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5.焔は夕日

 暦に一つ一つバツをつけていくごとに、別離の日が近づいてくることを実感する。

 待ちに待っていた復讐の時が近づいているというのに、レオは言い知れぬ苦しみを感じていた。それはもちろん、愚鈍姫と呼ばれているリリアナのことが気にかかっているからだ。

 認めがたい気持ちではあるが、レオはリリアナに対する自分の感情と向き合わざるを得なかった。そしてこの残り日数が少ない中では、自分のつまらないプライドよりもしでも長い時間、彼女といることを心がけていた。

 彼女に対しては、復讐心よりも愛が勝っている、そんな自分の気持ちに向き合いつつあった。

「ねえ、レオ」

 太陽が沈んでゆく様子をじっと見つめていたレオの主は、ゆっくりとこちらを振り返った。

「今日は出かけないのぉ?」

 レオは従者だが、いつでも主にべったりしているわけではない。

 確かにこの曜日は毎週このくらいの時間に出かけている。ただ、その必要ももうなくなったのだ。証拠は揃ったし、なにより誕生日まであと数日しかない。

 既に自分の気持ちと向き合ったレオにとって、あえて出かけて彼女と離れる必要はない。 

「出かけないと何か不都合でも?」

「え、いやぁ、そのぉ……」

「何ですか?」

「夕焼けを見に行こうと思ってぇ……」

「つまり、一人で抜け出す気だったんですね?」

 屋敷の中では座って過ごしていることが多い彼女だが、一度、外に出ようと決めると、それなりに動けるようだ。それも、お忍びというものに憧れているらしい。世間知らずなお嬢様にとって、一人歩きがどれだけ危険なことか、彼女は露ほども理解していないに違いなかった。

「今から行きましょう。一緒に」

 やれやれといった声でレオがそういえば、彼女はなぜか俯いた。その表情に驚いたレオは、じっと彼女の顔を見つめた。

「……ありがと、ねぇ」

 小さく礼を行って顔をあげた彼女は、レオが想像していたより普通の彼女だった。

 彼女が俯いた時、彼女が泣いているようにレオには見えたのだ。

「急がないとぉ、日が沈んじゃうわぁ」

 この屋敷でもっとものんびりとしている人間にそういわれて、レオは思わず声をあげて笑ってしまった。

 それにつられたのか、彼女もまた、声をあげて笑った。

 二人は部屋を出て、屋敷の裏にある抜け道から湖へと出た。部屋を出たときはまだ真っ青だった空は、湖についたときには赤く燃え始めていた。

 風が湖面に波を作り、そうすると、湖にあった太陽がぐにゃりと姿をゆがめた。しかししばらく見つめていると、再び同じ形になって二人の前に現れる。

「きれいねぇ。私、好きなのよぉ。だって」

 不自然なところで言葉を切った彼女は、湖へ向いていた体をしっかりとこちらに向けた。彼女の結われてもいない金色の髪が舞い、碧い瞳がまっすぐとレオに向けられている。

 そして彼女は手を広げて湖のほうを手のひらで指すと、にっこりと笑って言った。


「この赤は、レオの呼ぶ(ほむら)みたいでしょう?」

「……ありがとうございます」


 言い知れない何か複雑な感情が、胸を満たしていくのをレオはどこか他人事のように感じていた。それはまるで現実味がない夢のようで、どう扱っていいのかさっぱりわからなかった。

 ただ一つ、レオは決して彼女に刃を向けることはできないだろうと確信していた。

 復讐を辞め、この呑気なお嬢様と一緒に、平穏な日々をずっと過ごすのも悪くない。そんな風に考えてしまうぐらいには、レオは彼女との平穏を愛していた。

 レオの素直な言葉に穏やかな微笑む彼女を見ていると、レオは息苦しかった。その微笑みがレオを苦しめることになるとは、彼女には想像もつかないことだろう。愚鈍姫たる彼女の中には、レオが自分をただの主人以上に思っているなどという発想は、露ほども存在していないに違いない。

 ブレイハ家への憎悪。その家の長女への思慕。

 そのどちらもレオには抱えきれぬほど強く、また、彼が生きるための活力としてすっかり彼の中に根づいてしまっていた。

 矛盾した感情は、いつかはどちらかと別れなければならない。それをすでにレオは決めているというのに、彼女のああいった不意打ちの言動は、彼の心を強く揺さぶる。

 気づけばレオは、彼女から一歩離れて、宙に手をかざしていた。

「きれい……」

 その場に広がったのは、空一面に咲く焔の花だった。彼の焔が空に打ちあがった瞬間、太陽が完全に沈んで空は深い藍色へと変化する。

 レオの打ち上げた焔の花は空いっぱいに広がって、藍色の空に赤という彩を添えた。

「どうして?」

 レオは自分でも初めて知ったことだった。

 焔呼びは強い感情に反応する。

 それはたいてい怒りや憎しみであり、それ以外の感情で焔を呼ぶことはできないのだと思っていた。

「……どうしてでしょう?」 


 ――うれしかったんですよ。


 素直にそうは言えなくて、レオはごまかすようにそんなことを言った。

 すると彼女は焔の花から視線を外して、下を向く。


「そんなに……嫌い?」


 震える彼女の声に、レオは彼女が何を言っているのかさっぱりわからなかった。しかし地面を濡らす水滴を見て、今度こそ本当に彼女が泣いていると気づいたとき、その理由がいまだに宙に舞う花のせいだと気づいた。

 レオが今まで焔を呼んだのは、全て怒りか憎しみの感情だ。そしてリリアナはそれを承知している。だからこそ、レオが彼女の言葉に何かしら怒りを感じたのではないかと思ったのだろう。

「そうじゃない! そうじゃないです。うれしかったんですよ。喜びだって、焔を呼べるんです」

「ほんとに?」

 先ほどはためらった本音をレオはつい打ち明けた。

 すると彼女は顔をあげた。彼女の目からあふれ出る涙がほおを伝う。それをぬぐおうと手を出そうとして、レオはその手を宙で遊ばせた。

「泣かないでください。驚きました」

 行き所のなくなった腕はすとんと下におろされた。彼女に触れることはできなかった。

 彼女に触れる資格は、自分にはない。

 彼女から今の平穏な日常を全て奪っていく自分が、どうして彼女に触れる資格があるというのだろうか。彼女をこんなにも想いながら、それでもレオはブレイハ家の復讐を止めることはできない自分も自覚していた。

「ふふ。ごめんねぇ……」

 泣きながらも笑顔を作って見せた彼女が、愛おしくてたまらないとレオは思った。

 絶対に口には出さないが、彼女がきれいだといった焔の花よりも数百倍、彼女のほうがきれいだった。


 別離の時は確実に近づいている。

 彼女への想いを打ち消すことも、ブレイハ伯爵家への恨みを消すこともできず、両極端の強い感情に身を焼かれる思いだった。

「ありがとう、レオ」

 彼女の言葉が体に沁みていく。

 屋敷に帰らなければと思うのに、二人は一歩も動けない。


 ただそこで、何を話すでもなく佇んでいた。


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