勇気を込めて
ヴィオレットには気づいたことがある。
「優しくて、かっこよくて、よく笑ってくれる人だわ……」
誰のことかと言うと、もちろんランベールのことである。
ヴィオレットはランベールのことを思い出して、うっとりと息を漏らす。その姿は8歳にしてはなんとも艶っぽい。
ランベールがユルティス公爵家に来てから早くも1週間が経った。その1週間という短い時間の中で、ヴィオレットは誰の目から見てもわかるほど綺麗になった。
何か外見が変わったわけではない。元々美しい令嬢だったのだ。
でも、彼女から滲み出るような美しさが感じられるようになった。彼女の仕草や表情に、まわりをどきっとさせる魅力が追加された。
その変化を見た屋敷の者たちは、『恋すると女性は綺麗になる』と頷き合った。そして、小さなお嬢様の初恋を祝福し、むず痒い思いをしながら見守っていた。
実を言うと、ヴィオレットはランベールとあまり交流かできていない。
ヴィオレットとしてはやっと出会うことが出来た『運命』の彼と、できることなら四六時中一緒にいたいし、もっと彼のことを知りたいと思っていた。
それが叶わないのは、ランベールが勉強に忙しくしているのが原因だと言えるだろう。
ヴィオレットは何かと理由をつけてはランベールに会いに行った。しかし会いに行ったからと言って、交流できるわけではない。
ヴィオレットが彼に会いに行った時、ある時はジスランと議論を交わしていたし、また別の時はクリストフと何かを話していた。
ヴィオレットが彼に会うために作った理由などたいしたものではなく、ランベールの予定を邪魔してまでの用事もない。
(今じゃなくても時間はあるんだし!)
そう思ってそっと来た道を戻る、ということをしていた。
ヴィオレットは「寂しい」という気持ちを自分からはあまり表現しない子どもだった。
母が亡くなって1人でいる時間は増えたけど、自分がわがままを言って、忙しい父にも年の離れた兄にも迷惑はかけるなんてことはしたくなかった。優しい2人はヴィオレットが一言「寂しい」といえばすぐに会いに来てくれるとわかっているからこそ、余計に。
そうしているうちに自分から人を誘う、ということが苦手なヴィオレットが出来上がったのだ。
しかし────
そうはいってられなくなってきた。
「もう、半分も過ぎちゃったよぉ……」
ヴィオレットは自室の机に突っ伏した。
2週間、というのはなんとも絶妙な数字だ。長いような短いような。ヴィオレットも彼を迎える前は長いように感じていたのに、こうも一緒にいられないと焦りを感じる。
(『運命』に会えたんだから、もっとずっと一緒にいるものなのかと思ってた。こんなに会いたいって思ってるのは私だけなの?)
1週間前の初めて出会った時に感じたあの抑えきれないような衝動は今はもうおさまったけれど、やはり彼の近くにいるだけで「ここが私の居場所だ」とでもいうようにとても心地よく感じる。幸せに浸るということはこういうことなんだな、とヴィオレットは思っていた。
食事は同じテーブルで食べるし、忙しそうな時もあるけど会いにいっておしゃべりをしたりする時もある。夜に「おやすみなさい」の挨拶をすれば笑顔で返してくれるし、ヴィオレットがお庭にいた時に話しかけてくれたことだってある。
でも、まだまだ足りない。
(私って、こんなにわがままだったのね)
少し前までは「ランベールに出会えたことが、もう他に何もいらないくらい幸せ」と感じていたのに、今では毎日会っていてももっと一緒にいたいと貪欲に思ってしまう。
「一緒にお出かけしたいって言ったら、喜んでくれるかしら……」
できることなら思い出を作りたい。何年経っても初めて会った時のことを思い出すことができるような、そんな素敵な思い出が作りたい。
(よし!決めた……!)
ヴィオレットは椅子から立ち上がった。
「明日の朝食の時間の後に、お誘いしてみるのよ!忙しいって断られたら断られたでいいじゃない!次の機会よ!自分から動かなきゃね!」
今まで恋なんてしたことがなかったから、男性を誘おうと思ったことなんて初めてのことだ。ヴィオレットは人を誘うのが苦手な自覚があるが、そんな彼女を突き動かすのは「彼と一緒にいたいと」という純粋な思いだけだった。
✳︎✳︎✳︎
「ランベール様!」
ジスランと歩いていると後ろから声をかけられた。
この特有の甘さを含む小さな鈴のような声で自分の名前を呼ばれることにも、やっと慣れてきたところだ。
ランベールは声の方へと振り返る。
そこには予想通り小さなお嬢様が立っていた。
彼女と自分の歩幅の差を考えると、急いで追いかけてきてくれたのだろう。彼女の頰がほんのりピンクに染まっている。その様子から目が離せなくてぼーっと見つめてしまったが、その場の無音に気づいてはっとすると、なんでもないように取り繕った。
「ヴィオレット嬢、どうかしましたか?」
「……えぇっと」
彼女は口籠った。そんなヴィオレットは珍しい。いつもキラキラさせてこちらをまっすぐ見ていた瞳は、今は落ち着かないようにあちこちに動いている。
(何かあったかな?)
ランベールが、どうしたのだろうかと心配して、腰を落としてヴィオレットに目線を合わせた。ランベールの顔が至近距離に見えてヴィオレットますます慌てることになるのだが、彼は気づいていない。ヴィオレットの頭は今や真っ白で、言おうとしていたことはどこかに逃げ出してしまったようだ。
ランベールがそんなあわあわし始めたヴィオレットを不思議そうに観察していると、今度は後ろから肩を叩かれた。
顔だけそちらに向けると、綺麗な微笑みを浮かべたジスランの顔があった。その人形じみた完璧な笑みが逆にわざとらしい。ランベールは無性にため息をつきたくなった。ジスランのこの顔はおもしろがっているのを隠しているときの顔であることをこれまでの経験でよく知っている。
「俺は先に行ってる」
どういう意味の表情なのか聞きたくなったが、ひとまず小声で伝えられた言葉に頷いて返す。それを見て、ジスランはランベールの肩を二度ほど叩いてから一人で歩き去っていった。
そうしてその場にはランベールのヴィオレットしかいなくなった。
2人の間に静寂が生まれる。
ランベールは急かすことなく、ヴィオレットの言葉を待った。この時間が不思議とランベールにはまったく苦ではなく、むしろ心地よく感じられた。
ヴィオレットが意を決したように口を開ける。
「ランベール様」
「はい」
「あの、ですね。えっと……。こ、今度、街にお出かけに行こうかな、と思っていたのですが……」
「はい」
「その……ランベール様と、一緒に、行きたいのです……ど、どうでしょうか」
最後の方は小さな声になっていた。
ランベールの目の前にいる少女の顔は赤い。
それでいて、上目遣いでこちらを見てくるのだから、衝動で彼女の頭を撫でたくなった。
(こんなお誘いは初めてだな)
「ええ。ご一緒しましょう」
全く迷うことなく返答がするりと口から出た。
ランベールは自分の声がいつもより幾分か優しいことに気づいた。同じく表情もこれ以上ないぐらい柔らかいものとなっているだろうと思う。
でも、仕方がないことだろう。
(承諾を伝えた時のヴィオレット嬢の表情が。
まるで花が咲いたかのように眩しかったから……)
彼女のこの表情が自分だけに向けられているのだと思うと、なんとも胸にくるものがある。
ヴィオレットの方を見ると、表情を戻そうと頑張っているようだ。先程のジスランの笑みを参考にしているようだが……彼女の方は全く人形っぽさがない。よく似た兄妹であるが、妹の方は感情が表情にはっきりとあらわれる。今も彼女の口元は緩みきっていて、そのせいで感情がだだ漏れだ。
「かわいいな」
誰にも聞こえないほどの小さな呟きが、ことりとこぼれて溶けていった。