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街をながめて

「今日は何をするつもりなんだ?」


馬車にゆられながら、ジスランはヴィオレットに問いかけた。


「どこか行きたいところがあるんだろ?」

「うん。文房具店に行きたくて。それと、屋敷のみんなにお菓子のお土産を買いたいかな?ランベール様はどこか行きたいところはありますか?」

「俺もインクが切れそうだから文房具店に行きたいな。ペンもいいのがあるといいんだけど……」

「あそこは人気の店なだけあって、物もよくてデザインも品がある。きっとランベールが気に入る物があるさ」



(よかった。文房具店を選んだのは正解だったみたい)


ヴィオレットは彼の反応を見て、そっと息をついた。



ランベールを誘った時には「ランベール様とお出かけしたい!」という思いが先行して、特にプランを考えていなかった。しかし、ヴィオレットはこの日のことばかりが頭を占めていて、準備は万端なのである。


装いが決まってからは、デートでやりたいことを考えていた。


先程、文房具店を挙げたのだって買いたいものがあるのは嘘じゃないが、そのほかにも理由がある。お店はおしゃれな通りにあって、またそこに行くまでに有名な噴水広場を通るのだ。広場には出店もいくつかあって活気に満ちている。ヴィオレットもその雰囲気が大好きだった。


(ランベール様に私の好きなものを知って欲しい)


ヴィオレットの本日の目的は、ランベールとの距離を縮めること。

それから彼のことを知り、自分のことを知ってもらうことだ。


率直に言えば、ヴィオレットはこの「自分より兄のほうがランベールのことを知っている」状態が不服なのだ。だから兄のいないうちにランベールともっと仲良くなろうと思ったのに……


(こんな、お兄様に嫉妬するだなんて可笑しいわね)


わかってはいるが……

ヴィオレットは隣に座った兄を見る。どうしても羨望が隠しきれない。


(ランベール様の隣は私のなんだから!お兄様には絶対負けないわ!)




ヴィオレットは馬車に乗り込んだ時のことを思う。


先に乗っていた2人は向かい合うように座っていた。ヴィオレットはどちらの隣に座るか思案して────否、どうしたらランベールの隣に座れるかと思案して。

結局、無邪気さを全面にだして、何食わぬ顔で座ってしまおうと思い立ち、ランベールの隣に狙いを定めたのだが……



「ヴィオレット」


何やら圧を感じる声が聞こえた。


「ヴィオレット」


再度、名前を呼ばれた。

ヴィオレットはそっと、自分の名前を呼んだ兄の方に顔を向けた。この時のヴィオレットの微笑みは、まさしく「邪魔するんじゃねぇ」と語っていた。


それに対して兄はというと、こちらも妹に似た綺麗な微笑みを浮かべていた。しかし、細められた目が笑っていない。


「ヴィオレット」


ジスランはさらに笑みを深めた。


(これは、逆らっちゃだめなやつね)


彼の表情を見て、ヴィオレットは観念して兄の隣に腰を下ろした。


年の離れた兄はなんだかんだヴィオレットを甘やかしてくれるが、だからといってヴィオレットのわがままなら簡単にかなえてくれるのかというと、全くそうではない。

兄には彼なりの基準があるのだろう。ヴィオレットの希望がその基準から外れた時、厳しく反対を唱えることはあまりしないが、こうして圧をかけてくるのだ。


名前を呼ぶだけで相手の行動を抑制できるなんて、すごい才能だ。冷気を纏って微笑む姿は、次期公爵家の当主に相応しいと思わせる品格がある。それは素晴らしいことだと妹は思う。……けれども。


(その表情が自分にむけられるんじゃ、ね……)


ランベールの隣に座れなかったヴィオレットは隣に対して不満の気持ちをぶつけようと念を送る。



(お隣に座るぐらい、いいじゃない!もう!お兄様がついてきてなかったら確実に座れたのに!!)


ヴィオレットの頭の中では、ランベールの隣に座った彼女が、馬車が揺れたときによろめいてランベールの体に触れてしまう……なんてシチュエーションも想像していた。この想像(妄想)の通りでなくても、馬車にゆられる時間は、心理的にも物理的にもランベールとの距離を縮めるチャンスだと思っていたというのに。


ヴィオレットはそのチャンスを潰した原因を見た。



隣に座る妹が「打倒、お兄様!」を掲げ、自分を倒すべき敵だと認識していることを聡いジスランはまだ知らない。



     ✳︎✳︎✳︎



馬車が停まったのは広場の手前だった。

ヴィオレットは兄の手を借りて馬車から降りる。


日差しが眩しくてヴィオレットは目を細めて空を見上げた。そこには太陽が輝いている。



「いい天気でよかったね」

「ランベール様!」


この声を聞くだけで胸がふるえた。ヴィオレットはランベールのほうを見る。

彼は片手で日差しを遮るようにしながら、ヴィオレットと同じように空を見ていた。その様子を熱に浮かされたかのようにぼーっと見つめる。その熱は彼女を見下ろすように存在する太陽からくるのか。


陰を作っていた片手が外され、ヴィオレットに合わせられたランベールの瞳。それが、野外にあるからなのか、いつも以上にキラキラと輝いて見えて────


「ランベール様の瞳はとても綺麗ですね」


言葉が溢れた。


「ん?」

「優しくて、あたたかくて……私を包んでくれる太陽のようです」

「えっ?」


(あれ?)


戸惑ったような声が聞こえて、ヴィオレットは我にかえった。


(まって、私、今何を口走った?)


一瞬、もしかしたら口には出してなかったかも……と思ったけど、相手からの反応があった時点で、声に出していたことは確実だ。


混乱の最中、ヴィオレットは彼を見上げた。

彼女と目が合ったランベールは、片手で口元を覆い、ぎこちなく目を逸らした。



(目を、逸らされた……)


その事実が胸をちくりと刺す。

反応に困るような発言をしたため、目を逸らすという行動も仕方がないとはわかっている。


きっと目を逸らしたのがランベールでなければ、ヴィオレットが心に痛みを感じることもなかっただろう。ヴィオレットは『運命』のことを気にしている。彼の瞳に映りたいと願っていた。だからこそ、そんな小さな仕草になんとも言えない悲しさを感じた。


2人が何も言わない空白の時間は1分にも満たなかった。だというのに、ヴィオレットにはその沈黙がとても重々しく感じられた。



「えっと……」


先に声を出したのはランベールであった。

彼はこの微妙な空気を、年上の自分がどうにかするべきだろうと思ったのだ。


「ヴィオレット嬢から『瞳が綺麗』だなんて褒められるとは思ってなかったから。驚いてしまったんだ。もしかして、俺は口説かれているのかな、なんて……」


ランベールはこの空気を茶化すことで打開しようと考えた。笑顔が似合うはずのヴィオレットが泣きそうな顔をするものだから……冗談をいって笑いに変えてしまおうと思っての発言だった。


しかし実際には、ランベールがそう言った瞬間、ヴィオレットの顔が真っ赤に染まった。いや、顔だけでなく首までしっかり染まっているのが見てとれる。


「口説くって、えっ……ぁ!」


わたわたと両手を動かしてヴィオレットが言葉を紡ぐ。恥ずかしさから、はやく弁解しようと思ってどんどん早口になってしまっているのに彼女自身は気づかない。


「ち、ちがうんです!その、ランベール様の瞳はとても美しくて、いつまでも眺めていたいぐらいですが……今日はいつも以上に輝いて見えましてですね。そ、その瞳に私を映してくれたのが嬉しくって、つい、声に出てしまったんです!く、口説くだなんて……」

「ヴィオレット。それで口説いてないつもりなのか?」

「へぁっ、お、お兄様!」



ヴィオレットの焦りを落ち着かせるべく口を挟んだのはジスランだった。

彼が帰りの時間に合わせて馬車で迎えに来てもらうように手配していたら、近くで甘酸っぱい場面が繰り広げられていた。ただ少し目を離しただけである。


(これは、これは……)


この面白そうな状況を見て、彼は自分の口角が上がるのを感じた。


「ヴィオレット、見ろ。ランベールの耳を」

「なっ、ジスラン!」

「赤くなってるのがわかるか?これはヴィオレットが口説いたからだ」

「おい、」

「ヴィオレット、むやみやたらに男を口説いてはだめだ。そんなことしたら、みんながヴィオレットの虜になってしまう。わかったか?」


ジスランは、隙をあまり見せない友人をここぞとばかりにからかうことにしたのだ。その友人からは睨むような視線を感じるが、気にする必要はない。

何かいいたげなランベールのことは無視して、にやにやしながらヴィオレットに語りかける。


「……じゃない」

「ん?」


彼女が小さな返事をしてくれたようだが、よく聞こえなかった。


「どうした?」

「……むやみ、やたら、じゃないもの」


今度も小さな呟きだったけれど、自分の耳にはちゃんと届いた。使い慣れてない言葉なのかカタコトであったが、ヴィオレットは兄の言い草が心外であると主張しているらしい。


(その発言も口説き文句だと、俺は思うんだがな……)


ふと気になってランベールを見ると、見事に固まっていた。

声が小さかったから聞こえてないかも、と思ったがしっかり聞こえていたらしい。



ヴィオレットの発言は「自分が口説くような言動をするのはランベールだからである」というように聞こえる。ランベールの様子を見るに、その文句の効果は十分である。


(ランベールも、気を抜いていたときに直球ストレートが飛んできたって感じなんだろうな。まさか8歳児に翻弄されるとは思わなかっただろうに)


「小悪魔」

「??」


ジスランは強めにぐりぐりっとヴィオレットの頭を撫でる。

それから小さな手を取って歩き出した。


「こんなところで時間を食うのも惜しいな。早く広場まで行こう。ヴィオレット、今日もなにか屋台で食べるか?」

「うん、食べたい!」

「よし」


ジスランは場の雰囲気を変えるべく、本来の目的である街歩きを開始することにした。



(今日の俺は、いちゃつきたいカップルの邪魔になる、居た堪れない役をやらされているのか)


にぎわう街の景色をみて浮かれている妹を横目に、兄は苦笑をこぼした。




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