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リリーエリカとハルジオン⑧

 ハルジオンは朝の身支度を一通り整えると直ぐに部屋を出た。時間が経ち日が上ったことで、さっきよりも辺りは明るくなっていて、ハルジオンが着替えている間に使用人達が廊下の窓を全て開けて回ったのか、部屋に入る前にはパンの焼ける香ばしい匂いが漂っていた廊下はパンの匂いが消えていて、代わりに中庭で咲く金木犀の芳しい香りがする風が流れ込んできていた。


 鮮やかな花の香りにつられて視線を開け放たれた窓に視線を移したハルジオンは、片側に寄せられたガラス窓に映る自分を見つけ、伸ばしっぱなしになっている髪に目をやった。マウントラル国ではハルジオンのような金色一色の髪やメフィラスのような黒一色の髪は女神ハハの神使の動物神から祝福が与えられている証だと言われて人気があり、孤児院の子達は職員達に寄って男女ともに髪を短く刈られていたというのに、金色の髪を持つハルジオンだけは養子縁組で高い寄進を引き出せると思ってか、職員達はハルジオンの髪は切らなかった。


 ハルジオンはおもむろに片手でむんずと髪を掴んで持ち上げて、窓に顔を近づけた。これを短く切れば、リリーエリカに男だとわかってもらえるかもしれないと思ったからだ。ハルジオンは自分の金髪碧眼が好きではない。というか、むしろ嫌っている。自分がこれらの色を持って生まれてきたせいで母は正妻から嫉妬され、我が子ともども命を狙われたのだ。


 今までのハルジオンは鏡や窓に映る自分の金髪碧眼を見ては、母と自分を狙う実父の正妻や、母と自分を助けてくれなかった実父を憎み、何とかして彼らに復讐出来ないものだろうかと考えたものだが、今のハルジオンは自分の顔を見ても何も思わなくなっていた。


 そんなことを考える暇が無いくらいに、ハルジオンは今のオルフィ侯爵家での生活が楽しくて幸せだったから、復讐よりも彼らと関わりにならない確実な方法を考えるべきだと思うように変わっていたのだ。


「よし。リンドさんに頼んで髪を切ってもらおう。リリーちゃんを驚かさないようにリリーちゃんの前で切ってもらうほうがいいよね」


 目の色は変えようがないが、髪なら切ることが出来る。動物神と同じ色を持つことに拘っていた彼らが重要視していた金髪をバッサリと切るという行為が、彼らに対する小さな意趣返しのように思えて、ハルジオンはほんのちょっぴりだけ胸がすく思いがした。


「そう言えば、ここに来てから全然見なくなったけれど、あいつらは一体どこに行ってしまったんだろう?まぁ、ここの警備をかいくぐるのは厳しそうだから、見ないのも当然なのかもしれないけれど……」


 ハルジオンが今までの執念深さが嘘のように姿を見せなくなった監視者達のことを不思議に思っていると、開け放たれた窓の向こう側から誰かの話す声が金木犀の香りがする風に乗って聞こえてきた。


「あ〜、今日も絶好の洗濯日和ね〜」


「ホントだね。気持ちがいいお天気だわ。あっ、そうだ!ねぇ、巫女姫の噂を知っている?」


「知っているけれど、あれって単なる噂で本当の事じゃないんでしょう?」


 聞こえてくる声は複数の女性達の話し声のようだった。ハルジオンは誰が話しているのだろうかと思い、窓の下に視線を向けたが、そこに人の姿はなかった。もしかしたらここから少し離れたところにある、洗濯物を干す場所でメイド達が話している声が風に乗って聞こえてきたのかも知れないとハルジオンが考えていると、廊下の突き当りからリリーエリカの声が聞こえてきた。


「ハルちゃん、どうしたの?どこか体が痛いの?」


 窓から廊下に視線を移した先にいたのはリリーエリカだった。どうやらハルジオンが中々戻ってこないので、心配してハルジオンを迎えに来てくれたのだろう。ピーターを伴って現れたリリーエリカは、朝の運動で汗をかいた服を着替え、襟元に少しレースが施されているだけのシンプルなデザインのオリーブグリーン色のワンピースを着ていた。


 この二週間でリリーエリカの好みを覚えたハルジオンは、自分の予想通りにオリーブグリーン色の長袖のワンピースを着てきたリリーエリカに微笑みかけた。ハルジオンは男だからリリーエリカの姉代わりにはなれないが、お揃いの色の服を選んで着ることで、兄のような親愛を示したかったのだ。


「ううん、どこも痛くないよ。心配してくれてありがとう、リリーちゃん」


 ハルジオンは窓から離れ、リリーエリカの元に歩を進めた。気持ち的には直ぐにでも駆け寄りたいが、今のハルジオンの体では、まだ歩くのだけで精一杯だ。だけど……。リリーエリカはハルジオンを焦らせることなく、笑顔でハルジオンが来るのをずっと待ってくれている。ハルジオンは自分のことを待ってくれる人がいるという喜びを噛み締めながら、リリーエリカだけを見て歩いていく。


 ハルジオンは昨日よりも今日の方が歩くのが上手になっていたし、きっと明日は今日よりも、もっと歩くのが上手になっているだろうと思った。そして明後日にはもっともっと上手に歩けるようになって、そしてそして……そして、そう遠くない日にはリリーエリカの元に走り寄り、この両腕でリリーエリカを持ち上げて、メフィラスがリリーエリカにそうしてあげているように、ハルジオンだってリリーエリカを高い高いして喜ばせてあげることだって出来るようになるはずだと思うようになっていた。


 リリーエリカの元までたどり着いたハルジオンの手をリリーエリカは小さな手でキュッと握ってきた。


「わぁ!今日もハルちゃんと私、緑色がお揃いだね。ハルちゃんもカエルさんの色が好きなんだね。何だか仲良し姉妹みたいで私、とても嬉しいな!ねぇ、食堂まで手を繋いで行ってもいい?ハルちゃん、今日の朝食のパンは何だろうね?ピーターさんはクロワッサンじゃないかと言っているけれど、私は食パンじゃないかなと思っているの。ハルちゃんは何だと思う?……ああっ、焼きたてのパンが食べられるなんて、なんて幸せなんだろう!ね、ハルちゃん!朝食が楽しみだね!」


 ウキウキとしている気持ちがそのまま顔に出ているリリーエリカにハルジオンは微笑みかける。


「うん、楽しみだね、リリーちゃん。……う〜ん、今日のパンは何だろうね?リリーちゃんは何のパンが一番好きなの?丸いパンとかは好き?……」


 先程、廊下で嗅いだバターの香り具合からみて、今日のパンはブリオッシュだろうと当たりはついてあるが、リリーエリカと会話を楽しみたいハルジオンは正解を口にはしなかった。 


 ハルジオンがこんなふうに誰かと会話を楽しんだり、明日という日に希望や楽しみを抱けるようになったのは、全てリリーエリカのおかげだ。ハルジオンが心からそう思った瞬間、ハルジオンの心は完全に闇から解き放たれた……。



 ここはリリーエリカの前世の世界で作られた、”祈りの巫女と恋するオーブ”というパズルゲームの世界……に酷似している世界。そのパズルゲームではプレイヤーが対戦相手に勝利すると、乙女ゲーム風味のストーリーがプレーヤーにとって都合の良い展開に勝手に進んでいく。


 この世界に生まれてリリーエリカに助けられたカエルが、後にリリーエリカが前世で生きていた世界に転生し、転生後の世界でもリリーエリカに助けられたことで、カエルは二つの世界で自分を助けてくれた恩人を助けたいと願い、それを二つの世界のそれぞれの神が叶えたことで、カエルの恩人であるリリーエリカの未来は転じた。


 だが、その際に二つの神が協力したからか、そのゲーム内での登場人物であるリリーエリカの身に”祈りの巫女と恋するオーブ”というゲーム特有の法則が作用されていることをリリーエリカは知らなかったし、同じようにゲーム内での登場人物……シオン=フォンタスになるはずだったハルジオンも当然ながらゲームのことは全く知らなかったので、転じた人生で自分の心が闇から解き放たれた場合、ハルジオンにとって都合の良い展開が起きるということを知らなかった。……つまり。




「それがね……。嘘じゃないらしいの。ここだけの話なんだけど、実はね。私の従姉妹の友達の親戚の知り合いの人が勤めてる先のお店の隣の家の奥さんがそれを見たらしいのよ」


「ああ、それなら知っているわ。私の彼に聞いたもの。それに一昨日、彼とデートで城下町に出たときにも、どこもその話で持ちきりだったわ」


「私も知ってるー!肉屋のおかみさんが話してたわ。確か……夜中に神殿の方からグワッと風が吹いてボワワンと耳鳴りがしたかと思ったら、大きな光が天に向かって上っていったっていう噂でしょう!」


「ああん、もう!私の話を横から取っていかないでよ!私が言いたかったのに!」


「なになに?何の話をしているの?」


「よくぞ、聞いてくれたわね!あのね、私の知り合いの知り合いの……とにかく知り合いの人の話なんだけど巫女姫がいる神殿でね……」


 再び、風に乗って聞こえてきた女性達の声が、ハルジオンへの福音……ハルジオンに喜ばしいことが起きる兆しであったとは、ハルジオンは全く気づかなかったのである。

 

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