「架空戦記:まぼろしのチハ車 まえがき」
以下の文章は全てフィクションであり、浅学者の妄想です。宜しくご承知おきください。
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この文章、特に後半の一部は浅学の執筆者による妄想の産物であることをご承知置き下さい。
長い間、九七式中戦車は何やら実態と懸け離れた奇怪なモノとして認知されていた。
曰く、小銃や機関銃で穴が開く豆腐のような装甲。
曰く、冶金技術の遅れから敵の装甲表面で木っ端微塵に砕け散る主砲弾。
曰く、戦車戦で勝ったことが一度もなく、まともな攻撃手段は体当たりのみ。
こういった極端な言説は一部の人々にとって非常に好都合だったらしく、戦後盛んに喧伝され、今世紀に入ってからでさえ広く信じられていた。
近年になって、一次資料の公開や詳細な戦車戦ゲームの流行等の環境変化とマニア達の指摘により、漸くそれが嘘であったり悪意有る情報の切り貼りであったことが徐々に浸透してきている。喜ばしい限りである。
だが、翻って実際の九七式中戦車が第二次大戦期において優秀戦車であったかと言われれば、残念ながらそれは否と言うしかないだろう。
その最大の問題は後継車輌の開発遅延にあることは論を待たない。ポスト八九式中戦車の本命であったチホ車は試作の域を出ず、その後継たるチヘ車以降の戦車も戦線に姿を現すことはなかった。
1930年代中盤に開発された九七式中戦車では、1940年からの数年で恐竜的な進化を遂げた列強の中戦車、重戦車と比較のしようもないのは当然である。
九七式中戦車自体に課せられた2つの十字架もまた無視できない。
それは車輌重量制限と短い開発期間である。
前者は戦車の寸法、装甲、走行性能、そして直接データに現れない部分にまで大きな制約を課し、後者は主砲を既存砲の改良品に留めてしまった。
中戦車と言いながら第二次大戦期における他国の基準では軽戦車にカテゴライズされるべき重量、そして主砲は前作の八九式中戦車と同スペック。
これでは、如何に使い勝手が良好だったとしても限度がある。
一部部隊では装甲板の増加搭載もされ、また所謂「新砲塔」では口径減を忍んで初速の高い戦車砲への換装も果たしたけれども、それらが配備される頃には野砲級の主砲とそれに対応する装甲を持つ戦車の時代に移り変わっていた。
──九七式中戦車は第二次大戦においては時代遅れの戦車であった。配備された各地で性能以上の奮戦はしたけれども、優秀とも強力とも到底言えない──
これが、偽らざる評価であろう。
さて、ここで時代を遡り、九七式中戦車の仕様が策定されたときに戻ってみたい。
九七式中戦車にはもう一つの試案があった。
採用案と全く異なるその戦車は、軍需省の猛烈な反対、参謀本部の非協力的な態度を受けながらも実際に試作され、採用案との比較試験まで漕ぎ着けている。
重量は採用案の6割増し、速度は3割増し。軽量化のため採用案と同じく表面硬化装甲を使うものの、装甲厚はほぼ全周にわたって5mm上乗せされている。
大柄な車体に不釣り合いなほど小さく見える砲塔も、実は採用案よりも大きく作られていた。
主砲は要求そのままで採用案と変わらないが、一説によれば長砲身高初速砲を搭載した大型砲塔に容易に換装できるように設計されていたという。
設計側は非常に乗り気で、熱の入れ方は採用案よりむしろこちらの方が上であった。
現場側である戦車学校も、より強力なこちらを強く支持した。仕様策定の会議の席で、戦車科の将校はこのスペックならば騎兵戦車としても使えると述べたほどだった。
しかし、この、現代の旧軍戦車マニアにとって夢のような戦車は、ご存知の通り日の目を見ることはなかった。
支那事変勃発により陸軍が必要とする予算が一挙に増えコスト逓減を求められたこと、また後に九七式となる新中戦車にはなるべく早期の量産開始が求められていたこと、などがよく指摘される原因である。
が、決定打とされたのは別の事由だった。
この戦車は不幸にも予定していた馬力を発揮することが出来なかった。のみならず、試作車に積まれた発動機は試験中に深刻な故障を起こしてしまったのである。
採用案と比べ気筒数は2倍、排気量と出力も2倍近いものとされたディーゼルエンジンは、国産発動機開発の揺籃期とも言うべき当時の日本には手に余る代物だった。
この発動機は特に飛び抜けた高出力や小型軽量を狙ったものではなかった。排気量あたりの出力は数年後に実用化された一〇〇式統制発動機よりも2割ほど低く、寸法や重量にさほどの差はない。
全ては技術的な未熟によるもの。日進月歩で進歩する時期特有の不幸な一例としか言えない。
──ほんの数年、あるいは1年。当時国策として開発に力が入れられていたディーゼルエンジンの新型を待つことができていれば。あるいは数カ月待って熟成を待ち、試験をやり直すだけの余裕があれば──
残念ながらそれは繰り言である。
九七式となるこの中戦車にとって、開発が遅れることは致命的だった。火力以外で陳腐化の著しい八九式中戦車の置き換えは急務なのだ。
更に言えば、将来を見越した中戦車はこの戦車に続けて開発を開始することになっていた。こちらに割く時間が長くなればなるほど、本命たるそちらの開発が遅延してしまう。
新技術、新たなコンセプト、先を見越したオーバースペックはそちらで試すべきもの。こちらには、滞りなく早期に量産を開始することが第一に求められていた。
逆に言えばこうなることを見越して堅実な設計かつ費用逓減を徹底したのが採用案であり、全く性能の異なる二者を敢えて試作していたのが吉と出たとも言えよう。
斯くして、当時の基準で言えば大型かつ高速重装甲の中戦車は、唯一最大となった戦いに敗れ去ったのである。
九七式中戦車はよく戦った。
性能不足、旧式とはいえ、大戦中全期間に亘って日本陸軍の主力であり続け、粘り強く、ときには手強い敵として相手からも評価されている。
それが我々の世界の史実である。
歴史にIFはない。そんなことはわかりきっている。
しかし、マニアとしてはどうしても考えてしまうのだ。
もしも、九七式中戦車が我々のよく知る「チニ」でなく、試作第一案……「チハ」であったら? と。
1942年早々に出現した「新砲塔」の「チハ」が、チニ改の一式三十七粍戦車砲でなく一式四十七粍砲相当の強力な主砲を搭載していたら? もしくは、開発者の言葉にあるように57mm長砲身砲を搭載していたら?
「チハ」の幅広で長い車体をベースにした各種の自走砲が存在していたら? 九〇式野砲や軽榴弾砲、あるいは更に口径の大きな火砲のプラットホームとして、幅広く使えたのではないだろうか?
試作から採用までのハードルが低い海軍陸戦隊は、「チハ」ならば自走八糎砲でなく自走十糎砲、いやひょっとしたら自走十二糎砲さえもでっち上げてしまったのではないだろうか?
そもそもチヘ車体と大差のない「チハ」の車体ならば、そのまま装甲を強化して砲塔を積み替えれば砲戦車としても使えたのではないか?
全ては繰り言であり、妄想である。
わかっているつもりでもついつい考えてしまう、それが半可通の悲しいところである。
半端な妄想を打ち砕く、諸賢のご意見ご感想をお待ちしております。
平成32年5月 甲子生 >>
あとがきです。
うっかりチニ車が採用されてしまった世界のマニアの嘆き。いかがでしたでしょうか。
多分、彼の思う「チハ車」は200馬力で戦場を疾駆する、私達の史実のそれより幾分──いや、妄想なのですから、カタログスペックからもちょいちょい逸脱するくらい強力な戦車なのでしょう。
さて、私達の世界線において、チハ車が採用された大きな要因は支那事変による陸軍予算拡大だったと言われていますが、それだけではないような気がします。
新中戦車については、昭和11年7月の陸軍軍需審議会の前には重量級の第一案、軽量型の第二案のうち第一案でほぼ決まりに近かったのですが、参謀本部第三課と陸軍省軍事課がそれぞれ異議を唱えていました。
理由はいずれも架橋資材等の制限から重量を12t以下にしたいということで、どちらも第一案の性能を一部低下させる形で軽量化を打診するのですが、技術本部は提示された性能では参本案・軍事課案のどちらも12tを超過すると突っ撥ねてしまいます。
参謀本部はそれを受けて第二案を若干変更し多数調達するという提案を行い、結局両案並行試作という形になって行くわけです。
ここで議事録を眺めてみると、ちょっと妙だなと思うことがあります。
参謀本部の第二案の変更提案に対して、技術本部(原少佐)がその場で大胆な設計変更をしてしまうのです。
その内容は
・主砲弾定数を100発とするため、(及び下の変更のため)自重500kg増加。それにより設計最大速度は30km/hから27km/hに低下。
・第一案に近い超壕幅という要望のために全長を増大、更に尾橇を追加。代償として車幅を10cm詰め、装甲厚も5mm減じ最大20mmとする。これで超壕幅は2.2mから2.4mに拡大する。なお第一案は2.5m。
どうでしょう。これで第二案は見事に骨抜きになってしまいました。
元々チハと同じだった装甲厚は5mmも減り(ここは即座に他の出席者からも突っ込まれています)、砲弾はチハ並に積んだものの速度は八九式中戦車とほぼ同じところまで落ちています。
ここまで性能に差が出てしまえば、もはや当て馬でしかありません。いや参謀本部の言うとおりにしただけだよ、とうそぶく原さんの顔が見えるようです。
今回はお話の都合(私の個人的願望)でチニ車が採用されたことにしましたが、実は試作の仕様策定時点でチハの採用はほとんど決まっていたような気がするのです。
穿った見方をすれば、参謀本部が第二案を支持してみせたのも関連費用の増大を危惧する陸軍省の顔色を窺ってのことで、チハ・チニの競作はある意味出来レースみたいなものだったのかもしれない──というのは、流石に言いすぎでしょうか。