奇襲作戦
『第十三特別区で爆発 意図的な犯行か』
翌朝。私たちは第五十八特別区、下関市に移動し、空きビルの五階の一角を仮の拠点としていた。そしてクレハが購入してきた新聞をみんなでのぞき込んでいた。一面には昨晩私たちが実行した計画が堂々と写真付きで載っていた。
私たちは今現在の実質的な政府である、天満家に追われている身だ。だがそれを理由に小さなところで身分を隠して盗みやら何やらを働くかというと、そういうわけではない。私がそういう小さな罪の積み重ねが、いつか人々の恨みを買うと反対したこともあるし、そもそもクレハの倫理がそこまで崩壊していないこともある。
「ここまでは計画通りだな。さあ、これでこちらの予想通りに動いてくれるかどうか」
「ほぼ間違いなく、クレハの言っていた通りになるんじゃなかったの?」
「そうは言ったが、ここまで来れば相手の裏の読み合いだからな。特にあの男――コウシロウが直接動けば、話は変わってくる」
爆弾をかなり多めに仕掛けたのは、明らかに外部の人間による犯行であると一発で世間に理解してもらうためだった。不慮の事故によるものだと、うやむやにされるわけにはいかない。天満家にとっては、今はまだまだ全国に特別区と精神統制法を広めていかなければならない時期であり、また反抗はできないというイメージを一般市民にも植え付けなければならない。そのために道を外れた絶望捜査官たちを福岡という一都市に無理やり押し込んで、ごまかしていたのだ。統制する側にとっては、北九州を第二の「失格者の街」にするというのは、苦肉の策というわけである。だから反撃ののろしとも言えるこの事件は、揉み消さなければ今後に関わる。
「……あの人が、これしきのことで動くかしら」
「動かないだろうから、アタシたちは今こうしているわけだが。ひとまず手前にあるこの下関で調査団を叩き潰し、コウシロウたちの中でアタシたちの存在感を大きくする。それが目的だ」
「……そのコウシロウという男は、よほどの権力者なのだな」
「ああ。自分が正しいと思い込み律儀にその歪んだ正義を実行する、哀れな男だよ。哀れな男がこうも権力を持つと、国は腐る一方だ」
揉み消すのは確定的だが、だからといってあの男が出てくるとは思えない。今回の事件が人為的なものと分かった時点で、あの人には私たちが関わっていると予想できるだろうから。私の元上司である巽さんを一瞬で仕留めたクレハがいるのだから、直接会うのはまずいと判断するだろう。そうでなくとも、あの人は積極的に現場に出てくるような人間ではない。
「……それにしても、いやに静かね」
「下関は特別区指定されてから長い方だからな。一般人もむやみやたらに外に出れば殺されるだけだと、学習してきているんだろう」
「それはおかしくないか? クレハやヤヨイのいた街は、たくさん人が外にいたと、リョウヤから聞いたのだが」
「それは神戸の特別区指定がかなり早かったからだろう。リサの世界でどうなっていたかは知らんが、こちらでは元政令指定都市が最初に特別区指定を受けた。つまり少なくとも、数字が二十までであれば規模が大きく、最初にあの男の『実験台』となった街であることを示すわけだ」
「それからますますその概念が広まってゆき、人々も学習しているというわけか」
「あとは、そうだな。下関に関しては、公共交通機関の休止や廃止、ひどい場合は取り壊しが行われていることも大きいだろう」
クレハがそう言って、リサはひょっこりと窓ガラスがはまっていたのだろう壁の穴から外の様子をうかがう。それからなるほどな、とばかりにふむふむとうなずいて見せた。
「確かに鉄道駅の類や、バスが見当たらないな。しかしそれなら、どうやって移動するんだ?」
「移動しない、というのが正解だ。食料その他生活必需品は徒歩圏内にある店で済ませるし、家にこもっていても運動不足は解消できる。先行きの見えない暗い将来も、映画などの娯楽があれば束の間でも忘れられる。幸か不幸か、感染症が爆発的に広まって、人間どうしの接触を避ける生活を何度かしていたようだからな。その経験が生きているということになる」
「……なるほど」
クレハの言う通り、私たちの世界では何度か感染症が流行し、いわゆる巣ごもりを余儀なくされた。感染症の程度はその時々によってまちまちだったが、何度も繰り返すうちに慣れてしまい、どうせ家にいればいいんだろ、とみんないつしか諦めるようになっていたのは事実だ。そこそこの人口を抱えているはずの都市なのに、ほとんど外に出ている人がいないという状況に私たちはすっかり慣れてしまっていたが、外から来た人間からすれば違和感しかないだろう。
「ということは、いざ逃げるとなった時は望みが薄いわけだ」
「安心しろ、アタシたちが逃げなければならない状況に陥ることはまずない。ヤヨイもだいぶ、強くなってくれたことだしな」
「それは何となく、私にも分かる。こと戦闘状態になれば、クレハとヤヨイの二人は心強いと感じる」
「これでリサが戦えるというのであれば、さらに状況はよかったんだがな」
「すまないな、役立たずの私が来てしまって。もう一人の方が来ていれば、こうはならなかったのだろうが」
とはいえ、リサが来たことは何か意味があるのではないか、と私は思う。普通に生きていて、別の世界からやってきた人間に出会うことなどまずない。そもそも私たちの暮らすのとは違う、別の世界があるということさえいまだに腑に落ちていないところがある。完全にランダムであるとはいえ、リサも私たちの世界に来たことは想定外だと言っている。こんな未来に暗雲が立ち込めているような世界だし、私は神を信じるつもりなど毛頭ないが、こればかりは人間の力の及ばないところで、何かが働いているのではないかと考えてしまう。
「……さて」
クレハがおしゃべりは終わりだ、とばかりに立ち上がって外の様子をうかがう。元より静かだった下関の街並みは一層静まり返り、不気味なほどになっていた。こういう時は、絶望捜査官が威圧感を持って街を練り歩いているのがお決まりだ。私もクレハと行動を共にする中で、だんだんと絶望を抱えた側から見た絶望捜査官がどういうものなのか、分かるようになっていた。絶望捜査官はこうも、見ている者を恐怖で怯えさせるものなのかと。
「ヤヨイ。空から奇襲を仕掛けるぞ。翼を持っている分、上空を取ればこちらが有利だ。前に訓練したから、お前も使えるようになっているはずだ」
「……ええ。まだ姉さんほどの自信はないけれど、やってみるわ」
「リサは私が乗せていく。ビルの高層階から飛び降りた経験は?」
「この程度の高さまで、ふわりと浮き上がった経験なら」
「なら、問題ない。行くぞ」
問題ないはずはないのだが、それをクレハに言っても野暮だ。この機を逃せば、一気に危うくなるのは間違いない。クレハは私にろくな合図もせず、窓から身を乗り出し飛び降りる。すぐに翼を展開して、リサを上手く乗せつつ、身体のコントロールに成功した。私もそれに続いて同じようにする。最初は少し不安定になったが、すぐに持ち直してバランスを取った。
「いたぞ! 天満クレハ、ヤヨイを捕らえろ!」
目的の絶望捜査官の集団はすぐに見つかった。そのまま先頭の男が宣言を終えるか終えないかといううちに、クレハは翼を変形させ、私は背中から鎌を出して相手の腕目がけて斬りかかる。絶望捜査官を殺していては結局私たちも彼らと変わらない、という私の提言を受けて、クレハが考え出した無力化の方法だ。腕を傷つけるだけであれば、危害を加えていることに変わりはないが、抵抗できずに医療部に搬送する必要がある程度にはなる。どうもクレハは私に甘いところがあり、私が意見を言うと何でも承諾してしまうきらいがあるのだが、これは正しい提案のはずだ。私とクレハは完璧に息を合わせ、十人ほどの集団を次々に戦闘不能にしてゆく。奇襲、という点においてはかなり早い段階で気づかれたため想定通りに行かなかったものの、上空を取っていることが有利に働く。騒ぎになって一般人が窓から様子をうかがう前に、ことは終わった。
と、思ったのだが。
「……っ!?」
最後の一人が無力化される前に、指で合図を送った。その相手が向かって右側の建物の隙間の方にいると理解した時には、男が三人、ちょうど地面から低めの位置を飛んでいたクレハに向かって飛びかかっていた。一挙に中肉中背の男三人分の体重が背中にのしかかったクレハはバランスを崩す。その隙に、
「クレハ! ヤヨイ……っ!」
「「リサ……!」」
男たちの目的はクレハでも、私でもなかった。私たちより身体つきが一回り小さいリサを抱え、あっという間に奴らは路地裏へ逃げ去ってしまう。すぐに後を追おうとするが、無力化され地面に伏す絶望捜査官たちに足首をつかまれ、阻まれた。何とか振りほどいた時には、どこへ行ったのか見当もつかなくなっていた。