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※異世界転生ガエルの恩返し(後編)

 香織がリリーエリカというキャラクターが出てくる乙女ゲームを見つけたのは、彼女が息を引き取る数時間前のことだった。その日は休日で香織は父親と仲良く家事を分担して終わらせた後、一息をつく時にいつもの日課となっていたインターネット検索をし、リリーエリカという名前が初めて検索に引っかかったので、慌てて父親に頼み、直ぐに車で老人ホームに連れて行ってもらったが、時は既に遅かった。


 その日、ベッドに横たわったままの彼女の顔色は珍しく血色が良くて、最近病がちだった彼女を心配していた老人ホームの職員も香織の父親も、今日はお加減がよろしいようで良かったですねと笑顔で話しかけている横で、香織は泣くのを堪えながらベッドにいる彼女にいつものように近づいた。


「このゲームはね、お婆ちゃんの好きなパズルゲームに、私の好きな乙女ゲームの要素が加わっているものだから二人で一緒に楽しく遊べるよ。あらすじは……でね。キャラクターは……なんだよ。それでね……」


 香織の命の恩人を苦しめる乙女ゲームの正体は、”祈りの巫女と恋するオーブ”という携帯電話で遊べるアプリのゲームであった。車の中で読んだゲームの遊び方の説明によると、このゲームは時間無制限でじっくりと頭を悩ませて解くことが出来るタイプの落ち物系パズルゲームらしい。


 落ちてくるのはオーブと呼ばれる球体で、同じ色のオーブを縦横に3つ以上並べて消していくのだが、オーブは五色混ざって落ちてくるので、プレイヤーはオーブを縦横に動かして、各ゲーム場面で指定される色のオーブを指定された数量だけ消さなければゲームクリアとならなかった。基本無料で遊べるが一部課金ありのパズルゲームは、一見すると他のアプリのパズルゲームとの大きな違いは見られなかった。


 ただ他のパズルゲームと違うのは、このゲームには乙女ゲーム風味のあらすじがついていることだった。このパズルゲームでは、プレイヤーは神殿で暮らしている巫女見習いのキララというヒロインになる。あらすじでは、キララは優秀な癒やしの力を持っていると神官長に認められ、神官長から高位の巫女姫になるために教養をつけるようにと、貴族子息が通う学院に入れられるところからゲームは始まる。キララは学院でイケメンな学生達と出会い、彼らと一緒に学生生活を過ごす中で、彼らの心に潜む闇の力が引き起こす事件に巻き込まれるという内容になっているらしい。


 しかし、このゲームは乙女ゲーム風のストーリーやキャラクターは作られてはいるが、あくまでパズルゲームが主体となっているため、よくある恋愛シュミレーションゲームに見られるような、行動や言葉の選択をプレイヤーがする必要はなく、パズルゲームさえ勝ち進めれば、ご都合主義的にヒロインにとって全てが上手く行く仕様となっていた。


 学院生としてゲームに出てくるのはジャミラン=オルフィ侯爵子息と、アーウィン=ガーディー公爵子息と、シオン=フォンタスという隣国からの留学生だったが、全員のことを話して聞かせるほど、彼女の時間は残ってはいないし、香織も車の中でキャラクター紹介を読んだだけなので、全容を把握してはいなかった。だから香織は、これだけは覚えていてほしいと、転生後の彼女に直ぐに関わりのあるジャミランの情報だけを彼女に話した。


「あのね、お婆ちゃん。攻略対象者の一人であるジャミラン=オルフィは侯爵子息なの。ジャミランは黒髪で赤い瞳という特徴を持つイケメンなのだけど、彼は12歳の時に両親を事故死で失ったことがきっかけで、心に闇が巣食うようになるの。で、彼にはリリーエリカという妹がいるんだけど……」


 香織は上手く笑えているだろうか?声は震えていないだろうか?どうか少しでも彼女の魂に乙女ゲームの記憶が刻み込まれますように……。どうか、神様。この世界の物語の流行りのように、彼女も転生後に前世の記憶を思い出しますように……。どうかどうか、神様。彼女の不幸な運命を変えて下さい……。


香織は心から神様に祈りながら父親の車の中で調べたゲームの情報を彼女に話してきかせた。彼女は今にも眠ってしまいそうな表情だったが、それでも香織の話に耳を傾けてくれているようだった。


 彼女の魂の色が殆ど失われていることに誰も気がついていない。前世の香織を救い、この世界のカエル達や転生後の香織や香織の父親も助けてくれた優しい彼女は、多くの善行を積んだ彼女の魂を神が認め、慈しんだからか、何の痛みも苦しみも恐怖も感じることなく眠るようにあの世に旅立つのだろう。


「誘ってくれてありがとうね、香織ちゃん。早く元気になって香織ちゃんとゲームをしなくちゃね」


 香織を見る瞳はいつも通り優しげだったが、彼女の魂の色は透明になりつつあった。香織は何気なさを装いながら彼女のシワだらけの手に触れた。これが彼女との最後の別れとなる。


「そうよ。お婆ちゃんは私の友達なんだから、いつまでも元気でなくちゃいけないのよ。だから早く元気になって、私と一緒に運命を変えて幸せを掴む女の子になろうね。じゃ、また今度ね」


 香織がそう言うと彼女は頷き、手をヒラヒラと動かした後、お昼寝をするねと言って目を閉じて眠り……二度と目覚めることはなかった。








「ねぇ、そろそろ行こうよ、香織」


 10年前を思い出していた香織は、友人の声でハッと我に返った。


「うん、そうだね。じゃ、一緒に行こうか。放課後教室の方には事前に連絡は入れてあるけど、遅れちゃいけないものね」


 そう言って香織が歩きだすと、香織の友人は手櫛で髪を整えながら後をついてきた。


「香織が放課後教室に伝手があって助かったわ。これでボランティアの加点が取れる。それに私は教師を目指しているから、実際に子ども達を相手に出来る経験は貴重だから嬉しいわ。本当に感謝してる。でも香織は教職を目指していないのに私に付き合わせてごめんね」


 香織が通っている大学では地域活動のボランティアをすることで加点が入る授業があり、香織は友人と二人で、放課後教室の夏休みボランティアの申込みをしていて、今日は事前打ち合わせの予定が入っていた。


「大丈夫よ。その放課後教室は老人ホームの中にあるの。入居者と子ども達が触れ合えるようにもなっていてね、中には積極的に放課後教室の手伝いをしているお年寄りも何人もいるの。将来は私、あの老人ホームと同じ形態の老人ホームをパパと一緒に経営したいと思っているから、私にとっても良い勉強になると思うわ」


 香織がそう言って微笑むと、友人は目を丸くし、驚きの表情を見せた。


「意外だわ。香織は中学時代に香織のパパに株や投資を教えてもらって、高校生の時にゲームを作った会社を買収していたから、てっきりIT産業に興味があるのかと思っていたのだけど、老人ホームを経営したいと思っていただなんて……」


 今、香織と一緒にいる友人は、香織が中2になった頃からの友人であり、香織がある程度、心を開いて付き合える数少ない友人の一人でもあった。友人は高校生だった香織が自分の父親の名前を借りて、ゲーム会社を買収したことを知っていた。


「ああ、あれはあるゲームの追加シナリオを作ってもらうにはどうすればよいかとパパに相談したら、そのゲームを作っている会社を買収すればいいとアドバイスをもらったから頑張って買収しただけよ。……勿論、IT産業にも興味はあるけれど、この国はこれから超高齢化社会になっていくのよ。生き物は生まれた瞬間から老いに向かい、どんな生き物だろうと死からは逃れられない。そして人間は知性がある生き物だから、老いていく自分に無力感を感じたり、死に向かう恐怖を常に抱えてる。ならば、それらを軽減出来る何かか、もしくは忘れられる場を提供出来たら、多くの人々の役に立てるでしょう?私ね、出来るだけ多くのお年寄りの役に立ちたいの……」


 そう言って香織は鞄から自分の携帯電話を取り出して写真のファルダを開き、友人に見せた。そこには小学生の香織と老齢の女性がトロフィーを一緒に持って、勝利のVサインをして笑っている姿が写っていた。


「とても優しそうなお婆ちゃんだね。……もしかして、その写真のお婆ちゃんが、香織が老人ホームを経営しようと思ったきっかけなの?」


 友人が尋ねると香織は、そうでしょ、お婆ちゃんはとても優しかったんだよと嬉しげに頷いた後、画面に映る懐かしい彼女を見つめた。


「そうよ。お婆ちゃんにはいっぱい助けられたのに、私は恩返しが出来なかった。あの後、頑張ってリリーエリカを主人公にするシナリオを追加させたけれど、あの世界がどのルートが現実になった世界なのかは私にはわからないままだし、それを確かめる術もないしね……。だからせめてもの詫びじゃないけれど、大人になったら、お婆ちゃんと同じ年代の人々の役に立てる仕事をしようと決めたんだ」


 友人は香織の言葉の端々に疑問を持ちつつも、どんな理由であれ、人の役に立ちたいという志を持つ香織は、誰にでも自慢できる善い友人だと思い、香織が幸せそうに見つめる老齢の女性をもう一度見て、首をかしげた。


「……あれ?これはスポーツ大会の写真だよね?写真で見る限りは、かなり高齢そうだけど、小学生と一緒にスポーツが出来るくらい元気な人だったんだね。もしかしてゲートボール大会だったの?」


 香織は携帯電話を鞄にしまいながら、首を横に振った。


「ううん、違うよ。これはね……ピエ・タンケだよ」


 友人は香織の言葉に、キョトンとした表情になった。


「ピエって、もしかしてフランス語?ああ、そういや香織はフランス語の講義を取ってたね。それってフランスのスポーツなの?」


「うん、発祥はそうだよ。日本では違う名前で呼ばれているスポーツなんだけどね。これは小さな子どもからお年寄りまで誰でも楽しめるスポーツなの。お婆ちゃんがこっちの言葉の方が好きだって言ってたから、つい……。ピエ・タンケというのは”両足を揃えて”という意味なのだけど、実はこのスポーツは……あっ、バスが来てる!走るよ!」


 話の途中でバスが来ているのを見た香織は友人の手を引き、バスに向かって走り出した。


「うわぁ!そのバス、待って〜!」


 香織は友人を先にバスに乗せてから自分も乗り込むと、バスに間に合ったことに安堵の息をついた後、もう一度、前世を思い出してみた。昨日までの記憶では、小さな彼女は激怒している人間の男の子に頬を叩かれた後、大きな人間達によって、どこかに連れ去られてしまったという記憶だったが、今、頭に浮かぶのは全くの別物の記憶だった。


残念ながら新しい前世の記憶の中でも、香織は小さな彼女に恩返しが出来ないまま彼女と別れてしまい、その後の彼女がどうなったのかはわからなかった。でも、この世界で生きた記憶が思い出せたのならば、きっと大丈夫に違いない……と、香織は信じている。


『お婆ちゃん。今世でいっぱい一緒にいてくれてありがとう!遊んでくれてありがとう!私と私のパパを救ってくれてありがとう!無事に前世の記憶を思い出せたようだね!本当に良かった!お婆ちゃん、私と友達になってくれてありがとう。さようなら、お婆ちゃん!私はずっとお婆ちゃんの幸せをこの世界から祈ってるよ。私もこの世界で頑張るから、お婆ちゃんも不幸な運命なんかに負けないでね!悪役フラグなんて、ピエ・タンケで倒しちゃえ!』


 香織はバスの中から小さく手を空に向かって、もう一度ヒラヒラと動かしながら、もう二度とは会えない彼女に声援を送り、心の中でさよならを告げた。

※この回に出てくる携帯電話のアプリのゲームは実在していません。

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