ、その場に倒れ込んだ。それにより、一瞬で私の優位となる。
「ここまで効果てきめんだとは……しかし、問題はここからだ」
むち打ちに遭っている間、何も考えていなかったわけではない。クレハやヤヨイと話すうちにぼんやり頭の中に浮かんでいた疑念を、少しずつ形にしていた。
「(ここでは”創生”は使えないという、固定観念に縛られる必要はないのではないか)」
私に与えられた力”創生”は、通常「データ」と呼ばれるものを消費する。基本的に現実世界でいうところの体力として体内に蓄積され、時に電力など世界の仕組みを動かすための動力として働き、時に通貨として人間どうしのやり取りの中で消費される。決まった形というものは「データ」には存在せず、それゆえにいわば何にでもなれるが、一つ共通しているのは「質量がないこと」である。データそのものも、電力もやり取りされる通貨も、それ自身の重量では何をも定義できない。
この世界には、同じように質量のないもの、あるいは概念が存在する。私はこの世界における「絶望」がどこまで根を深く張ったものなのか、本当の意味で知っているわけではないのかもしれない。しかし見た限りでは、「絶望」は忌み嫌われる存在でありながら、あらゆる人々の生活に寄り添うように潜んでいる。
「(絶望が必要ないと言うつもりはないが……ここまではびこらせる必要も、またないだろう)」
挫折や絶望は、時に人生に必要なものだ。それが再び立ち上がったり、過去の自分の行いを見つめ直すきっかけになることもある。特に小さな挫折や絶望は、全くない方がいざ大きな苦難を抱えた時に困るのではないかと感じる。だが、ここまですぐそこに存在し、そして他人の絶望が大きく影響するとなると、話は別だ。
「ならば、存分に利用させてもらうまでだ……!」
データと同じく目に見えない「絶望」を、新しいものを作り出す糧とする。なかなか悪くない手法だと、自分でも思う。そして思惑通りに、バタバタと足音が二人分した。
「……さて、私にしたこの仕打ちの仕返しをする時が来た」