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6.たとえ夢でも

「ヘルミーナ!」

 銀色の髪の少年は叫んだ。

 妹が死んでいる。無邪気に笑って走り回っていたおてんばの少女の姿はなく、血の気の引いた青い顔で横たわっている。

 妹の隣では父が血まみれになって倒れていた。

 これほど怒りに駆られたことがあっただろうか。悲しみよりも、怒りだった。

 理不尽な暴力に対する怒りと憎しみが、レオの理性を吹き飛ばした。


 場面が切り替わる。


 初めて会った金色の髪のお嬢様。

 のんきに笑って、幸せそうなお嬢様がそこにはいた。

 自分の父兄の悪事で人の家庭を壊しておいて、その身内のこの女は、こんなにも平穏に生きているというのか。 ゆっくりとした動作の呑気なお嬢様は、この世の地獄など触れたこともないような純真さでそこにいて、レオを酷く苛立たせた。

 なぜ彼女はこんな風に笑ってい生きているのだろうか。

 レオの家族を奪った男の家族が、こんな風に幸せに生きていることが、レオにとっては許しがたかった。

 ここで彼女を殺してしまえば、自分の復讐は果たせないとわかっていながらも、憎くて憎くて、その場で殺してやろうかと思ったレオは、ひそかに忍ばせていた短剣に手をかける。

 そうしてレオはその短剣を振りかざそうとした時だった。

 自分の中から声が降ってきた。

 ――殺しちゃいけない。たとえ夢でも。


「っ!」


 レオは飛び起きた。

 夢に見たものがあまりにもリアルだった。妹の固くなった体の感触が手に残っているようだった。

 父を失った悲しみ。すべてを奪ったものへの怒り。あまりにもリアルな感情は、現実のレオの体の脈すらも上げ、呼吸が浅くなっている。

 あの時レオが助かったのは、ひとえに彼が焔呼びだったからだ。

 あれほどがむしゃらに焔を呼んだことはなかった。そのおかげで助かり、そのせいで、レオは今、こんなに苦しい思いをしている。

「殺そうと、してたな……」

 今日が実行日だと思っていたら、どうやらいろいろなことを考えてぐしゃぐしゃになってしまっていたらしい。

 リリアナを殺そうとした最初の衝動まで思い出すとは思ってもいなかった。

 あの時は、彼女を大切に思う日が来るとは思いもしなかった。

 ブレイハ家に身を置き、伯爵や伯爵家の長男へ向ける憎悪は増していくのに反比例して、彼女への憎しみは薄らいでいった。

 その複雑な感情の動きは、自分にもコントロールできるものではなかったのだ。

 そして、あの時には想像もできなかったことだが、今のレオは、夢の中であっても、彼女を殺さずに済んだ自分に、心から安堵していた。

 彼女の死を、夢の中であっても体感することは耐えがたいことだった。そしてそれは、復讐を決意しているこの現実でも、絶対に許す気のないことだった。

 レオは夢を思い返すのをやめると、身支度をして、お嬢様の部屋へと向かう。

 するといつもならまだ眠そうな顔をしている彼女は、今日は完璧に準備を済ませてレオを待っていた。

「お誕生日おめでとう。レオ」

「ありがとうございます」  

「プレゼントは、もう少しだけ待ってねぇ」

 どんな心境の変化なのだろうか。

 いつもは結っていない髪を美しく結いあげ、あまり身にまとうことない装飾品までつけている。侍女がやるといっても断る彼女なのに、今日の装いはまるでどこかのパーティにでも出かけるかのようだった。

 今日が最後かもしれないというのが、まるで彼女にも分かっているかのようだった。しかしそんなはずはないから、たまたま気が向いたのだろう。

 もともとリリアナは顔立ちは整っており、目鼻立ちのはっきりとした美人である。ただしそれがきつい印象を与えないのは、緩慢な動作と、間延びした喋り方によるものだろう。

 だから彼女が黙って着飾っていると、その美しさが際立って、レオはどことなく落ち着かない気持ちになるのだった。

「失礼します。旦那様がお呼びです」

 レオの後から部屋に入ってきた侍女がそう告げた。

「お父様が……わかったわ。悪いけどぉ、庭師に声をかけてきてぇ。それで、わかるからぁ」

「かしこまりました」

 そういって侍女が出ていくと、彼女は大きく息を吐いた。

「朝から気合を入れて、疲れたわぁ」

 彼女がのんびりとした口調でそういうと、レオの方を向いた。その大きな青い瞳がこちらに向けられた瞬間、言いも知れない何かが胸をよぎった。

 それは一瞬の沈黙。

 しかし空白のその時間に、レオは何故か彼女と初めて会った時のことを再び思い出していた。 

 憎しみ、恨み、怒り……。

 それら全てを隠しきることなどは到底できずに、彼女と対峙していた。自分の主である以上に、彼女も仇の一人なのだと思い込んでいたのだ。

 それが今、三年という時を得て、全く違う形の想いを抱いている。それはある意味でレオの行動を制限するものだったが、決して不快なものではなかった。 


「……行かなきゃ」


 ぽつりとつぶやかれた一言でレオは現実に引き戻された。彼女が珍しく先に歩き出したので、レオもそれに黙って従う。

 彼女の歩調が、なぜかいつもよりも早い。


 そうして伯爵の執務室の前に行くと、レオは前に出た。

 そして一度ノックしてから扉を開けた。


「押さえろ!」


 叫び声が聞こえてレオはとっさに後ずさろうとしたが、両腕をつかまれて抑え込まれ、そのまま部屋の中央へと引きずられる。

 部屋の中にはブレイハ伯爵とドミニク、そしてレオを抑えるために用意されただろう男二人がいた。

「かかったな。どうだ気分は? お前のやろうとしていることは、わかっている」

 ドミニクがそういうと、レオの前に数枚の紙の束を投げた。

 それが目に入った瞬間、レオは自らの終わりを悟った。


 ――すみません、マルティナさん、ラーシュさん。


 心の中でまっさきに謝ったのは、自分を助けてくれた夫婦だった。彼らがいなければレオの復讐はここまで形にはならなかっただろう。

 彼らは自分を利用すると言っておきながら、どこまでも自分に紳士的で、本当の両親のようにレオを助けてくれていた。


「まさか、娘の従者に裏切られるとはな。それをわからん娘も娘だが」

 どうやら伯爵は、どこからかレオの裏切りに気づいていたらしい。部屋を探したのだろう。彼が伯爵家を告発するためにレクセル家に書いた報告書の下書きが、目の前にばらまかれていた。

 これはレオにとって最悪のシナリオだ。たとえ裏切りがばれても、レクセル夫妻には迷惑をかけまいと誓っていたのだから。逃げ道はないかと視線をめぐらせるが、少し動いた段階で、右腕をつかんでいた男に剣を突きつけられてしまった。

「ズドラジルの長男が生きておったとは思わなかった。なあ、わが娘よ? しかもレクセル侯爵までも一枚噛んでおったとは」

「……」

 押さえつけられているレオには、リリアナの表情はわからない。

 彼女は一体どんな表情をしているのだろうか。驚きか、怒りか、あるいは失望か。いまのレオが願うのは、間違っても彼女が自分を庇うことで、この家での立場を悪化させる、なんてことは回避したいところだった。

 お願いだから、失望していてほしい。怒りでもいい。自分を助けようなんて思ってくれるな。復讐が失敗に終わった今、レオにとって彼女を守ることができさえすれば、描いていた最悪のシナリオは避けられる。


 彼女は黙り込んでいたが、部屋の中に入ったようだった。足跡が近づいてきている。

 そして彼女は歩いてくると、レオの視界に入るところまで来た。するとドミニクが暗い笑みを浮かべて彼女に近づいた。

「気分はどうだ、愚鈍姫。唯一の味方に裏切られたな」

 そして彼は大きく手を振りかぶって叫んだ。

「気づかないお前も同罪だ!」

 彼の手が彼女にぶつかる寸前、レオは体中に熱が集まってくるのを感じた。

 何も考えられず頭が真っ白になる。

 ただそこにあるのは、純粋な怒りだった。

「うっ!」

 大きく振りかぶられたドミニクの手には、焔がまとわりつくようにして揺らいでいた。それは徐々に彼の皮膚を焼いてゆく。 


「伯爵! 外が!」


 自分を抑えている男の一人が叫び、レオもまた窓の外を見る。

 どうやら屋敷が焔に包まれているようだった。

 レオの怒りが、屋敷を燃やしているのだ。

 このまま焼き殺してやろうか、そんなことをレオは考えた。証拠は取り上げられた。それならば、もうそれごとすべて葬り去ればいい。自分も焼死ねば、人殺しの罪に問われることもない。

 そんな風に怒りに飲み込まれて何も考えられなくなった瞬間、長いスカートのすそが翻った。


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