幸運をつかまえて
御伽噺のような話だが、全ての人には『運命の相手』が存在するという。
『運命の相手』とは互いに強固な絆で結ばれており、出会った瞬間から惹かれ合う。そして、相手のことが誰よりも大切になり、それまでの人生をその人にであうための時間だったのか、とさえ思うらしい。
ではその『運命の相手』はどうやって見つけるのかと言うと、出会った瞬間に本能でわかるのだ。
この人が、自分の『運命』だ、と。
目があって、声を聞いて、匂いを嗅いで、味を知って、手が触れて、わかるものである。
相手に初めて会った時に本能が『運命』の気配に反応して大きなエネルギーを生むという。その力が全身を巡り、自分の中に『運命』の存在が刻み込まれる。
この存在を刻むという過程が『運命』を感じとることを可能にすると考えられている。なのでこの時に刻まれる情報とは、五感で感じ取った、視、聴、嗅、味、触の感覚だという。
なお、このあたりはまだ明らかになっていない部分も多い。
────そんな、たった1人の『運命』に出会える者たちは非常に少ない。
自分の『運命』がどこに住んでいて、どんな名前で、何をしているのか。そんなのはわからないのだ。
『運命』を手にできる可能性は何%であろうか……
だからこそ、『運命』はしばしば架空の存在として語られてきた。
しかしその認識は、最近になって覆った。
それには、ある一冊の絵本が関係する。
湖にうつった、出会ったことがない青年を想い続けたお姫様が、大きくなってその青年に出会い、互いに惹かれあい、永遠の愛を結ぶというストーリーの絵本だ。
なんの真新しさもない物語だが、このお話には実在のモデルが存在する。
それが、一国の現在の王とその王妃なのだ。絵本の知名度が高まり、世界中に広まるのも無理はない。
彼らは、ある国の王女の16歳を記念するパーティーに他国の王太子が貴賓として参加したことで出会った。
それまで会ったことはなかった。もちろん声だって知らない。それでも一目見ただけで彼らは自分たちの『運命』を感じとった。
幸い、彼らはそれぞれ、国の王子と王女であり身分差は特になく、国力の差もそれほどなく、敵対関係でもなかった。
そしてめでたく、2人の婚姻は結ばれることになったのだ。
婚姻を結んで数年後に王と王妃になった彼らは、互いを『運命』だと明言し、深い愛情を注ぎあった。今では、世界中に2人のことは伝わり、どの国でも理想の夫婦像として語られている。
そして多くの女性はそんな話に憧れ、自分の『運命』に出会うことを夢見ている。
今では、『運命』はただの御伽噺などではなくなってきている。
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ヴィオレットは最後のページを読み終え、ぱたん、と絵本を閉じた。
ヴィオレットは表紙を上に向けるようにすると、じっと手元の本を見つめる。
(もう読むことはできないかと思ってた……)
この絵本には思い出がつまっている。
母に初めて読んでもらって以降、この絵本の優しい絵と出てくるお姫様の可愛さにすぐに夢中になり、何度も母に読み聞かせをねだった。
そんな娘をみて、「まるで昔の自分を見ているようだわ」と母が笑っていた。
そしてヴィオレットに、母もこの絵本が1番のお気に入りなのだと教えてくれた。
セレスティーヌは、娘の願いに応えて何度も絵本を読んだ。そのおかげでヴィオレットは、絵本の文字も絵も何も見ずに思い出せるまでになっていた。
しかし、最近までこの絵本のことを忘れていたのはきっと母の死が関係しているのだろう。
母が亡くなり、ヴィオレットは悲しくてあまり眠ることができなくなってしまった。そんな彼女を見て、侍女は彼女が大好きだったこの絵本を読んでさしあげようと考えた。
久しぶりに絵本を読み聞かせてもらえると思って、ヴィオレットはすこし気分が明るくなっていた。
ベッドに入って、カミーユが来るのを待つ。
ノックが聞こえて返事をすると、カミーユが入室してくる。その時は部屋が暗くて何の絵本を持ってきてくれたのかわからなかった。
カミーユが枕元にきて、本を読むために席に座ると、やっと彼女が手に持つのがあの絵本であることがヴィオレットにわかったのだ。
その表紙をみてヴィオレットは涙が止まらなくなってしまった。
「おかあさまぁ。おか、あさま……」と母のことを呼びながらポロポロ涙を流す少女をみて、この絵本が彼女とその母の大切な思い出が詰まったものであることが察せられた。
それからというもの、この絵本は開かれることはないが、大切に大切に扱われた。
そして家族たちに支えられ、ヴィオレットが母の死の悲しみを乗り越えた今では、あの絵本はヴィオレットの部屋にあった。
特別に飾ることはなく、ほかの本に紛れるようにして置いてある。開くことはなかった。
絵本を開いてしまうと、そこに閉じ込めた母との時間が溢れて、また泣いてしまう。また自分が泣いてしまえば、これまで支えてくれたまわりのみんなまで悲しくなってしまう。そう思っていたのだ……
今、その絵本はヴィオレットの膝の上にある。
彼女は絵本を慈しむようにそっと撫でた。
その瞳は涙で濡れることはなかった。
「昨夜に、この絵本を初めて読んだ時の夢を見たのは、きっと今日が彼に会う運命の日だったからなのね」
思えば、母とあの絵本がでてくる夢を見たのは今回が初めてだったのだ。
「そういえば、あの時は『私の王子様は、お父様とお兄様だ!』なんて思ってたっけ。それを伝えた時の2人の顔は面白かったな」
その光景を思い出してひとり、くすくす笑う。
母は「私の王子様はお父様」だと言っていた。
あの絵本の王子様とお姫様と違って、ヴィオレットの両親はいわゆる『運命』で結ばれた2人ではなかった。それでも2人の間には深い愛情があったし、母が亡くなってからも、母を想い続ける父を見ると、やはり母の王子様は父であるのだと思う。
「お母様、私も素敵な王子様に出会ったんだよ……」
ずっとそばにいる、と言ってくれた母だ。今もヴィオレットのことを見守ってくれているに違いない。
そう思うと、心がじんわりと暖かくなる。
ヴィオレットに『運命』について教えてくれたのは母だった。なんといっても彼女の兄が『運命の相手』と結ばれた有名人なのだから、人よりも詳しいのだろう。
セレスティーヌの話を聞いて、ヴィオレットは『運命』に夢を見るようになっていた。セレスティーヌがおしえてくれる話はどれも幸せに満ち溢れていた。だからこそヴィオレットは自分も『運命の相手』と出会って、その人と、父と母のような幸せを築いていきたいと思ったのだ。
その思いは、ランベールに出会ってからさらに強まった。
ベッドの横に絵本を置いて、枕元の明かりを消し、布団の中に潜り込んだ。少女の体を温もりが包む。
ヴィオレットは目を閉じる。
瞼の裏に描くのは、ランベールとの幸せな未来。
2人は幸せそうに頰を染めてはにかみながら、顔を寄せ合っている。その光景はヴィオレットが夢に見た、幸福の姿で……
未来のヴィオレットは、今と変わらぬ眩しい笑顔でランベールを見つめていた。