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プロローグ

新連載を始めました。どうぞよろしくお願いいたします。

 少女が眠っている家の庭ではカエル達が一斉に鳴いていた。近くの木からは、ホーホーと鳩の鳴く声も聞こえ、静かな夜とは程遠かったが、それらの声が少女の眠りを妨げたことは今まで一度もなく、彼女はいつもの夢を見ていた。


 それは自分が老婆になっている夢だった。物心ついた頃から夢の中の自分はいつも老婆でいたから、少女はそれを不思議に思ったことはなかった。夢の中の老婆は大抵、見知らぬ子ども達と一緒にいることが多かった。子ども達の人数はその日に見る夢によって違ったし、子ども達の年齢も皆、違うようだった。


 夢の中は夕暮れ時であることが殆どで、子ども達と一緒に過ごす部屋の窓からは西日がよく見えた。その夢では子ども達が部屋の中で思い思いに過ごしているのを老婆の自分は椅子に座って眺めていたり、話しかけてくる子ども達に何やら相槌を打ったり、夕食の汁物を鍋から器に入れて子ども達一人ひとりに渡してあげたりしていることが多かった。


 だが、その日の夢では珍しいことに、老婆は外にいて大勢の子ども達や大人達に囲まれて、草が生えていない平らな地面に四角い線を引いた場所で、銀色に光る硬い玉を交互に転がし合って笑っていた。夢の中だからなのか老婆は少女と違って、耳が聞こえていて喋ることも出来ているようだった。


 何と言っているのかは起きているときと同様、少女には少しもわからなかったが、老婆である自分に子ども達が口々に話しかけてきて、自分が笑っているところを見ると、何か楽しい話をしているのだろうと少女は思い、それがわからない自分を残念に思った。


 夢だからなのか不思議なことは他にもあった。どうしてだかわからないが、夢に出てくる人達は皆、耳が小さくて耳先が丸かった。それに老婆以外の者達の髪と目が黒一色なのも不思議だった。何故なら少女も家族もたまに荷物を運んでくる人達も、毎年暑くなる頃にやってくる人達も皆、耳は夢の中に出てくる子達よりも大きくて先は尖っていたし、髪と目が同色の人なんて一人もいなかったからだ。


 けれど、その不思議を誰かに問う術を少女は持っていなかった。そもそも少女は誰とも言葉を交わすことが出来なかったから、自分が眠っている時に見ているものが夢と呼ばれているものであることも、他の者は老婆になる夢を毎晩のように見ないのだということも知らないままでいた。




 朝が来て、少女の部屋の窓の外のベランダには小鳥たちが来て盛んに囀りだし、セミも賑やかに鳴き出したが、やはり、それらの鳴き声で少女が目を覚ますことはなく、カーテン越しに差し込んでくる日差しの明るさを眠っているまぶたの裏で感じ取ることで朝が来たことを知るのだった。ベッドから起き上がった少女は、まぶたをこすった後、伸びをし、ベッドから降りて部屋に備え付けられている洗面室に入り、顔を洗いに行った。


 洗顔とトイレと着替えを終えた少女は、ベッドの脇にぶら下がっている引き綱を思いっきり引っ張った。引き綱は部屋の外に繋がっていて、その先には少女の頭と同じくらいの大きさの鐘が部屋の外の天井にぶら下がっていて、綱を引っ張ると家中に大きな音がガランガランガランと派手に鳴り響くような仕掛けになっていた。


 少女は音を感知することはできないから、どれだけ大きな音が鳴っているのかを知らないでいるが、それを引っ張ると家族の誰かが部屋に来てくれることは理解していたから、少女は窓際に走って行って、ジッと扉を凝視し出した。


 暫くすると扉の横の壁にかかっている緑色の飾り布が突然風もないのに3回揺れた。それは部屋の外に誰かが来たことを視覚で知らせるもので、扉をトントンと叩いても音が聞こえない少女のために考案されたものであった。


 その壁には三色の飾り布が並んでいて、飾り布がかけられた壁の反対側である廊下の壁には小さな穴が三つ開いていた。家族達は細い棒を持っていて、これを廊下から突き刺すことで部屋にいる少女に部屋の前まで来たことを知らせていた。


 三色の布にはそれぞれ意味があり、緑色だと警戒せずにいていいが、黄色だと動かないで居留守を使い、赤色だと部屋から逃げるようにと少女は家族から訓練を受けていた。また、これらの布が動かない内に部屋の扉が突然開いた場合は即、逃げるようにとも指導されている。因みに各部屋の前には、それぞれ音色が異なる鐘がつけられていて、少女がどこの部屋にいても呼び出しが出来るように施されていた。


 緑色の飾り布が揺れたのを見て、逃げる必要がないことを知った少女は引き綱のところまで戻り、揺れた回数分だけ引き綱を引いた。すると扉が開き、老いた男女が扉を開けて部屋に入ってきた。彼らは少女の姿を見つけると微笑んで立ち止まり、口を大きく開けて挨拶の言葉を一言一言区切って、ゆっくりと言った。


「お・は・よ・う・ご・ざ・い・ま・す。リ・リー・エ・リ・カ・さ・ま」


「お・は・よ・う・ご・ざ・い・ま・す。リ・リー・エ・リ・カ・さ・ま」


 二人が挨拶をするとリリーエリカと呼ばれた少女も同じように口を開けて二人の真似をしたが、少女の口からは何の音も発せられることはなかった。それでも彼らは少女が自分達と同じ回数だけ口を開くのを笑顔で見守った。


「朝の挨拶をありがとうございます、リリーエリカ様。今日は朝食を食べに行く前に、先にお知らせしたいことがあるのです」


 そう言って彼らは少女と手を繋ぐと窓辺に向かっていった。いつもならば彼らは少女と挨拶を交わした後は手を繋いで食堂に向かうので、少女は不思議そうに首をかしげた。窓辺に着くと二人は少女の手を放し、それぞれカーテンを開けた。


 すると窓の向こうには見慣れない大人達が何人も忙しそうに荷物を運び込んでいるのが見えた。少女は驚きで思わず体をビクッと大きく震わせ、不安げに老いた男女を見上げた。


「大丈夫ですよ、リリーエリカ様。あの者達は主屋の掃除と荷ほどきの手伝いにきた者達なのです」


 彼らは少女に近寄り、少女の手の甲を軽くポンポンと叩き、心配はいらないのだと合図を送り、二人揃って少女の部屋に置いている額縁を指さした。額縁には大人の男女と少年と女性に抱かれている赤ん坊の絵が飾られていた。少女は少年と赤ん坊のことは知らなかったが、大人の男女のことは知っていた。


 額縁の男女は毎年、暑くなる頃にどこかから来て、暑さが和らぐ頃にどこかに去っていく人達で、ここにいる間は少女と一緒にいてくれる優しい大人達だった。彼らは優しかったが、毎回、来る度にとんでもなく苦い飲み物や食べ物を少女に食べさせようとしてくるのだけは苦手だった。


 しかし、それらと一緒に沢山のお菓子や服もくれるし、何より老いた男女も少女にそれらを食べるようにと身振り手振りで促してくるので、少女は苦いそれらも、彼らが良かれと思って食べさせてくれているのだろうと察し、仕方なく毎回、鼻を摘んで口に入れていた。


 彼らが来ているときは必ず大勢の見知らぬ大人達がやってきて、普段は使わない部屋を掃除したり荷物を出し入れしたりしていたことを思い出した少女は、これから彼らが来るのだと思い、ホッと息を吐いた後に嬉しそうな表情を浮かべた。しかし老人達はそんな少女を見て、申し訳なさそうに言った。


「実はですね、リリーエリカ様。旦那様と奥様なのですが、リリーエリカ様の魂を戻す霊薬があるとの情報を得られたらしく、急遽隣国に向かわれることにしたそうで、今年はこちらに来るのが随分と遅れるそうなのです」


 そう言って老人は額縁に近づき、少女の兄だという少年を指さした。


「なので旦那様方の代わりに、今年はジャミラン様をこちらに寄越すと手紙をいただいていて、今朝早くに今日の昼前位にジャミラン様が乗った馬車が到着すると早馬が来たので、慌てて荷物を搬入し、掃除をしている真っ最中なのです。リリーエリカ様は赤子の頃にこちらに移り住んだままですから、ジャミラン様と会うのは初めてですよね。我々もジャミラン様と初めてお会いするので、とても楽しみなのですよ。どんな御方なのでしょうね」


 老人は笑って話すが、少女は老人が何を言って笑っているのか、わからなかった。生活に関する簡単なことなら身振り手振りで何となくは理解できるが、額縁の彼らこそが少女の本当の家族で、いつも少女と一緒にいる老人達は家族ではないことを彼女は知らなかった。少女が再び首をかしげると老婦人は少女に近づき、手を繋ぎながら言った。


「大丈夫ですよ、リリーエリカ様。旦那様も奥様も、とてもお優しい御方達ですし、リリーエリカ様だって神様の国に魂があるとは思えないほど、賢くて優しいお嬢様ですもの。きっとジャミラン様もご家族に似て、優しいお兄様でいらっしゃいますよ。……お言葉が通じたらリリーエリカ様の不安を直ぐに取り除いてあげられますのにね。ねぇ、あなた」


「ああ、そうなったら、どれだけいいか。今まで旦那様方が国中を探し回っても、神様の国から魂を戻す方法は見つからなかったからな。今年の夏の終わりが期限だが、今も旦那様方は最後まで諦めずに頑張っておられるんだ。今度こそリリーエリカ様の魂が戻ればいいが……。とにかくジャミラン様が到着されたら、また説明すればいいのだし、そろそろリリーエリカ様にお食事を取ってもらわないと」


 少女は二人の話す言葉はわからないが、それでも『お食事』という口の開き方が意味するものは覚えていたので、彼女はお腹に手を当てて二人の手をクイクイと引き、食べたいと仕草で訴えた。


「そうですね。昼前と連絡は受けましたが時間が前後することもありますものね。……お待たせして申し訳ありませんでした、リリーエリカ様。では今からお食事をしに行きましょう」



 老人達と食堂に行った少女は食事が終わった後、老婦人に促されて部屋に戻り、来客を迎えるための一通りの身支度をしましょうと身振りで示された。少女は老婦人に髪を櫛で梳かれて、いつもは着ない綺麗めのワンピースに着替えさせられた。身支度を終えた少女は、老婦人と手をつなぎ、掃除に取り掛かっている人達を避けながら廊下を歩き、馬車が来るのを待つために玄関に向かった。


 待っていれば、あの二人が来るのだと嬉しい気持ちのまま門を見ていた少女は、遅れてやってきた老人に誘われて、三人で玄関脇のベンチに腰掛け、馬車が来るのを待つことにした。のんびりと待って暫く経つとベンチから伝わってくる微かな振動を体で感じた少女は、誰よりも早く馬車の到来を知り、老人達の手をクイッと引き寄せた。


 少女は直ぐにでも一人で馬車のところに駆けつけて行きたかったが、動いている馬車には駆け寄ってはならないと日頃から老人達に念を押されて身振りで教えてもらっていた少女は、二人と手を繋いだまま馬車が止まるのを待つことにした。


 だが止まった馬車から出てきたのが額縁の絵の少年によく似た顔立ちの男の子だったから、少女は目を丸くさせて驚いた。初めて見る男の子は随分と機嫌が悪そうで、しかめっ面で口をとがらせ、何やら怒っているようだった。誰だろうと思いつつも一緒の馬車に乗ってきた人なのかもしれないと考え、二人も乗っているはずだと思った少女は老人を誘い、ベンチから降りると二人を出迎えるために老人と一緒に馬車に近づいていった。


 その時だった。


 少女は男の子に何か小さなものを胸に投げつけられた。それは小さな緑色のカエルだった。小さなカエルは固くも痛くもないものであったし、少女の住む家の周りに沢山いるものだったから、普段ならば大きく動揺することもなかっただろうが、何の音も聞こえない少女にとっては、予測不可能な動きをする生き物を初対面の人間に、いきなり投げつけられる行為は、あまりにも衝撃的な出来事であったからか、少女はそのまま気を失った。


『ケロケロッ』


 意識が遠のく前、少女は自分の胸の辺りから何かの音が聞こえたと思ったが、それまで何かの音を聞いたことが今まで一度もなかったし、気を取り戻した後は何の音も聞こえないままだったから、あれは気のせいだったのだろうと思った。


 ……少女が、その音がカエルの鳴き声だったと知るのは、その日の夜中のことだった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。更新は不定期となりますが、これからも、どうぞよろしくお願いします。

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