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7.誕生日プレゼント

「ぐっ」

 レオの目の前で起きた出来事は、あまりにも唐突だった。

 レオの右腕を押えていた男が急にうめき声をあげてうずくまった。すると次の瞬間、何故か愚鈍と言われていたはずのお嬢様が、その男の剣を目にもとらぬ速さで奪い、その勢いのままもう一人の男も伸してしまう。

 目の前の光景をあっけにとられて見ていた伯爵は、一瞬の後に自分のおかれている状況に気づき、あわてて部屋の外に出ようとした。

 しかしそれはレオが焔を呼ぶことによって阻止し、逃げどころを失った伯爵を手刀で気絶させる。

「この!」

 ドミニクはいまだ焔に包まれたその手でレオに掴みかかろうとしたが、それは彼の妹によって阻止された。

 彼女は足を出して彼を転ばせると、とどめに見事な踵落としを喰らわせたのだった。

「あなたは……どうして?」

 レオは今目の前にいるお嬢様が、愚鈍姫とよばれていて、自分と三年間過ごしたあのお嬢様と同じ人物なのか疑わずにはいられなかった。

 顔がそっくりの双子なのではと思うほど、彼女の動きは愚鈍からは程遠かった。

 しかしそんなかすかな期待をよそに、彼女は首を横に振った。


「私はあなたの知っている愚鈍姫よ。そう、振る舞っていたことは否定しないわ」


 声は全く同じだったが、話し方が違う。

 レオはひどく混乱していた。良く考えれば、彼女は自分の父と兄と戦って、レオを助けたのである。愚鈍姫が偽りの姿だったと言うならば、レオのことはどこまで分かっていたのだろうか。

「ねえ、レオ。この屋敷はよく燃えているけれど……あなたは逃げ切れるわね?」

「炎には確かに人よりは耐性はありますが……」

 指摘されてようやく、自分が屋敷を火の海にしたことに気づいた。それと同時にじわりしたと恐怖がレオに忍び寄ってきた。焔呼びの自分は確かにこの炎から逃れるすべはある。しかし自分が守りたい彼女を安全に脱出させることは厳しい。  

「早く逃げないと!」

 レオは我に返ってそう叫ぶが、彼女は妙に落ち着いていて、穏やかな笑顔を浮かべていた。

 そして、自らが持っていたその剣をレオの方に差し出した。


「レオ・ズドラジル」


 彼女が知るはずのない名が呼ばれ、レオは嫌な予感がして口を開きかけた。しかしそれを制するように彼女は驚くほど美しい笑顔で言った。


「あなたに私の命を上げるわ。これが最期のプレゼントよ」

「っ! 何を……」


 碧い瞳が強い意志を持ってレオを見据えていた。

 動けないでいるレオに剣を握らせると、レオの腕を掴んだまま、刃を自分自身に向けた。

 彼女は確かにレオが驚くようなプレゼントを用意したと言っていた。しかしだからといって自分の命を差し出す奴がいるだろうか。


「私を殺しなさい。どうせ同じことよ。原因不明の火事で伯爵家一家は死亡。あとから出てきた証言で伯爵家の悪事は暴かれ、あなたは罪にも問われず復讐を成し得る」


 彼女は本気でレオに殺される気でいる。

 今日起こるはずのことは自分が主導権を握って計画を立てていたはずなのに、いつのまにか彼女が書いた計画に移り変わっている。

「いつから知っていたんですか?」

 まだ、考える時間が必要だった。

 自分でも何をどう考えたらいいのか分からなかったが、少なくとも彼女を殺すという決定を下せる状況にはない。

「最初から。家のことも、あなたのことも。黙っていてごめんなさい。でも、レオと過ごした日々は、本当に楽しかったわ。たとえあなたに憎まれていても、私はあなたを手放すことが出来なかったもの」

 穏やかな笑顔だった。しかしその目は覚悟を決めた者の目だった。死ぬ覚悟を。

 最初から知っていただなんて、レオはどれほど道化だったのだろうか。そして彼女は、どうしてこんなレオを受け入れてくれたのだろうか。

「それにね、もともと、私はどうあってもこの家を潰したわ。それは母の望みだったもの」

 レオの愛したお嬢様は、自らの死を決めてなお、愉しげだった。軽やかに過去を語ってゆく彼女の顔はこの数年間で類を見ないほど生き生きとして美しい。

「ただ、母は私の逃げ道を確保するために、私に愚かでのろまなお嬢様を演じさせた。そう言う意味では、母の遺志には添えないわね」

 三年間もともにいたが、彼女がここまで長い文章を一気に話せるとは知らなかった。

 彼女の語る言葉が、あまりにもレオの予想から外れていて、レオは現実を真正面から受け止めきれずに、ぼんやりとそんなことを思った。

「私は言ったでしょう。私がいなくなったら、忘れていいって。迷うな、とも」

「何、を……」

 ふとここ二週間での彼女の言動について思い返してみた。

 彼女が別れを口にしたのは、結婚ではなく、自らが死ぬことを想定してだったのだ。それも、レオの手によって殺されるという筋書きで。

 数年前、あれほど臨んだ”復讐”をやり遂げるチャンスは、確かに目の前に転がっていた。

 その気になれば、ブレイハ伯爵も、この家の長男ドミニクも殺すことが出来る。たとえレクセル侯爵への義理立てがあるといっても、三年前の自分なら、迷わずに三人とも殺していただろう。

 しかし今、彼女が望んでいることがレオの復讐を果たすことだと知って、レオは自分がどうすれば良いのかわからなくなっていた。

 彼女の根本的な勘違いを正せばいいのか、それとも彼女も含めて全員を殺すのか。彼女だけ生かすという選択肢は、彼女が望んでいない結末である。他でもない彼女が望まない。

 彼女だけを生かしたとき、もし拒絶されてしまったら、ブレイハの名が重くて生きていけぬと言われたら……そんなことを考えると、何を選ぶべきか分からない。


「いいえ。違うわね。私はやっぱり愚鈍姫じゃない。私とあなたの間には何の情も生まれていないはず」


 皮肉にも、そうやってレオにけしかける”優しさ”が、どうしようもなく愚かで鈍い。話し方が違っても、動きが鋭敏でも、彼女はやはり愚鈍姫で、レオが仕えてきたお嬢様だった。


「どうしてあなたは……殺せとおっしゃるんですか?」

 たとえレオが復讐を誓っていると知っていたとしても、どうしてレオに殺される気になったと言うのだろうか。レオが守りたいと思った人が、自ら自分に命を差し出してくるとは、まったく想定外だった。

「分からない?」

「わかりません」

 分かるはずもない。女性の心などいつの時代も男には理解できやしないのだ。


「あなたが好きだからよ」


「え?」

「好きだから、協力してるの。たとえあなたが私を憎んでいても」

 その甘美な言葉は、できれば炎に包まれた屋敷の中ではなく、太陽が輝く湖の傍で囁いて欲しかった。そうレオは思った。

 夕日がレオの焔の様だから好きだと言ってくれた、あの日の湖岸で聞ければ、レオはもっと違う道を選べたかもしれなかったのに。

「もう、どうしたらいいの?」

 彼女の突然の告白に動けずにいたレオは、目の前にいる彼女が、いつのまにか大きな青い瞳に涙をためていることに驚き、動揺した。

 自分のどの行動が彼女を泣かせるに至ったのかさっぱり分からない。

「ずっと、望んできたんでしょう? あなたから殺気を感じたこと、一度や二度じゃなかったわ」

 自分の行動はこういった形で跳ね返るのだ。

 もし今レオが彼女に愛を示しても、彼女はそれを信じることはないだろう。レオが殺せない理由としてでっちあげたとでも思うに違いない。

 彼女の中のレオは憎悪に満ちていて、自分を害する存在であっても、自分を守る存在ではない。

 彼女は心から殺されることを願っている。それがレオの復讐になると信じていて、さらにそれがレオの望みだと思い込んでいる。


「そんな優しさ、必要ないのよぉ……」


 彼女は間延びしたあの話し方でそう言うと、その言葉の緩慢さとは反対に、すばやい動きでレオの刃を素手でつかんだ。

 白い手に血がにじむ。じわりと伝わり落ちる赤い液体を見て、ようやくレオは自分の心を理解した。


 ――守らないと。


 彼女が血に染まることはあってはならない。たとえ嫌われても、レオは彼女を生かしたいのだ。この手で彼女を守りたいのだ。

 そしてレオが彼女を生かすために動こうとした瞬間だった。

 ドアが派手な音を立てて吹っ飛んだ。


「ここかっ!」


 現れたのは一人の騎士。彼の服は騎士のものだったが、ところどころ焦げて焼け落ちてしまっている。


「レオ・ズドラジル。その剣を引け」


 彼女がそちらに気を取られている隙に、レオは剣にかかっていた彼女の手をほどき、それを床に投げ捨てた。

 がらんという重い音がその場に響く。

 服装は多少みすぼらしくなっていたし、あちこちにやけどの跡が見えたが、それでも騎士は堂々とそこに立っていた。

「……早すぎるわ」

「どうやら間に合ったようだな」

 彼女のつぶやきはさらりと流し、騎士は床に転がる数名を見つめて、彼らが生きていることを確認する。

「リリアナ・アイラ・ブレイハ、君はやっぱり彼の復讐の遂行を望んでいたんだな」

 久しぶりに聞いた彼女の本名。そして、レオの記憶に在る限り、彼女は一度もこうして名乗ったことがない。

 それなのにどうして急に現れたこの騎士が彼女の名前はおろか、レオのことまで知っているのか分からない。

「優秀すぎる騎士は嫌いよ」 

「アイラと名乗って、見事に場を混乱させてくれたな」

「嘘は言ってない」

 話の流れから察するに、彼女は一家が全員死んだ時のことを考え、騎士団にブレイハ家を告発していたようだ。

 すでに彼女が自分のお嬢様だということを否定する気持ちはなくなっていたが、彼女のことを愚鈍姫と呼んでいた者全員が騙されていたのだと思うと複雑な気持ちになる。

 大した役者である。

「リリアナと名乗りたくなかったからか? それは伯爵のつけた名前だから」

 レオは混乱していたが、騎士のこの言葉の意味はすんなりと納得できた。だから彼女はあの時名前を呼ぶなと言ったのだ。 

「そうよ。それにしても……どうしてここまで入ってきたの」

「止めるためだ。彼が誰かを殺せば、俺は彼を拘束しなければならなくなる」

「あら、あなたはこの焔から無事に脱出できるの? できないのならどのみちレオだけ助かって終わりよ」

「この場を収めろ。君にはそれができるだろう? 水使いなら、この火も完全に消せるはずだ」

「ばれてたのね」

 今日は彼女に驚かされてばかりだった。

 この部屋が燃えていないのは、おそらく彼女の力によるものなのだろう。ひとえに彼女がレオを生かすためだけにこの部屋を維持しているのだ。

 あれだけ無茶苦茶に怒りを発散したら、本来なら最初にこの部屋に被害がでただろう。彼女が歌っていなかったから気づかなかったが、歌わずに水を呼べるというのなら、リリアナは水使いなのだ。

「あんなに都合よく滅茶苦茶な雨が降るわけがない」

「でも、火は消さないわ。まだ、終わってない」

「彼にその意志はないように見える。違うか?」

 騎士がそう言ってこちらを向くと、それにつられて彼女もこちらを向いた。

 さきほど彼女が自分の手を傷つけた時、レオ自分のすべきことを見つけたのだ。レオにとって一番大切なのは、彼女を守ることなのだと。


()()()()

「っ!」

 初めて呼んだその名前に、リリアナ--アイラは、小さく息をのんだ。

「消火を頼みます。自分の出した焔を消せても、何かに燃え移って広がった火は消せないので」

「誰も被害者がいない今なら、この火事は原因不明で上に報告できる」

「……ずるいわね」


 彼女は大きく息を吐いた。

 その後もう一度吸って、彼女は歌い始めた。

 それは初めて聞く、暗い歌だった。物悲しげな旋律とともに、歌詞もどこか陰鬱だ。歌が中盤に差し掛かったとき、目に見える変化が現れた。

 窓の向こう側に見えていた赤い焔はいつの間にか姿を消し、その代わりにいくつもの水滴が窓を滑り落ちていく。

 彼女の歌が終わると、今までそれに聞き入っていたレオとアレンは同時に我に返ってふるふると首を横に振った。

「……上から捕縛指令がでている。彼らの拘束を手伝ってもらえるか」

「はい。でもその前に……」

 レオは歌い終わって静かにこちらを見つめているアイラに近寄った。

 そして彼女の血まみれの手を取り、持っていたハンカチで止血した。興奮していたのか、切り口のわりにはかなり大量の血が失われている。

「無茶して……仕事を増やさないでください」

「……優しすぎるわぁ」

「そうでもないですよ」

 不思議なことに、いざこうして彼らが拘束されるとなると、ちょっとした喪失感のようなものがあった。しかしそれは、レオが憎しみから解放されたことも意味する。

「もし、あなたに出会わなかったら……俺はたぶん、殺人者になっていた」

 予想以上に穏やかな終焉を迎えたレオの復讐は、きっとアイラの存在があってこそだったと今なら分かる。

「だから……ありがとうございます」


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